第七話 砂海の門に堕ちる恋
ターナでシュテンたちと別れた俺とライラは、星牙に乗って海上を飛んでいた。
戦闘時は頭部の鞍に跨り手綱を握るが、今回は旅路だ。
広い荷台に並んで座り、そこから星牙に指示を出している。
「荷台が広いから、長旅でも余裕だな。星牙には悪いが、俺たちは休みながら移動できる」
「私も、こんなに快適な旅は初めてだ。それに……」
ライラは何かを言いかけて、そっと口を閉じた。
「どうした? ライラ」
「いや……。ショータ殿、星牙は本当に素晴らしい」
この世界に来て初めて見る海――その果てしない青さに、思わず息をのむ。
「ショータ殿、このまま真っ直ぐ東へ。シオラという島の拠点がある。島とはいっても人口十万を超え、ターナに次ぐ要所だ」
「そんなに大きい拠点が海の上にあるのか?……ターナが襲撃された時、もっと早く援軍を呼べなかったのか?」
「海の道は海流が激しい。ターナからシオラまでは船で三日。天候次第では船を出せない日もある。だが――星牙なら半日だ」
「シオラから援軍が間に合わなかったのは、海路が厳しいせいか……」
「ほら、シオラが見えてきたぞ!」
「本当だ……もう“島”じゃなくて国だな、あれは!」
シオラの黄金の田園が眼下に広がる。豊かな土地と豊富な海の幸――サンサーラ国が誇る大都市だ。
「海産物か……食べてみたいな」
「ショータ殿、今日は寄らずにそのままサンサーラへ向かう。目的地は拠点ルーサ。サンサーラに最も近い“流砂の谷”の宿場町だ」
「せっかくなら魚料理を食べたかったんだけどな……残念だ」
俺の肩に、ライラが軽く腕を回す。
「そんなにがっかりしないでくれ。ルーサにも美味いものはあるさ」
しばし穏やかな空の旅が続く。
「ルーサまではまだ遠いのか?」
「シオラからルーサまでも船では三日。だが星牙なら半日で行ける。本当に天竜とは素晴らしい生き物だ」
「全くだ。二日くらい飲まず食わずで飛び続けられるし、たいした体力だよ」
「ルーサに着いたら星牙をしっかり休ませよう。その先は砂漠地帯。サンサーラへの道はさらに過酷になる。歩きではまず辿り着けない」
「ライラ。そんな場所をどうやって人間は開拓したんだ?」
「“砂竜”だ。砂の上を滑るように進む竜がいて、それを移動手段にした。ルーサは、その砂竜を乗り継ぐための宿場町なんだ」
「なるほど……。でもこんな道を、シルヴァリス王はどう攻めるつもりなんだろう」
「王はこの道の険しさを知っているはず。エルフの馬では踏破不可能だ。しかし――蝕人を生み出す連中だ。何をしてくるか分からない」
眼下にはシオラの実りの波が広がる。秋の豊穣の先に――遠い“冬の影”が見えた。
この世界でニ度目の冬を越えた時、俺たちの本当の戦いは始まるのだろう。
「ライラ、この世界……どうなって欲しい?」
ライラは目を細め、静かに答えた。
「私は……父が愛した母を知らない。けれど、人間とエルフの血が私の中には流れている。だからこそ望む。どんな種族でも、愛する者同士が幸せに生きられる世界を。
ショータ殿とリアナ様が幸せでいられる世界……そして、私やリオンのようなハーフエルフが胸を張って生きていける世界を」
「……そうだな。俺も願うのはそれだ。人間とエルフが争うだけの世界なんて、もう終わりにしたい。
俺は“鍵”として何ができるか分からない。でも、サンサーラに行けばきっと何か分かる気がする」
「“御方”について私も多くは知らない。ただ、“鍵となる転生者を守り連れて来ること”。父イズファルから託されたのはそれだけだ」
「行けば分かるさ。……俺はもう、大きな運命の流れの中にいる。自分に言い聞かせているのは一つ――“選択を間違えるな”。それだけだ」
「そうだな……ショータ殿の“選択の力”は未知の力。その力が未来に何をもたらすのか。私も見届けたい。
……父イズファルの意思が、ショータ殿を守れと、私の中で強く響いている」
星牙は、背に乗る俺たちを気遣うようにゆっくり翼を羽ばたかせた。
――――
「ショータ殿! ルーサが見えた!」
ライラの声で飛び起きる。どうやら眠っていたようだ。
「……ライラはずっと起きていたのか?」
「ああ、なんだか眠れなくてな……」
前方に視線を向ける。東の空から昇る朝日。海の果てに――オレンジ色の砂漠が広がっていた。
「あ、あれがルーサ……!」
湖を囲む白い街並み。魔法灯が明け方の空に瞬いている。
「ショータ殿、あの高台に星牙を降ろしてくれ。天竜の着陸場だ」
星牙が降り立つと、ルーサの人々が集まってきた。ライラが一歩前に出て声を張り上げる。
「私はライラ! 拠点ジュラの頭領イズファルの娘だ!
暁の環に伝わる二つ目の鍵、“迷いの転生者”を“御方”へお連れする!」
ざわめく群衆。視線が俺に集まる。
「こ、こんにちは……ショータです……」
パチンッ!
「もっと堂々と言え! ショータ殿!」
その時、ターバンを巻いた堂々たる男が現れた。
「真実なのか、ライラ」
「ルーサの頭領、ラシード様! ……はい。詳しくは館で」
「二人を迎え入れろ! 天竜には休息を与えてやれ!」
――――
「ショータ殿、まずは風呂で旅の疲れを癒やせ。その間に食事を用意しておく。落ち着いて話を聞かせてもらおう」
「ショータ殿、ルーサの温泉はなかなかだぞ」
「この世界の温泉はどこも最高だからな……楽しみだ」
――――
湯気の立つ岩風呂に浸かっていると――。
「ショータ殿、湯加減はどうだ?」
「ラ、ライラ!? ここ男湯じゃ……!」
「ルーサには貸切風呂がいくつもある。ここは“ショータ殿と私の”貸切風呂だ」
「ま、待てよ! ライラは別の風呂に……!」
「そんなに嫌がられると、さすがに傷つくんだが……」
ライラは寂しげに微笑んだ。胸が少し痛む。
「嫌ってるわけじゃ……ない。ただ、色々と……」
「ショータ殿。私は……女だ。惚れた男が側にいれば、気持ちが溢れることもある」
――静かに告げられた想い。
「いつからか……ショータ殿を考えると胸が苦しくなって……どうしたらいいか分からなかった」
「ライラ……」
「バースでリアナ様の隣に立つあなたを見る度に、息ができないほど苦しかった。星牙の背で二人きりの夜……私は、眠るあなたに……唇を重ねてしまった。ごめんなさい……」
震える声。あの強いライラが、こんな表情を見せるなんて。俺はそっと手を握った。
「気持ちは……伝わったよ」
ライラは胸に額を押し当て、小さく囁いた。
「今だけでいい……少しだけ、こうしていてくれないか」
「……ああ」
寄り添うだけの抱擁。それだけで、彼女の震えはゆっくりと収まっていった。
「……今はこれで十分だ。私は幸せだよ……」
――――
ラシードの館はルーサの中心にあり、街は砂嵐から守る岩壁に囲まれていた。館の窓からは中央の泉が見える。砂漠のオアシスそのものだ。
「二人とも、長湯しすぎたか? のぼせているようだが」
ラシードが笑う。
「いや……少し砂風呂に入り過ぎたようだ」
視線を横に向けると、ライラの赤褐色の肌がいつもより艶やかだった。
「私も久しぶりの湯で長く浸かり過ぎてしまった。待たせてすまない、ラシード様」
「構わんさ。さて座ってくれ。ルーサ名物の魚介料理も用意しておいた。食べて飲んで、ゆっくり話そう」
ラシードは銀の盃にワインを注ぎ、掲げた。
「よく来てくれた、転生者ショータ殿。まずは乾杯だ!」
俺たちはワインで喉を潤し、海で獲れた魚介の旨味に舌鼓を打つ。
「砂漠で新鮮な魚を食べられるとは……美味い!」
「言っただろ? ルーサにも美味いものはあるってな!」
ライラは少し酔っているらしい。俺も酔っているのか、ライラがいつも以上に美しく見える。
「しかしライラ、お前はますます綺麗になったな! 兵どもが騒いでいたぞ」
ラシードが笑う。
確かにライラは美しかった。赤褐色の肌、引き締まった身体、美しい顔立ち。さっきの温泉の出来事が頭をよぎり、胸がざわつく。
「悪いか? これでも片想いに悩める乙女だ」
ライラは俺にウインクした。
「そうかそうか。ライラも悩むことがあるのだな」
ラシードはワインを傾けた。
「さて、ショータ殿。聞かせてくれ。あなたが転生者であると証明できる話を……」
俺はこの世界に降り立ってからの出来事を語った。ラシードたちは真剣に耳を傾け、気づけば夜になっていた。
「なるほど……黒梟は本当の敵ではなかったのか……。五百年前の王が蘇るとはな」
「蝕人が厄介なんだ。バースでは蝕人の予防血清と、蝕人化した者を戻す薬を作っている。一つ目の鍵、“導きのエルフ”リアナはそこで働いている」
「暁の環の四拠点は、シュテン様と朧のレキル、アオダ、ツムリが復興を始めている。黒梟の人工兵も今は仲間だ」
「ふむ……最強“朧影の刃”イズファルが倒れ、その娘がライラだったとは……」
「私も知らなかったことです。父イズファルとハーフエルフの母の間に生まれたのが私で……おかげで雷と膂力、そして“忍の力”を受け継いだ」
「とんでもない能力だな。ライラ、ショータ殿の護衛を頼んだぞ」
「任せてください。私はショータ殿を護るために存在しているんだから」
「ライラ、明朝にはサンサーラへ向かうのか?」
「はい。星牙なら日暮れまでには着けるでしょう」
「人を運ぶ天竜か……ショータ殿の力で手懐けたらしいが、大したものだ」
「俺の力が役に立つかは分からない。でも、みんなが信じてくれているから……サンサーラで御方に会い、未来に貢献できるよう頑張るよ」
「頼むぞ、ショータ殿。我ら暁の環は春の戦いに備える一方で、予言の三つ目の鍵も探すつもりだ」
「ラシード様、今日話した内容をシオラにも伝えてほしい。私たちは寄らずに来たもので」
「分かった。シオラの頭領エースには私から伝えておこう」
「ありがとう、ラシード様」
「こちらこそだ。二人とも、今日はゆっくり休んで明日に備えるといい」
――――
別々の部屋のはずだったが――気づけばライラは俺の寝室にいた。
断り切れなかった。……だが、それ以上のことは何もしていない。少なくとも“俺からは”。
ライラはただ寄り添い、旅の疲れを癒やすように俺を支えてくれた。
そんなふうに……思うことにした。




