第八話 明日への覚悟
俺とライラは暁の環の本拠地から地上に出て、サンサーラの街の小さな宿で静かに時を過ごしていた。
「よし……これで全部揃った。」
書き終えた手紙の束を軽く整え、卓上に並べる。
祠での出来事。“御方”の正体、“魔王”のこと。
そして、俺の役割と、これから歩む道。
それらすべてを手紙に認め、暁の環の各拠点に送る同じ内容の七通を仕上げた。
「ショータ殿、お疲れ様。肩でも揉んでやろうか?」
ライラが湯気の立つ茶を運びながら微笑む。
「そうだな……少し頼むよ。」
そう答えた瞬間、ライラは嬉しそうに駆け寄り、
「よし! 私がたっぷりサービスしてやるぞ!」
ライラが笑みを浮かべ、俺を抱えてベッドにうつ伏せに倒した。
俺の背にまたがるライラの力強い指圧が始まる。
「ライラ! そこ……効くよ!」
「だろう? 私の指圧は天下一品だぞ。疲れなどすぐに吹き飛ぶ。」
確かに天才的だ。指先がまるで俺の筋の場所を見抜いているかのようだった。
「ショータ殿……」
ふいにライラの声が震えた。
「この数日間の幸せな時間を、一生忘れはしない……。私のわがままに付き合ってくれて……本当に……ありがとう……」
首筋に落ちた温かい雫で、ライラが泣いていることを察した。
「ライラ……? どうした……?」
振り返ろうとした瞬間、ライラが俺の背中を静かに押さえた。
「まだ指圧の途中だよ……このまま聞いてくれ。」
「……うん。」
「私は……自分でも驚いている。こんなにも一人の男に惚れ込んでしまうなんて……。
どうにも抑えられなかったんだ……」
言葉と一緒に、胸の奥で押し殺していた感情が零れていくのが伝わる。
「明日にはサンサーラを立つ。ショータ殿との二人の時間も、あと僅か……そう思うと……胸が張り裂けそうで……」
そして、かすれた声で続ける。
「でも……決めたんだ。
ターナに着いたら……以前のライラに戻る。この数日間の我儘な私は……明日の空に置いていくよ……」
「ライラ……」
震える体を、俺はそっと抱き寄せた。
狭い宿の部屋は、二人の熱気と切なさで静かに満ちていった。
――――
翌日。
天竜発着場。
「星牙、いい子にしてたか?」
鼻筋を撫でると、星牙は喉を鳴らすように嬉しげな息を吐いた。
「ショータ殿、手紙を預かった。天竜飛脚に渡してくる。」
「頼む、ライラ。俺は星牙に鞍と荷台を準備しておくよ。」
“サンサーラ天竜発着場”は国の経済中枢。
巨大なアーチ天井の下、天竜たちの翼が巻き起こす風が渦をつくり、荷馬車の車輪音、積み荷を運ぶ人々の怒号、蒸気の匂いが入り混じる。
そんな喧騒の中、声をかけられた。
「すみません。あなたがこの天竜の持ち主ですかな?」
振り向くと、頭にターバンを巻いた黒髭の太った男が立っていた。
「はい。そうですが……あなたは?」
「これは失礼。私はファルゴと申します。天竜の貿易商をしております。」
「ショータです。それで、ご用件は?」
「ええ、ずっとお話したいと思っておりましてな。」
「はあ……何でしょう?」
ファルゴは声を落とし、ひと息置いて言った。
「この天竜、私に売ってくださらんか?」
「……売る? 星牙を?」
「星牙というのですか。いやあ、降り立った瞬間に鳥肌が立ちましてな。」
「星牙は俺の相棒だ。売らない。帰ってくれ。」
ファルゴはひらりと手を振った。
「わかっていましたとも。売却の話は、少しカマをかけただけです。」
「どういうことだ?」
「では率直に。あなたの天竜――サンサーラ政府に狙われております。」
「……なんだと?」
「星牙は特別です。人を乗せて飛べる天竜など、他におりません。もし、このような天竜を増産出来れば、兵の空輸、大砲搭載の戦闘竜……サンサーラの軍事力は桁違いになる。」
「星牙は特別だが、俺の“選択の力”がなければ人を乗せられない。残念だったな。」
「ところが政府は星牙だけでなく“あなた”も狙っている。
暁の環に関わっていることも、把握済みです。」
「……ファルゴ。あんたは何者だ?」
「ただの商人ですよ。
サンサーラは今また、人間至上主義に向かっています。
ですが…。私はね、エルフと人が仲良くしてくれた方が、商売が平和で済むのですよ。」
「俺にどうしろと?」
「まず、政府筋の者には決して気を許さぬこと。
政府の間者は暁の環の道にも、シルヴァリス全土にもすでに潜んでいます。
そして…近いうちに、暁の環とサンサーラ政府は“道を違える”でしょう。その覚悟を。」
「どうして俺にそこまで教える?」
「信じるかどうかはあなたの自由。
ただね――“商の力”という授力を持っておりましてな。」
「商の力?」
「ええ。利益の流れ、人心の動き、そして近い未来の商機が見えるんです。
いわば、商人の勘が極限まで研ぎ澄まされたものですよ。」
そう言うとファルゴは星牙の首の下に手を入れ、小さな金具をつまみ出した。
「ショータさん、これを。」
「……発信機か。」
「政府の者が付けたのでしょう。ここで壊すと怪しまれます。街を離れてから海にでも捨てなさい。」
「なるほど……ありがとう。全部を信用したわけじゃないが、情報は助かった。」
そこへライラが戻ってきた。
「ショータ殿、お待たせ――ん? 誰だ、この人は?」
「商人のファルゴさんだ。星牙を見て話しかけてきたらしい。」
「では私はこれで。良い旅を。
――ショータさん、覚悟を。」
ファルゴは静かに礼をして去った。
政府ですら敵になる――その予感が背筋を冷やす。
ノブナが描いた第三の国家。
もしかすると、それこそがこの世界に必要なのかもしれない――そう俺は思い始めた。




