第八話 魂の行方
空を覆っていた黒い波紋が消え、傾く陽光に茜が差し始める頃――
王都シルヴァリスの民は一斉に行進を始めた。その数、およそ五十万。
ゆっくりと、しかし確実に。王都南側、湖畔沿いの高台にそびえる王城へと、人々の波が押し寄せていく。
「さっきまで王都の空が闇に包まれていたが……これは、一体何が起こっているのだ⁉︎」
東門を抜け、馬で疾駆する男――バルドランの顔に焦燥の色が走る。
「民はどうしてしまった! 中央大通りが人々で埋め尽くされ、通れんではないか!」
彼は手綱を強く引き、馬の進路を変えた。
「遠回りになるが、南の湖畔沿いから王城を目指す!……朧たちは、無事なのか!」
――――
その頃、レキルたちはハシバのいる尖塔を目指していた。
「ハシバは必ずあの塔にいる! 私とヒキガで奴を討つ!
ツムリ! ノブナはお前にしか止められん……役に立てずすまない。アオダ、ツムリの援護を頼む!」
「任せておけ! 疾風はワシが必ず守る!」
「レキル様……わ、わたし、頑張ります。だから、みんな……し、死なないで!」
ツムリとアオダは、ノブナが向かった天曜院の方角へと駆けていった。
「レキル! あの塔を見ろ!」
ヒキガが指さす。
ハシバの潜む尖塔――その異様な光景に、二人は息を呑んだ。
「……ハシバ。お前という人間だけは、どうしても許せぬ。」
レキルの唇が怒りに震える。
塔の外壁には、無数のエルフたちが張り付き、肉の壁となっていた。
その瞳は虚ろで、操られるままに塔を守っている。
塔の下には、落下したエルフの亡骸が山のように積み重なっていた。
「くっ……なんと卑劣な! このままでは攻撃できねえぞ、レキル!」
ヒキガの瞳も怒りに染まる。
――――
「うふふ……透明になるより、こっちの方が安全じゃなくて?
あの子たち、エルフを攻撃できないものねぇ。わたしって、ほんと天才!」
尖塔の頂で采配をくるくると回しながら、ハシバは楽しげに笑った。
「さぁ、王城の結界を破るまで進軍なさい! 可愛い傀儡兵たちよ!」
五十万の傀儡がうねる波のように王城へと進む。
その光景は、美しくもおぞましい――“生ける屍の行進”だった。
――――
王城は天曜院を中心に、広範囲の結界で守られていた。
その内側に満ちる清らかな光は、悪意の波を押し返している。
「ふむ……この結界、なかなかの代物だ。人間の我では破れぬか……」
ノブナは空中に浮かび、腕を組んで見下ろす。
「だが、ハシバの傀儡はエルフが素材。ならば奴らには、この結界――こじ開けられるやもしれぬな。」
ノブナの視線が王城の地下へと向かう。
「……やはり感じる。結界の内側、地下深くに奇妙な気配が混じっておるが……間違いない。
そこにいるのは、我の“ランマル”だ。」
――――
シルヴァリス城・謁見の間。
いつもの静謐は破られ、外では数万のエルフ傀儡が結界に押し寄せる音が響いていた。
長老会首座ファルネウスは、女王エルフィリアの御前に跪いている。
「黒梟の術に冒された王都の民、約五十万。この城に続々と集まっております。
人間には決して破れぬ魔法結界で守っておりましたが、この数のエルフが攻め込めば、いずれは崩壊いたしましょう。
我らに味方した人間の奮闘で敵の武将数名を討ち取ったとの報告もありましたが……事態は悪化の一途を辿っております。」
「されば、どうする。ファルネウスよ。」
エルフィリアの声には静かな威厳が宿る。
「――天曜院で開発した“新兵器”を試す時かと。」
「新兵器だと? 一体何なのだ。我はその詳細を聞かされておらぬが。」
「かの“蝕人事件”を覚えておられましょう。
原因となった『黒き虫』、そして“蝕人”そのもの――それらを徹底的に解析し、作り上げた『対人間兵器』にございます。」
「対人間兵器……だと?」
「はい。
王都のエルフ全てが操られている今、元凶である“人間のみ”を殲滅する手段が必要かと。」
「そんな都合の良い兵器があるというのか?」
「お任せください、エルフィリア女王。
エルフを蹂躙した人間どもには――天罰を下さねばなりませぬ。」
「……お前の言うとおりだ。
敵に洗脳される可能性がある限り、我が王国軍も軽々しく動かせぬ。
――ファルネウス、この戦、そなたに任せる。」
「御意。必ずや満足いただける結果をお見せいたしましょう。」
「……ファルネウス。分かっていると思うが――罪なき者を傷つけることは、決して許さぬぞ。」
「はい。重々、承知しておりますとも……。」
ファルネウスの瞳に、不穏な光が宿った。
――――
『王の部屋』。
リアナが意識を取り戻すと、筒の扉が静かに開いた。
筒から伸びた管の先――かつて水晶石だったものが、翡翠色の光を放っている。
リアナは衰弱した体を起こし、筒から這い出た。
「成功した……? これが“魂還薬”の源……。
水晶石が翠に輝く、美しい球体に変わっているわ……。」
彼女は胸に抱えていた文献を開き、震える指でその記述をなぞる。
「お父様の記述と一致している……これで、蝕人を元に戻せる……“魂還薬”を生成できる。」
リアナは掌に収まるほどに凝縮された“翠玉”を手に取り、静かに見つめた。
壁一面に並ぶ無数の筒。その中で眠る人間たちは、もはや魂を失い、完全な亡骸と化していた。
かつて聞こえた魂の呻きも、今はもう聞こえない。
「あなたたちの魂が、私の力となり、この翠玉を完成させてくれた。
私は――エルフの思惑で尊厳を奪われた人々を、必ず元の人間に戻してみせます。
……ありがとう。五百年、待たせてごめんなさい。どうか、安らかに。」
リアナは深々と頭を垂れ、祈りを捧げると、静かに“王の部屋”を後にした。




