第三話 はじめのにんげん
白い魔法灯が照らす石畳の通路を進む。
繋いだライラの手は微かに震え、じっとりと汗ばんでいた。
「ショータ殿……。
暁の環が五百年守り続けてきた場所なのに、誰もこの先にある“真実”を知らない……。
五百年前の予言者に本当に会えるのだろうか……。
……私は、その答えに触れるのが少し怖い。」
「ライラ。俺は“選ばれた転生者”らしいからな。きっと大丈夫だ。」
俺はライラの震える手を包むように握り返した。
通路を抜けた先には、白い光に満ちた広い部屋が現れた。
目が慣れてくると、部屋の奥に椅子に腰掛ける人影が見える。
「……誰かいるのか?」
呼びかけると、人影は静かに答えた。
「よく来ましたね、迷いの転生者。
長い間、ずっとこの場所でお待ちしておりました……。」
若い女の声だ。
俺たちは慎重に歩みを進める。深緑色のローブを纏い、顔をフードで隠した存在は、ただそこにいるだけで強い気配を放っていた。
「私は暁の環の者です。
あなたが……“御方”なのですね?」
ライラが問うと、女は穏やかに頷いた。
「あなた達のことは知っています。
暁の環のライラさん。そして――迷いの転生者ショータさん。
そうです。私が暁の環を造り、皆に“御方”と呼ばれてきた予言者です。」
息を呑む。
その声音には、五百年の時を越えた確信があった。
「ライラさん。
今までよくこの地を護り、私の言葉を忘れずに転生者を連れてきてくれました。
心から感謝いたします。」
そう言って女はフードを外し、深く頭を下げた。
「……なんと、美しい……。」
ライラが思わず声を漏らすほど、現れた顔は若く整っていた。
二十代半ばほどの人間の女性――五百年を生きた者とは思えない。
「あなたは人間なのですか?
どうして五百年も、年を取らずに生きていられるんだ?」
俺が尋ねると、女は静かに口を開いた。
「そうですね。まずは私自身のことをお話ししましょう。」
彼女――御方は杖を軽く振った。
俺たちの前に、ふかふかの二人掛けソファが現れる。
「どうぞ、お掛けください。それから……。」
もう一度杖が振られ、湯気の立つ紅茶と焼きたてのクッキーが現れた。
「温かい紅茶と、お茶菓子をどうぞ。飲みながら聞いてください。」
甘く香ばしい匂いが広がり、部屋の緊張を少し和らげる。
「これは……あなたの能力なのか?」
「はい。どれもちゃんと食べられますよ。遠慮なく。」
促され、俺たちはソファに腰を下ろした。
すると、御方はふっと微笑み――
「ショータさん。――久しぶりですね。」
「え……⁈ どういう意味だ?」
「ふふ。あなたは私と既に会っていますよ。」
「そんなはず……俺はあなたを知らな――」
「その指輪。覚えていますね?
あなたは私から買ってくれました。
……お金を払ったのはリアナさんでしたけれど。」
「ま、まさか……⁈」
鼓動が跳ねる。
御方は、まるで悪戯を仕掛ける子供のように笑った。
「私はマルダ。
――“魔法使いマルダ”です。」
「だ、大魔法使いマルダ様⁈」
ライラが息を呑んだ。
「マルダだと⁈ でも俺の知っているマルダはもっと……」
「ルミエールのマルダは、エルフの姿を模して作った“私の思念体”です。
あなたが知るマルダの記憶は、すべて私の中に戻りました。」
「……じゃあ、俺の知っているマルダは……?」
「はい。
“二つの鍵”――導きのエルフと迷いの転生者が揃い、運命が動き始めたのを確認した時点で、あのマルダは役目を終えて消えました。」
本物のマルダ――御方は、静かに微笑んだ。
「そしてここからが、本当の“始まり”なのです。」
俺は深く息を吸い込み、尋ねた。
「あなたが人間であるならば、なぜ五百年も生きられる?
いや、魔法使いマルダは大戦前から“エルフの魔法使い”として天曜院にいたはずだ。
このエルフの弓も、あなたが造ったと聞いた。」
「今から私の人生をお話しします。その中で、私が五百年以上生きている理由が明らかになります。
ショータさん、ルミエールの私が見せた絵本を覚えていますか?」
マルダが杖を振ると、一冊の絵本がテーブルに現れた。
『王様とエルフの弓』
むかし、もりにかこまれたくにに、にんげんがやってきました。
はじめのにんげんは、やさしいひと。
がんじょうないえや、おんせんをつくってくれました。
つぎのにんげんは、りょうりがとてもじょうずでした。
エルフたちは、はじめてのあじにびっくりしました。
みっつめのにんげんは、きれいなふくや、じょうぶなくつをつくりました。
エルフたちは、にんげんがだいすきになりました。
……よっつめのにんげんがきました。
とてもつよくて、こわいひとでした。
エルフをいじめ、たべものをうばい、こどもにもひどいことをしました。
エルフはにんげんがこわくなりました。
にんげんは、もうこりごりだとおもいました。
エルフたちは、よっつめのにんげんをおいはらいました。
けれど、そのひとはだれもいないさばくで、ひとりでないていました。
「なかまがほしい」と。
すると――たくさんのにんげんがさばくにあつまって、くにをつくりました。
それが、サンサーラです。
やがてにんげんたちは、エルフのくににせめこんできました。
たくさんのエルフがしにました。
エルフのおうさまは、まほうつかいにたのみました。
「にんげんをたおすちからを」
まほうつかいは『エルフのゆみ』をさずけました。
おうさまがひくと、かぜがほのおをまきこみ、りゅうになりました。
たくさんのにんげんがやられ、よっつめのにんげんもしにました。
そして――エルフのくには、ふたたびへいわになったのです。
読み終えると、マルダは静かに語り出した。
「私は、この絵本に登場する“はじめのにんげん”。
この世界に転生した最初の人間なの。」
「はじめのにんげん……。」
「ええ。右も左も分からないまま、たった一人で転生しました。
神から与えられたのは“魔法の力”。
前世の私は、病で短い人生を終えた幼い子供……。
絵本の中の魔法使いに憧れていた私は、強く願ったその力を与えられたのでしょう。」
マルダに見つめられたライラが小さく頷く。
「私が最初に降り立ったのは、今のサンサーラの地。
魔法があったおかげで一人でも生きていけたけれど……寂しさには勝てなかった。
だから世界を歩き、ルミエールを見つけたのです。」
マルダは遠い目をした。
「ルミエールのエルフ達は素晴らしい人々でした。
初めて見る人間である私を、差別せずに受け入れてくれた。」
「そこで、あなたは文化を生み出したのか。」
「はい。
温泉、建物、衣服……生活の役に立つものを次々と。
星泉閣の温泉も、私の魔法が元です。」
「――“はじめのにんげんは、やさしいひと”か。なるほどな。」
「その後、サンサーラに私のような転生者が現れるかもしれないと思い、小さな家と保存食、生活に必要な物を用意しておきました。私に繋がる水晶もね。やがて、二人目、三人目の転生者が現れ、私は彼らをルミエールへ導きました。」
だが、そこでマルダの表情が曇る。
「そして……“よっつめのにんげん”。
それが、エルドです。」
「エルド……! エルド川の……」
「はい。
サンサーラの命とも言える大河に自分の名前を付けるほど、強烈な自己顕示欲を持つ人間でした。」
マルダは唇を震わせた。
「私が……彼をルミエールへ連れて行ってしまったばかりに……
この世界の秩序と調和が崩れてしまった……。」
溢れそうな涙を堪えるように、彼女は続けた。
「だから私は誓ったのです。
私が変えてしまったこの世界を、
エルドに会う前の――優しい世界に戻してみせる、と。」
マルダは目を伏せ、紅茶を一口、啜った。




