第2話 魔界の食材は宝の山? 「コカトリスの唐揚げ」
魔王城での朝は早い。
窓のない地下牢のような部屋を与えられるかと思いきや、魔王ゼッド様の計らいで、厨房の隣にある清潔な客室を使わせてもらえることになった。
「さて、と。今日も働きますか!」
私は寝起きの顔をパパンと叩いて気合を入れる。
昨晩の雑炊で一命を取り留めた魔王様だが、長年の不摂生と激務で痩せ細った体は、まだまだ栄養を欲している。
今日のミッションは「ガッツリ肉料理」。
それも、弱った胃腸でも受け入れられ、かつエネルギーになるもの。
……矛盾しているようだが、居酒屋にはそういう魔法のメニューがあるのだ。
私はエプロンの紐をキュッと締め、厨房へと向かった。
◇
「おはようございます、魔王様」
厨房に入ると、そこには既にゼッド様がいた。
昨日のボロボロな姿とは違い、今日は漆黒のローブをビシッと着こなしている。
ただ、その端正な顔は相変わらず青白く、まるで幽霊のようだ。
「……おはよう、エレノア。その、腹が……」
「わかっていますよ。朝ごはんですね」
「うむ。昨日の味が忘れられなくて、執務が手につかないのだ」
魔王様は恥ずかしそうに頬を掻いた。
世界を恐怖させる魔王が「ご飯待ち」で厨房をうろうろしているなんて、人間界の誰も信じないだろう。
「すぐに用意しますね。でもその前に、食材の確認をさせてください」
私は昨日は見なかった、さらに奥の保冷庫へと足を踏み入れた。
冷気が漂う巨大な石造りの部屋。
そこには、魔界特有の食材が乱雑に積み上げられていた。
「うわ……これ、全部食材?」
紫色の斑点があるキノコ。
触手がうねうねと動く巨大なタコのような足。
そして、一番目を引いたのは――。
「こ、これは……コカトリス!?」
部屋の中央に吊るされていたのは、石化の邪眼を持つと言われる魔物、コカトリスの肉だった。
人間界ではSランク指定の危険生物で、討伐された死体を見ることでさえ稀だ。
「ああ、それは先日の遠征で討伐したものだ。毒はないはずだが、肉が硬すぎて食用には向かん。廃棄する予定だったのだが」
ゼッド様が申し訳なさそうに言う。
「硬い? 廃棄?」
私は目を丸くした。
近づいて肉質を確認する。
確かに筋肉質で弾力が強いが、その分、脂身は黄色く輝き、極上の地鶏のような甘い香りが生の状態でも漂っている。
「もったいない! これ、最高級の鶏肉ですよ!」
「鶏肉……? しかし、我々の料理人が焼いたときは、ゴムのようで噛み切れなかったぞ」
「それは調理法の問題です。この肉は『漬け込み』と『二度揚げ』で化けるんです」
私はニヤリと笑った。
料理人としての血が騒ぐ。
この強面の食材を、極上の逸品に変えてみせよう。
◇
まず、コカトリスのモモ肉を一口大にカットする。
包丁を入れると、ザクッという心地よい感触が返ってきた。
やはり筋肉の繊維は太いが、鮮度は抜群だ。
これをボウルに入れ、スキル【厨房召喚】で取り出した調味料を投入する。
・特選醤油
・料理酒
・すりおろし生姜
・すりおろしニンニク(さらにたっぷり)
「朝からニンニクは刺激が強いかもしれないけど、スタミナ回復にはこれしかないわよね」
ボウルの中で肉とタレを揉み込む。
肉の繊維に味が染み渡るよう、愛と力を込めてマッサージ。
コカトリスの肉がタレを吸い込み、艶やかな飴色に変わっていく。
「……なんだ、この刺激的な香りは」
背後でゼッド様が鼻をひくつかせている。
醤油とニンニクが出会った香りは、種族を問わず食欲中枢をダイレクトに殴りつけるのだ。
「まだですよ。ここからが魔法です」
私は味が染みた肉に、片栗粉をたっぷりとまぶした。
小麦粉ではなく片栗粉を使うのが、私のいた居酒屋流。
これで衣がカリッカリに仕上がる。
鍋に魔界の植物油を注ぎ、火にかける。
温度は170度。菜箸を入れて、細かい泡がシュワシュワと出るくらい。
「行きますよ……!」
ジュワァァァァァァ……!
肉を投入した瞬間、厨房に爆発的な音が響いた。
油の跳ねる音。
水分が蒸発する音。
それらが重なり合い、食欲をそそる低い重低音を奏でる。
香ばしい揚げ物の匂いが、換気扇のない厨房から城全体へと拡散していく。
それはまさに「匂いのテロ」だった。
一度取り出し、少し休ませてから、今度は高温で二度揚げする。
これで表面の水分を飛ばし、カリカリの食感を生み出すのだ。
「よし、揚がった!」
網の上に引き上げられたのは、黄金色の塊。
衣は恐竜の肌のように荒々しく立ち上がり、油を切るたびにパチパチと音を立てている。
『コカトリスの特製唐揚げ ~ニンニク醤油仕立て~』
皿に山盛りにし、彩りにレモン(のような酸味のある果実)を添える。
そして忘れてはならない相棒。
炊きたての『月光米』を茶碗によそえば、最強の定食の完成だ。
「さあ、召し上がれ!」
しかし、ゼッド様が手を伸ばそうとしたその時だった。
バンッ!!
厨房の扉が乱暴に蹴破られた。
「曲者め!! 陛下から離れろ!!」
入ってきたのは、鋭い眼光を持つ巨漢の男だった。
頭には立派な二本の角。背中には畳まれた翼。
竜人族だ。
「ヴァルガスか。戻っていたのか」
「陛下! ご無事ですか! 城内に異臭が充満していると聞いて駆けつけました!」
ヴァルガスと呼ばれた側近は、私を睨みつけると、腰の剣に手をかけた。
「貴様だな、人間! その毒々しい匂いを放つ物体で、陛下を毒殺しようなどと!」
「毒殺? 失礼な。これは朝ごはんです」
「黙れ! コカトリスの肉だと!? あんな硬い肉、陛下のような高貴な御方が食せるはずがない! やはりこれは罠……」
「いいから、ヴァルガス。お前も食えばわかる」
ゼッド様が呆れたように言い、皿から唐揚げを一つ掴み取った。
「へ、陛下!? なりませぬ、毒見は私が!!」
ヴァルガスは慌ててゼッド様の手から唐揚げを奪い取ると、決死の覚悟でそれを口に放り込んだ。
「ぐっ……! この私が身代わりとなって……!」
ガリッ。
厨房に、小気味よい音が響いた。
ヴァルガスの動きが止まる。
ザクッ、ジュワッ。
硬いと信じていた肉に歯が沈み込む。
カリカリの衣を突破した瞬間、中に閉じ込められていた熱々の肉汁が、爆発するように口の中に溢れ出した。
「んっ……!?」
ヴァルガスの目がカッと見開かれる。
濃いめの醤油味。
パンチの効いたニンニクの香り。
それらがコカトリスの濃厚な脂と混ざり合い、強烈な旨味となって脳髄を駆け巡る。
硬いはずの肉は驚くほどプリプリで、噛めば噛むほど味が出る。
「な、なんだこれは……! 肉か? 本当にあのゴムのようなコカトリスなのか!?」
「ごはんも一緒にどうぞ」
私はすかさず、白米を差し出した。
ヴァルガスは無意識にそれを受け取り、唐揚げの余韻が残る口へ白米をかき込んだ。
濃い味付けの脂を、白米が優しく受け止める。
米の甘みと肉の塩気。
それは至高のマリアージュ。
「う、うまい……! なんだこの破壊力は! 米が止まらん! 止まらんぞ!」
厳格そうだった竜人の騎士団長が、涙目になって白米をかっこんでいる。
その隙に、ゼッド様も待ちきれない様子で唐揚げに手を伸ばした。
「……ふむ。熱っ……! ハフハフ……ん!!」
魔王様もまた、目を見開いた。
「すごいぞエレノア! 衣はサクサクなのに、中はトロトロだ! 昨日の雑炊も良かったが、この暴力的なまでの旨味……力がみなぎってくるようだ!」
「でしょう? 揚げ物は元気の源ですから」
「おかわりだ! ヴァルガス、貴様ばかり食うな! それは余の分だぞ!」
「へ、陛下! これは毒見です! まだ安全とは……うまっ、この皮の部分が特にうまい!」
いつの間にか、二人は競うように箸を(まだフォークだが)動かしていた。
山盛りだった唐揚げタワーが、みるみるうちに消えていく。
「ふふっ。たくさん揚げておいてよかった」
私はその光景を見ながら、次の肉を油に投入した。
ジュワァァァァ……。
心地よい音が、空腹の城に響き渡る。
この日、魔王城の食糧庫から「廃棄予定」の肉がすべて消え失せたことは言うまでもない。
そして、私の元に「あの茶色い宝石をもっとくれ」という魔族兵士たちの行列ができるようになるまで、そう時間はかからなかった。




