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『限界魔王を餌付け中。 ~生贄令嬢は、死にかけの魔王様を「唐揚げ」と「ビール」で完全蘇生させました~』  作者: 月雅


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第4話 魔王様、居酒屋のカウンターで愚痴をこぼす

魔王城の地下二階。

かつては反逆者を閉じ込める拷問部屋として恐れられていたその場所は、今や城内で最も温かい場所へと変貌を遂げていた。


石造りの冷たい壁は、私の土魔法(生活魔法レベルだが)で温かみのある木目調に改装され、天井からは『灯火草』を入れた赤いランタンが吊るされている。

入り口には、使い古したマントをリメイクした紺色の暖簾。

そこには白く染め抜かれた『魔王城酒場 エレノア』の文字。


ガラガラガラ。

引き戸を開けると、香ばしい出汁と味噌の匂いがふわりと漂ってくる。


「いらっしゃいませ!」


私がカウンターの中から声を上げると、今日の一番客が疲れ切った足取りで入ってきた。


「……うう。やっておるか、エレノア」


「お待ちしておりました、魔王ゼッド様。今日もお疲れのようですね」


定位置であるカウンターの一番奥の席に、ゼッド様がドサリと座り込む。

その顔には「激務」の二文字が張り付いていた。

イケメンが台無しである。


「聞いてくれ、エレノア。四天王の会議が酷かったのだ。西の吸血鬼公爵は『日焼けが嫌だから昼間の会議には出ない』と駄々をこねるし、北の氷結将軍は会議室を凍らせて『これが私の適温です』などと宣う。余は、余は寒かったのだ……!」


「それは災難でしたね。とりあえず、温かいおしぼりをどうぞ」


【厨房召喚】で出したタオルウォーマーから、アツアツのおしぼりを取り出して手渡す。


「ふぅぅ……。温かい……。お主の気遣いだけが、荒んだ心に染みる……」


魔王様は顔をおしぼりに埋めて悶絶している。

世界の覇者たる魔王が、おしぼり一本でここまで癒やされるとは。魔界の労働環境、本当に是正が必要かもしれない。


「さて、まずは一杯いかれますか?」


「頼む。今日はいつもの『生』ではなく、もっとこう、ガツンとくるやつがいい」


「承知しました。じゃあ、今日は『ハイボール』にしましょうか」


私は氷河の氷をアイスピックで砕き、グラスにたっぷりと入れる。

そこに注ぐのは、ドワーフ族が作った熟成期間三十年の蒸留酒(ウイスキーに近い)。

最後に強炭酸水を注ぎ入れ、マドラーで縦に一回だけステアする。


シュワッ!

琥珀色の液体の中で、炭酸の泡が元気に立ち上る。


「はい、ドワーフ・ハイボールです」


「おお……この色、美しいな」


ゼッド様はグラスを傾け、喉を鳴らした。

ウイスキーの芳醇な樽の香りと、炭酸の爽快感。それが疲れた脳を直撃する。


「カァーッ! 効く! 喉が熱いが、それがいい!」


「では、お通しをお出ししますね。今日はちょっとヘルシーに『厚揚げ焼き』です」


私は厨房の奥から、水切りしておいた木綿豆腐を取り出した。

もちろん、ただの豆腐ではない。

魔界の火山地帯で育つ『マグマ大豆』を使った豆腐だ。

この大豆、普通に煮ると辛いのだが、豆腐に加工すると濃厚なクリーミーさが際立つのだ。


豆腐を厚めに切り、高温の油へ投入する。


ジュワァァァァァ……!


豆腐の表面が瞬時に揚がり、きつね色に変わっていく。

中はふっくら、外はカリッ。

その絶妙なタイミングを見極めて引き上げる。


包丁で食べやすい大きさにザクザクと切り、皿に盛る。

その上から、刻んだ『薬効ネギ』と、すりおろした『金剛生姜』をたっぷりと。

仕上げに醤油を回しかければ、ジュッという音と共に焦げた醤油の香りが立ち上る。


そして最後に、私の切り札。

『踊る鰹節』をふわりと乗せる。


「どうぞ。熱いうちに召し上がれ」


「うむ。……おお、生き物のように動いているぞ?」


鰹節が熱気でゆらゆらと揺れる様を見て、ゼッド様が目を丸くした。


「ふふ、生きてはいませんよ。さあ、ハフハフしながら食べてください」


ゼッド様は箸で厚揚げを持ち上げた。

カリッとした衣の感触が箸先から伝わってくる。


パクリ。


「熱っ……! ハフ、ホフ……!」


口の中で、カリカリの表面が砕ける。

次の瞬間、中から熱々の豆腐がとろりと溢れ出す。

マグマ大豆特有の濃厚な豆の甘みが、生姜醤油のキリッとした塩気と混ざり合う。


「んん~っ! これは……! 外側の歯ごたえと、中の柔らかさの落差が素晴らしい! それにこの生姜の爽やかさが、酒を進ませる!」


ゼッド様はハイボールを流し込んだ。

揚げ物の油っぽさを、炭酸が洗い流していく。

完璧なコンボだ。


「気に入っていただけて何よりです。さて、メインディッシュの準備もできていますよ」


私は厨房の奥でコトコトと煮込んでいた大鍋の蓋を開けた。


もわぁぁぁ……。


立ち上る湯気と共に、濃厚で複雑な香りが広がる。

味噌の甘い香り、肉の野性的な香り、そして根菜類の土の香り。


「その匂いは……なんだ? 嗅いだだけで唾液が溢れてくるのだが」


「『バーサーカー・ボアのモツ煮込み』です」


バーサーカー・ボア。

直訳すれば狂戦士猪。

魔界の森を暴走する巨大な猪で、その肉はスタミナの塊だが、特に内臓モツは臭みが強くて誰も食べたがらない部位だった。


だが、居酒屋店主だった私にかかれば、臭みは旨味に変わる。


下処理として、モツを何度も茹でこぼし、臭みを完全に抜く。

それを、魔界の根菜『オニ大根』や『地獄人参』と一緒に、特製の合わせ味噌でじっくり三時間煮込んだのだ。

隠し味には、臭み消しと風味付けのためにニンニクと生姜、そして少しの林檎酒を加えている。


私は小鉢にたっぷりとモツ煮をよそい、刻みネギを散らした。

そして、その横に小さな小瓶を置く。


「お好みで、この『七色竜のスパイス』をかけてください。ピリッとして味が締まりますよ」


いわゆる七味唐辛子の異世界版だ。


ゼッド様は小鉢を受け取ると、まずはスープを一口啜った。


「……ほう」


ため息が漏れる。


「深い……。深淵のように深い味だ。味噌という調味料は偉大だな。身体の芯から温まる」


次に、トロトロに煮込まれたモツを口へ。


「……柔らかい! 噛む必要がないほどだ!」


口に入れた瞬間、モツの脂が舌の上で解ける。

臭みなど微塵もない。あるのは凝縮された肉の旨味だけだ。

一緒に煮込まれた大根も、中心まで味噌色が染みていて、噛むとジュワッとスープが溢れ出す。


「これは……酒も進むが、何より心が落ち着く味だ。母の胎内にいるような……いや、母の顔など知らぬが、きっとこのような安心感なのだろう」


ゼッド様は『七色竜のスパイス』をパラリと振った。

ピリリとした刺激が加わり、濃厚な味噌味の輪郭がはっきりとする。


「うまい。本当にうまい……」


彼はしみじみと呟き、ハイボールを飲み干した。

そして、どこか遠い目をしてポツリと言った。


「なぁ、エレノア」


「はい?」


「余は……本当は、世界征服などしたくないのかもしれん」


唐突な告白だった。

私は手元のグラスを拭く手を止めた。


「どうしてまた、急に?」


「余は生まれたときから魔力が強かった。だから当然のように魔王にされ、当然のように人間と戦うことを強いられた。だが……」


彼は空になったグラスを見つめる。


「余が本当に欲しかったのは、広大な領土でも、絶対的な権力でもなかった気がする。……ただ、こうして」


彼は顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。

その瞳は、酔いのせいか、それとも照明のせいか、潤んで揺れていた。


「温かい飯を食い、うまい酒を飲み、誰かと笑い合う。……余が守りたかったのは、こういう時間だったのではないかと思うのだ」


店内には、鍋がコトコトと煮える音だけが響いている。

魔王様の言葉は、本心からのものだった。

激務とプレッシャーの中で、彼はずっと孤独だったのだろう。


私は微笑んで、新しいハイボールを彼の前に置いた。


「だったら、まずは魔王様ご自身が幸せにならないといけませんね。上が不幸な顔をしていたら、部下も民も笑えませんから」


「……そうだな。其方の言う通りだ」


「それに、人間界を滅ぼしてしまったら、お酒もお醤油も手に入らなくなりますよ?」


「なっ! それは困る! 非常に困る!」


ゼッド様は本気で焦った顔をした。

さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。


「よし、決めたぞエレノア。余は世界征服の方針を転換する! 『武力による制圧』ではなく、『食文化による平和的統治』を目指すのだ!」


「ふふ、壮大な目標ですね。でも、それなら私も協力しますよ」


「うむ! 頼もしい限りだ。……それに、これからも余のそばで、うまい飯を作ってくれると嬉しい」


「え?」


ゼッド様は少し顔を赤くして、視線を逸らした。


「いや、その……胃袋を掴まれたというのは、こういうことなのだろうな」


ボソリと呟かれたその言葉に、私の心臓がトクンと跳ねた。

え、今のってどういう意味?

ただの雇用契約の話よね?


私が返答に困っていると――


バンッ!!


「姉御ーっ! 今日も席空いてるかー!?」


空気を読まない大声と共に、引き戸が勢いよく開けられた。

入ってきたのは、竜人の側近ヴァルガスだった。

その後ろには、仕事を終えた魔族の兵士たちがぞろぞろと続いている。


「あ、ズルいぞヴァルガス! 俺が先に座るんだ!」

「昨日の『イカリング』が忘れられねぇんだよ!」


「あ……」


ゼッド様との二人きりの時間は、一瞬で喧騒にかき消された。


「ちっ、ヴァルガスめ……。いいところだったのに」


魔王様が小さく舌打ちしたのを、私は聞き逃さなかった。

でも、その顔は怒っているようには見えなかった。

賑やかに入ってくる部下たちを見て、どこか嬉しそうに目を細めていたからだ。


「いらっしゃい! みんな詰めて座ってね!」


私は気持ちを切り替えて声を張り上げた。

魔王城の地下居酒屋は、今夜も大繁盛の予感だ。


そして数日後。

この平穏な日々に、巨大な影が忍び寄る。

それは食材の話ではなく、本当の意味での「怪物」の襲来だった。


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