第7話 人間界からの使者、あるいは招かれざる客
その日、魔王城の正門前は、異様な空気に包まれていた。
「開門せよ! 我こそは、聖なる王国の第二王子、カイル・フォン・グランヴェルである!」
甲高い声が荒野に響き渡る。
城壁の上から見下ろすと、そこにはきらびやかな鎧を身にまとった一団がいた。
カイル王子を筆頭に、聖女リリィ、そして選抜された近衛騎士団。いわゆる「勇者パーティ」というやつだ。
しかし、その姿はあまりにも……なんと言うか、パッとしなかった。
「……あれが、人間界の精鋭か?」
隣で腕を組むヴァルガスが、呆れたように呟く。
無理もない。
彼らの鎧は泥に汚れ、頬はこけ、目は血走っている。
馬も痩せ細り、どこかふらふらとしていた。
かつて私がいた頃の、威風堂々とした騎士団の面影はどこにもない。
「腹が減ってるんでしょうね」
私は冷静に分析した。
使い魔の報告によれば、人間界では聖女の失政で食糧難が起きているという。
彼らは補給もままならない状態で、国境を越え、魔の森を抜け、ここまで強行軍でやってきたのだ。
一方、迎え撃つ魔王軍の兵士たちはどうだろうか。
門を守るオーク族の門番たちは、丸太のような腕にツヤツヤとした肌。
筋肉はパンパンに張り、生命力に満ち溢れている。
そして何より、彼らの片手には、私の作った「あるもの」が握られていた。
「おい、聞こえないのか魔物ども! エレノアを返せと言っているのだ!」
カイル王子が剣を抜いて叫ぶ。
しかし、オークの門番は耳をほじりながら、のんびりと答えた。
「あー、うるせえなぁ。今、昼飯時なんだよ。帰ってくれねえか?」
「なっ……ひ、昼飯だと!? 我々が貴様らを討伐しに来たというのに!」
「討伐? 無理だろ、お前ら。剣を持つ手が震えてるじゃねえか」
オークは鼻を鳴らすと、手にした巨大な黒い塊を掲げた。
それは、私の特製**『爆弾おにぎり』**だ。
魔界の『月光米』を二合分使い、ソフトボール大に握った巨大おにぎり。
全体を、磯の香りが濃厚な『深淵海苔』で隙間なく包んである。
見た目は黒い砲丸のようだが、中には具材がぎっしりと詰まっている。
オークはそれを大口でガブリと齧った。
バリムシャァ……ッ!
いい音が響く。
パリパリの海苔が破れ、中から真っ白な米と、溢れんばかりの具材が顔を出す。
「んぐ、むぐ……! うんめぇぇぇ!!」
オークが絶叫した。
彼が食べているのは『地獄鮭の塩焼き』を入れたものだ。
脂の乗った赤い鮭の身をほぐし、少し強めの塩で味付けしてある。
それが、甘みのある月光米と口の中で混ざり合う。
「なんだそれは……!」
カイル王子の後ろにいた騎士の一人が、ゴクリと喉を鳴らした。
空腹の彼らにとって、湯気を立てる白米の匂いと、焼いた鮭の香りは猛毒だ。
「貴様ら! 何を食っている! 魔物の分際で、そんな美味そうなものを!」
王子が地団駄を踏む。
「おう、食うか? これは『ツナマヨ』だぞ」
別のゴブリン兵が、自分のおにぎりを割って見せつける。
中からトロリと溢れるのは、巨大魚の油漬け(ツナ)と、私の特製マヨネーズを和えた最強の具材。
「ツナ……マヨ……?」
聞いたことのない単語に、騎士たちがざわめく。
だが、そのコッテリとした油と卵の匂いは、本能に訴えかけていた。
『これを食べれば生き返る』と。
「くっ……! 卑劣な! 幻術か! 空腹の我々に見せる幻覚に違いない!」
聖女リリィがヒステリックに叫んだ。
彼女はやつれて髪もパサパサで、かつての可憐さは見る影もない。
「カイル様! 騙されてはいけません! きっとあのおにぎりの中身は、人肉か泥ですわ!」
「そ、そうだな! 魔物がまともな飯を食えるはずがない!」
カイル王子は自らを奮い立たせるように叫んだ。
「総員、突撃せよ! 城門を破壊し、エレノアを救出するのだ! 彼女を取り戻せば、我々もまた美味い飯が……いや、国の農業が復活する!」
本音が漏れている。
彼らは私を助けたいのではない。
私の持つ「聖女の力(と誤解されている農業知識)」を利用して、自分たちの腹を満たしたいだけなのだ。
「……最低ね」
私は城壁の上で、冷ややかに呟いた。
「行こう、エレノア」
背後から、漆黒のマントを羽織ったゼッド様が現れた。
その表情は静かだが、瞳の奥には青い炎のような怒りが燃えている。
「余の大事な料理番を『物』のように扱う無礼者たちだ。……少し、教育が必要だな」
「ええ。徹底的にわからせてあげましょう。誰が魔王軍の胃袋を支えているのかを」
私はエプロンの紐をキリリと締め直し、手に持っていた武器――ではなく、巨大な『しゃもじ』を構えた。
◇
ズシィィィン……。
重厚な城門が、ゆっくりと開かれた。
突撃しようとしていた人間軍の足が止まる。
砂煙の向こうから現れたのは、武装した魔物の軍勢ではない。
中央に立つ魔王ゼッド様。
その右隣に立つ私。
そして左には側近のヴァルガス。
後ろに控えるのは、それぞれ手に「おにぎり」や「唐揚げ」を持った魔王軍の兵士たちだ。
まるでピクニックに来たような緊張感のなさである。
「エ、エレノア……!?」
カイル王子が私を見て目を丸くした。
「な、なんだその格好は! 囚人服はどうした! なぜそんな……割烹着などを着ている!」
「あら、ごきげんようカイル殿下。見ての通り、ランチタイムの真っ最中なんですけど」
私はしゃもじを肩に担ぎ、にっこりと笑って見せた。
健康的で、肌もツヤツヤ。
やつれている彼らとは対照的だ。
「そ、そんな馬鹿な……。拷問を受けているはずでは……」
「拷問? ああ、ある意味ではそうかもしれませんね。毎日『何を作ろうか』と悩むのは、嬉しい悲鳴ですから」
「洗脳されているのか!? くそっ、おのれ魔王め! エレノアに何を吹き込んだ!」
王子はゼッド様を睨みつけた。
ゼッド様は一歩前に出ると、圧倒的な魔力を解放した。
ビリビリビリ……ッ!
大気が震える。
人間軍の馬がいななき、騎士たちが後ずさる。
これが、全盛期の力を取り戻した魔王の覇気だ。
栄養満点、睡眠十分の魔王様は、以前とは格が違う。
「人間よ。勘違いするな」
ゼッド様の声が、朗々と響き渡る。
「余は彼女を囚えてなどいない。彼女は余の『心臓』であり、我が城の『太陽』だ。……貴様らのような、味のわからぬ者たちに渡すつもりはない」
「なっ……し、心臓だと!? やはり生贄の儀式を……!」
話が通じない。
ゼッド様はため息をつくと、私を見た。
「エレノア。許可をくれ」
「なんのですか?」
「あやつらを黙らせる許可だ。……もちろん、殺しはせん。ただ、その減らず口を塞いでやりたい」
私は王子たちの顔を見た。
飢えと疲労、そして嫉妬と欲望で歪んだ顔。
彼らに必要なのは、言葉による説得ではない。
圧倒的な「格差」を見せつけることだ。
「いいですよ。でも、あまりいじめないであげてくださいね。……お客様になるかもしれませんから」
「ふっ、承知した」
ゼッド様は指をパチンと鳴らした。
「野郎ども! 準備はいいか!」
「オオオオオオッ!!」
魔物たちが一斉に咆哮した。
しかし、彼らが構えたのは剣や槍ではなかった。
ゴブリン部隊が取り出したのは、巨大な団扇。
オーク部隊が並べたのは、七輪。
そして、空を飛ぶハーピー部隊が運んできたのは――
大量の**『串焼き肉』**だった。
「な、何をする気だ!?」
カイル王子が狼狽える。
「総員、攻撃開始!!」
ゼッド様の号令と共に、魔王軍による一斉攻撃が始まった。
ジュワァァァァァァァ……!!
一斉に肉が焼かれる音が戦場に響き渡る。
魔界の森で獲れた『バッファロー・ボア』のバラ肉。
それを特製の『甘辛ニンニク味噌ダレ』に漬け込み、炭火で一気に焼き上げる。
「扇げェェェ!!」
ゴブリンたちが団扇で全力で扇ぐ。
もくもくと立ち上る白煙。
それはただの煙ではない。
脂の焼ける匂い、焦げた味噌の香り、ニンニクの刺激臭を含んだ、最強の『飯テロ・ガス』だ。
風魔法使いが、その煙を的確に人間軍の方へと送り込む。
「うっ、なんだこの煙は! 毒ガスか!?」
騎士たちが口元を押さえる。
しかし、次の瞬間。
「ぐぅぅぅぅ~~~……」
腹の虫の大合唱が起きた。
「な、なんていい匂いだ……」
「肉だ……焼肉の匂いだ……」
「味噌の……香ばしい……」
毒よりも強力な誘惑が、飢えた彼らの嗅覚を蹂躙する。
剣を握る力が抜け、よだれが止まらない。
意識が遠のくほどの空腹感。
「た、耐えろ! これは罠だ! 吸い込むな!」
カイル王子が叫ぶが、彼自身の腹も盛大に「グゥ~」と鳴った。
「カイル殿下。投降をお勧めしますわ」
私はしゃもじをマイクのように持って宣言した。
「今なら、捕虜待遇として『豚バラ味噌串焼き』と『おにぎり』のセットをお付けします。……温かくて、美味しいですよ?」
その言葉は、どんな脅し文句よりも効果的だった。
ガシャン。
一人の騎士が剣を落とした。
「も、もう無理だ……。俺は……俺は肉が食いたい!」
「俺もだ! 国にいたってカビたパンしかなかったんだ!」
「悪女でもなんでもいい! 俺に飯をくれぇぇぇ!!」
騎士たちが次々と武器を捨て、両手を上げてこちらへ走ってくる。
戦意喪失。
完全なる敗北だ。
「き、貴様ら! 戻れ! 命令違反だぞ!」
「なんですのこれ! プライドはないんですの!?」
カイル王子と聖女リリィだけが取り残される。
ゼッド様はニヤリと笑い、私にウインクをした。
「どうやら、我々の勝利のようだな。……さて、エレノア。あの捕虜たちの腹を満たすには、少し食材が足りんかもしれんぞ?」
「大丈夫です。魔王城の備蓄は完璧ですから」
私は呆然と立ち尽くす元婚約者を見下ろし、冷たく、しかし慈悲深く告げた。
「カイル殿下、リリィ様。あなたたちもどうします? ……プライドを食べて生きていくか、プライドを捨てて私の料理を食べるか」
決断の時は迫っていた。
もっとも、彼らの胃袋はとっくに答えを出しているようだったけれど。




