第五章 運命の指輪
露天風呂で汗を流した後、しばらくすると、部屋には豪華な懐石料理が運ばれてきた。
なんと、女将が直々に配膳を始める。
「セレナ様、ショータ様、心より御礼申し上げます。今日市場に出ていたトマスより、お二人の薬店の評判を伺いました。」
「そんな、小さな貸し露店でお客様にもご迷惑をお掛けしながらで…」
リアナ(セレナ)は照れくさそうに下を向く。
「セレナ様の煎じ薬は、本当によく効くそうで、私の母も喜んでおります。」
「お母様が私の薬を…ありがとうございます。」
「母はスタラと申します。」
「あっ!今日の…」
俺は思わず声を出してしまった。
スタラさんは足が悪く、家で静かに暮らしていたが、リアナの薬で日々少しずつ歩けるようになったそうだ。
配膳を終えた女将に、リアナは丁寧にお礼を述べ、心からの笑顔を返した。
「世の中は広いのか狭いのか。でも、リアナの優しさが全ての良い出来事を引き寄せてるんだと思う。」
「ありがとう、ショータ。世の中の人がみんな優しさで満ち溢れたらいいわね。」
(リアナ、俺も本当にそう思う。)
「さあ!豪華なお料理、冷めないうちにいただきましょう!私はお酒もいただくわよ!」
「いただきまーす!」
⸻
豪華な懐石料理は、上品でありつつも、どれも忘れられないほど美味だった。
「本当に、美味しかったわね」
「一生忘れられない贅沢な時間だ。トマスに感謝しないと」
リアナの猪口に酒を注ぐ。
「俺、今日一日でリアナからたくさん学んだ気がするよ」
「私はショータを見てきて思うの。すごく繊細で純粋。まるで透き通った湖の水の様。だからこそ、良くも悪くも染まりやすい危うさを感じるわ。おこがましいけれど、私はあなたを正しく導きたいの。
スケベなところは…私もそうだから……、許してあげる」
リアナは少し顔を赤らめた。
「俺は、以前は臆病で自信が持てない人間だった気がする。でも、リアナと暮らして、心も体も少しは成長したと感じてる」
「今日、助けてあげたトマスがショータにかけた言葉、覚えてる?」
(…? なんか言ってたっけ)
「そこの強そうなお兄さん!って言ってたのよ」
「気づいてる?以前に比べて背も伸びて、体つきも倍ぐらいになってるのよ」
「たしかに筋肉はついたかも…」
「私が縫い直したあなたの最初の服、きつくて着れなくなってたでしょ?」
(確かに着れなくて…てっきり洗濯で縮んだんだと思ってたわ)
「その成長の速さは、普通の人間の比じゃないわ」
「もしかして、『選択の力』…」
「そう、もしかしたら『選択の力』が、あなたの進化に影響してるって考えてみるのも面白いと思わない?」
「そんなことが?俺はただ、リアナの裸が見たいとか、おっぱいを触りたいとか、エロいことを考えた時だけ発動するお馬鹿な能力だと諦めていたけど…」
「あなたのその力、ただのスケベな力じゃないはずよ」
「そうだな、もっと試してみるか。力を信じて。」
「そうこなくちゃ!
私ね、ずっと考えていたの。
ショータ、冬の間に、弓の練習をしてみない?」
「弓?」
「そう、エルフの男達は弓の達人で、私の父も凄腕だったわ。私が森に出て来た時、父が夫に持たせたエルフの弓が家の屋根裏に隠してあるの」
「薪割りで力も付いたし、今の強そうなショータならきっと使いこなせるわ」
「へー、やってみたいな。上達すれば森でウサギや鹿も狩れるかも」
「本当?楽しみだわ!森に帰ったら修行開始ね!」
諦めていた『選択の力』の謎解明に、一歩前進したようで、心も弾んだ。
(やっぱりリアナはすごいわ)
⸻
楽しい食事を終えた俺とリアナは再び露天風呂へ。
夜空に星が瞬き、湯気の向こうで肩を寄せ合うと、森の中での日常とはまた違った特別な時間が流れていた。
「旅先で、こうして一緒にいるのは、なんだかドキドキするわ」
「うん……リアナといると、どこにいても安心するし楽しい」
互いの手をそっと取り、時折肩に触れ合う。
湯に浸かりながら、静かに交わす笑顔や会話だけで、心の距離はどんどん近づく。
ショータは胸の奥に温かいものが広がるのを感じ、改めて思った。
(リアナと過ごす時間……これこそが、俺の宝物だ)
夜が深まるにつれ、湯船から上がった二人は、窓越しに広がる星空を見ながら布団に入った。
窓から差し込む月光に照らされるリアナの横顔に、ショータはそっと手を添える。
言葉にしなくても、互いに寄り添う安心感と幸福感が伝わる。
「愛してるよ、リアナ」
俺の腕に乗せたリアナの頭が小さく動く。
「わたしもよ、ショータ…愛してる」
⸻
翌朝。
秋の風は少し冷たいが、カエデに似た木々が紅く色づき、朝の陽光を浴びて暖かな色彩を放っている。
宿の広い庭園にあるオープンカフェで朝食をいただく。
温泉宿の和な雰囲気の中に、洋風モダンなカフェが和洋折衷で違和感なく馴染んでいる。
新鮮な卵と濃厚なバターで作る名物のオムレツと、名産の小麦から作られるフワッフワの白パンがこのカフェの名物のようだ。
バターの匂いとパンを焼く香ばしい匂いが食欲をそそる。
…ぐうー
「ショータお腹が鳴ったわよ」
「昨日はお腹がはち切れるほど食べたのに…」
「不思議よね」
「夢のようなひとときを頑張りすぎたかな……」
暖かい紅茶を飲みながら昨晩のリアナとの時間を想い、感慨に耽っていた。
「ショータ、なにかいやらしいことを思い出していない?」
リアナが顔を赤らめ、頬を膨らませている。
(ふくれっ面も可愛いなあ)
「今日は、中央市場と街中のお店を回るのよ!荷物が相当重くなるから覚悟してね。」
「任せてください!お師匠様っ!」
俺たちは、美味しい白パンとオムレツを頬張りながら、今日の買い出しの計画を立てた。
⸻
「女将さん、お世話になりました」
リアナと俺は深々と感謝の意を示した。
トマスも女将さんの横で手を振っていた。
「こちらこそ。
セレナ様は冬場、休業されると伺っております。母もお会いできるのを楽しみにしています。
また暖かな春とともに、お越しいただけるのをお待ちしております」
「ありがとう。また必ず来ますね」
「トマスも元気でな!」
女将さんは最後まで俺たちを見送ってくれ、トマスもいつまでも手を振っていた。
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中央市場は今日も人でごった返していた。
今日は客として、様々な店を回る日だ。リアナに教えてもらった『店旗』を頼りに、星が二つ以上の店で買い物をする。
「まずは食料品ね。保存食や調味料はすぐに売り切れるわ。森では手に入らないお肉も買っておきましょう」
「やった!肉だ!嬉しい!」
赤い三角旗の店には、乾燥肉やハーブ、燻製チーズ、穀物の樽が並んでいる。リアナは手際よく必要なものを選び、俺はせっせと荷物を運ぶ。
次に黄色の旗の店を巡り、保存食の瓶や酒、日用品を買い揃える。
冬用の外套や雪靴、ふかふかの羊毛毛布と羽毛布団まで積み上がり、さすがに荷物が限界に達した。俺たちは雑貨店で荷車を買う羽目になった。
「すごい量になったわね。今年の冬は楽しみなくらい、しっかり準備できたわ。昨日の市の成功と、ショータがいてくれるおかげね」
「一気に買いだめするのって、思ってた三倍は大変だな。尊敬するよ、師匠…」
リアナがくすっと笑う。
「最後に、ショータが気になってた魔法道具の店に寄ってみましょうか」
「えっ!いいの?」
「欲しいものがあれば言ってね。値段にもよるけど、買ってあげられるかも」
「それは楽しみだ!」
⸻
紫の旗を掲げた魔法道具店。
三ツ星を持つのは市場でたった一軒。リアナは迷わずそこへ足を向けた。
「おや、久しぶりだね、セレナ」
「そう?月に二回は市に来てるわよ、マルダ」
店主マルダは深い緑のローブを纏い、フードを深く被っていて顔はほとんど見えない。
「そっちの男は?」
「私の弟子。薬師見習いよ」
「ほう、そうかい…」
マルダの目が鈍く光り、俺を覗き込む。
「セレナ、その男は――」
「分かってるわ、マルダ。私は守りたいの」
「そうか。お前の好きにすればいい」
(なんだ今の会話…。気になるけど、俺はリアナを信じるしかない)
「マルダ、この弟子に役立つ魔法道具はある?」
「ふむ……弟子とやら、この玉に手をかざしてみろ」
水晶玉のような玉に手をかざすと、俺の視界に光景が流れ込んできた。
――リアナが、消えてしまう未来。
(嘘だろ…幻覚か?)
手が震える。リアナがそっと俺の手を握り、玉から離してくれた。
「ショータ、何か見えたの?」
「み、見てない!何も!」
動揺を隠せない俺に、マルダが低く告げる。
「見たのなら、それはお前の運命の一端だ。
過去か未来かは分からん。だが、選択次第で変えることもできる」
そして一つの指輪を差し出す。
二匹の蛇が絡みあった指輪だ。
マルダは指輪を二つに分ける。
「二つで一つの魔法の指輪だ。二匹の蛇は『不滅の愛』の象徴じゃ。守りたい者に片方を渡しておけ。時が来たら、この指輪がお前を運命から守るやもしれん」
「婚約指輪みたいね。私、この指輪が欲しいわ」
リアナは小悪魔のような笑みを浮かべた。
「お前の師匠も望んでいる。全てはお前の選択じゃ」
「……俺、この指輪が欲しい」
「うん。買ってあげる」
リアナがそっと抱きしめてくれる。マルダは小さく呟いた。
「毎度あり…『選択』を間違えるな…人間」
⸻
荷車を押しながら森へ戻る道。
木々の匂いと風が、街での疲れを癒してくれる。
「マルダは私の古い知り合いなの…。私の素性を知っている唯一のエルフよ」
「…!素性を…」
「大丈夫よ…。私も詳しくは知らないのだけれど、マルダも訳ありのエルフ。国外追放のね。おそらく名前も偽名でしょう。」
リアナは続けた。
「私が心を失って、ふらふらとルミエールの街に辿りついた時、あの中央市場でマルダと出会った。マルダは私の手を取り、あの玉にかざしたわ。」
(リアナも何かを見たんか!?)
「リアナは、何か見た…?」
「私は…明るい未来を見たの。大切な人を導く未来を…」
リアナの横顔が夕日の木漏れ日を受け、黄金に輝いている。
「私を守るため、セレナの名と森の結界を張った魔法使いマルダ。
あの人は、私に再び生きる希望をくれた恩人」
俺は左手薬指の指輪を見つめた。
「この指輪、私とっても嬉しいの。ショータとお揃いで…ずっと一緒にいられる気がする」
リアナは天に掲げた手を嬉しそうに眺める。
「ショータ、約束して。私を守って。私はあなたを導くわ…」
「……ああ、絶対に守る」
(俺の選択は――リアナを守る。それだけだ!)
森の道を並んで歩く二人。
言葉にしなくても、その絆は確かに結ばれていた。
続きは鋭意執筆中です。
次章、エルフの弓修行編が開幕します。