第6話 冷徹な側近も「ポテサラ」には勝てない
魔王城の夜は深い。
特に、私の寝室がある厨房裏のエリアは、深夜になると静寂に包まれる。
……はずだったのだが。
「……怪しい」
城内を見回っていた魔王の側近、竜人族のヴァルガスは、厨房の扉の前で足を止めた。
隙間から、明かりが漏れている。
そして、何とも言えない香ばしい匂いが漂ってくるのだ。
(こんな真夜中に何をしている? まさか、陛下を油断させておいて、人間界の軍勢を手引きするための狼煙でも上げているのでは……)
ヴァルガスは生真面目だ。
クラーケンの宴会で、私の料理に陥落したように見えたが、根が武人である彼はまだ心のどこかで「人間」である私を警戒していた。
魔王ゼッド様が私に骨抜きにされつつある(胃袋的な意味で)今、自分が手綱を締めねばならないという使命感に燃えているらしい。
「失礼する!」
ヴァルガスは警告なしに厨房の扉を開け放った。
「うわっ!?」
私は驚いて、手に持っていた木べらを落としそうになった。
「な、なんですかヴァルガスさん。ノックくらいしてくださいよ」
「問答無用! こんな夜更けに何をしている! 怪しい儀式か!?」
ヴァルガスがズカズカと踏み込んでくる。
しかし、彼の視線はすぐに調理台の上で止まった。
そこにあったのは、怪しい魔法陣でも毒薬でもない。
湯気を上げる茹でたてのジャガイモと、何やら黒くて硬い棒状の物体だった。
「……儀式?」
「明日の仕込みですよ。いい大人が夜中に騒がないでください」
私は呆れながら、ボウルの中のジャガイモをマッシャーで潰し始めた。
「仕込み……だと? その黒い物体はなんだ。呪いの道具か?」
「これですか? これは『影大根』の燻製です」
魔界の森の地中深くで育つ真っ黒な大根。
これを数日間、煙でじっくり燻して乾燥させた保存食だ。
見た目は薪のように無骨だが、薄く切るとパリパリとした食感と、強烈なスモーキーフレーバーを放つ。
「この燻製大根を、こうして細かく刻んで……」
サクサクサクッ。
包丁がリズムよく黒い大根を刻んでいく。
「潰したジャガイモに混ぜるんです」
私は、粗く潰してゴロゴロ感を残したジャガイモ(魔界産の『岩石芋』。味は濃厚な男爵イモに近い)の中に、刻んだ燻製大根を投入した。
さらに、薄切りにした『魔界キュウリ』と、角切りにした『ベーコン(オーク肉の塩漬け)』も加える。
「まさか、それをそのまま混ぜるだけか? それではパサパサで……」
「ここで登場するのが、昨日の残りで作った『特製マヨネーズ』と、隠し味の『クリームチーズ』です」
「チーズだと?」
「ええ。この燻製大根とチーズの相性は、出会ってはいけない禁断の恋人同士のようなものなんです」
たっぷりのマヨネーズ。
そして、コクを出すためのクリームチーズを一欠片。
最後に、挽きたての黒胡椒を多めにガリガリと振る。
全体をざっくりと混ぜ合わせる。
ジャガイモの熱でチーズが少し溶け、燻製の香りが全体に馴染んでいく。
『影大根の燻製ポテトサラダ ~大人の黒胡椒仕立て~』
「はい、味見どうぞ」
私は小皿に少しだけ盛り付け、フォークを添えてヴァルガスに突き出した。
「ど、毒見だ! 私が安全を確認するまで、陛下には出させん!」
ヴァルガスはそう言い訳をしながら、素早くフォークを手に取った。
実は彼、かなりの酒好きであることを私はリサーチ済みだ。
このポテトサラダは、ご飯のおかずというよりは、完全に「酒のアテ」として作っている。
ヴァルガスは一口分をすくい、口へ運んだ。
もぐッ。
「……!」
彼の動きが止まる。
眉間の深い皺が、みるみるうちに解けていく。
「なんだ、この食感は……!」
ホクホクとしたジャガイモの優しい甘み。
それを噛みしめていると、不意に訪れる「パリッ」「ポリッ」という軽快な歯ごたえ。
燻製大根だ。
噛むたびに、口の中に焚き火のような香ばしい燻製の香りが広がる。
それがマヨネーズの酸味、チーズの濃厚なコクと混ざり合い、複雑にして至高のハーモニーを奏でる。
最後に黒胡椒のピリッとした辛味が全体を引き締め、次の一口を誘う。
「これは……サラダという名の、暴力的なまでの『つまみ』だ……!」
「でしょう? これにはやっぱり、あれが必要ですよね」
私は冷蔵庫から、冷やしておいた『霧の蒸留酒』を取り出した。
魔界の霧を集めて蒸留したという、キリッとした辛口の酒だ。
トクトクトク……。
小さなグラスに注ぎ、ヴァルガスに手渡す。
「ど、どういうつもりだ。私は警備中で……」
「毒見の一環ですよ。この料理とお酒の組み合わせに毒がないか、確認が必要でしょう?」
「……ぬぐぐ。屁理屈を……」
ヴァルガスは葛藤したが、口の中に残る燻製の香りに抗えなかった。
グラスを煽り、透明な液体を流し込む。
カッ!
強いアルコールが喉を焼く。
しかし、その直後にポテトサラダの油分とチーズのコクが、アルコールの刺激を優しく包み込む。
「――っはぁ!!」
ヴァルガスが天井を仰いだ。
「合う……! 合いすぎる! このポテトサラダ一口で、酒が三杯は飲めるぞ!」
「よかった。明日の晩酌メニューに入れようと思っていたんです」
「明日だと!? 待て、このボウルに残っている分はどうする気だ」
「え? これは私が夜食に食べようかと……」
「ならん!!」
ヴァルガスはドンとテーブルを叩いた。
「こ、これは危険物だ! 私が責任を持って処理する! 酒もだ! 置いていけ!」
完全にただの酔っ払いだった。
私は苦笑しながら、彼のために椅子を用意した。
「はいはい。じゃあ一緒に食べましょうか。一人で食べるより美味しいですし」
「……む。すまん。……い、いただきます」
強面の竜人が、小さくなってポテトサラダをつまむ姿は、なんだか可愛らしい。
しばらくの間、ポリポリという音と、グラスを傾ける音だけが厨房に響いた。
酒が進み、ヴァルガスの頬が赤くなってきた頃。
彼はポツリと口を開いた。
「……なぁ、エレノア殿」
呼び方が変わっている。
「はい?」
「私は……怖かったのだ」
「何がですか?」
「陛下が変わってしまうことがだ。陛下は歴代最強の魔王だが、同時に優しすぎる。その優しさが仇となり、いつか人間に討たれるのではないかと……ずっと気を張っていた」
ヴァルガスはグラスを見つめながら、自嘲気味に笑った。
「だが、貴殿が来てから陛下は変わった。弱くなったのではない。……強くなった。以前のような張り詰めた脆さが消え、芯のある強さを手に入れたように見える」
彼は私に向き直り、居住まいを正した。
「それは、貴殿の料理のおかげだ。飯を食い、笑うことで、陛下は救われている。……そして、私もだ」
「ヴァルガスさん……」
「疑ってすまなかった。貴殿はもう、この城になくてはならない存在だ。……このヴァルガス、今後は貴殿を『姉御』と呼び、厨房の護衛も務めさせてもらいたい!」
「ええっ!? 姉御!?」
公爵令嬢だった私が、まさか魔界の騎士団長に姉御と呼ばれる日が来るとは。
でも、その真っ直ぐな瞳に嘘はなかった。
「ふふ、護衛はいりませんけど、味見役ならいつでも歓迎しますよ」
「ありがたい! では、このポテトサラダをおかわりだ!」
「はいはい」
こうして、最後の砦だった冷徹な側近も、マヨネーズと燻製の香りに包まれて陥落したのだった。
しかし。
そんな穏やかな夜は、一羽の使い魔の到着によって破られることになる。
バサササッ!
厨房の窓から、黒い蝙蝠が飛び込んできた。
足には緊急の書状が結ばれている。
「む? これは南方諜報部からの……」
ヴァルガスが酔いを瞬時に醒まし、書状を開く。
その表情が、一瞬にして険しいものへと変わった。
「どうしたんですか?」
「……姉御。悪い知らせだ」
ヴァルガスは書状を私に見せた。
そこには、私の故郷である人間界の王国の現状が記されていた。
『聖女リリィの失策により、王国の穀倉地帯が壊滅。食糧危機により暴動発生』
そして、続く一文に私の背筋が凍った。
『カイル王子、及び勇者選抜隊が国境を突破。「元凶である悪女エレノアを奪還し、その魔力で大地を浄化させる」との名目で、魔王城へ向けて進軍中』
「……は?」
私はあまりの身勝手さに、言葉を失った。
私を追放しておいて、自分たちが困ったら連れ戻す?
しかも「悪女」呼ばわりしたまま?
「ふざけないでよ……」
ギリッ、と奥歯を噛み締める。
手の中の木べらがミシッと音を立てた。
「姉御?」
「ヴァルガスさん。魔王様に伝えてください」
私は調理台に木べらを叩きつけた。
「今度の敵は、食材じゃありません。……本当の意味での『害獣』駆除の時間です」
私の目には、これまでにない怒りの炎が宿っていた。
美味しいご飯と平穏な暮らしを邪魔する奴は、元婚約者だろうが王子だろうが、絶対に許さない。
魔王城対人間界。
その戦争の火種は、意外なほど早く燃え上がろうとしていた。




