第二章 百二十年のやさしさ
「私はね、人間と結婚していたの」
「えっ?」
「ショータは私が何歳だと思ってる?」
「25歳くらいかな」
「120歳よ」
(……120歳!?)
「びっくりしたでしょ? エルフは人間より長寿だから、年老いていく速さが緩やかなの。人間の十倍ほど長生きすると言われるから、800歳から1000歳まで生きるエルフもいるわ」
「1000歳! なんだか、気が遠くなるよ…」
「人間からすればそうよね。
この森から遥か西に、エルフの国『シルヴァリス』があるの。私の故郷よ。そこで人間の青年と偶然出会ったの。私がまだ90歳の頃よ」
(……90歳って、俺たちでいうと何歳くらいや?)
「90歳っていっても、あなたたち人間でいうと24、25歳くらいかな? 見た目も今とそんなに変わらないわ。その人間の青年もちょうど25歳だったわ」
リアナは少し遠くを見るように目を細め、声を落とした。その横顔には、淡い追憶の影が漂っている。
「ある日、シルヴァリスの森の中でその青年は薬草の研究をしていたの。とても落ち着いた物腰と、知識の深さを持った神秘的な青年に惹かれ、私は毎日会いに行っていたわ。そして、徐々に恋愛感情が芽生えたの」
(くっそお!
こんな綺麗なエルフに好かれるなんて! どれほど羨ましい人間なんや! めちゃくちゃ嫉妬してまうやん!)
「エルフの国シルヴァリスは閉鎖的で、外来者は基本的に入国できないの。その人間の青年は深い薬学の知識と薬の開発で国に貢献していたため、特別に研究による立ち入りが許されていた人間だったの…。」
リアナは膝の上で指を組みしめる。その白い指先はかすかに震えていた。
「だけど私は、エルフとして、やってはいけないことをしてしまった…。外来者に恋をしてしまったこと。もしエルフが人間に好意を抱けば『裏切り者』として処罰対象になるのに…」
「えっ…」
声が自然と低くなる。俺はリアナの肩越しに、震える横顔を見つめていた。
「私の想いと彼の想いは重なり、私たちはシルヴァリスを離れ、森の奥で一緒に暮らすことにしたわ。誰にも邪魔されず、この排他的な風潮から距離を置きたかったの」
「そうだったんだ」
俺は小さく頷いた。
「彼と過ごして10年後、100歳になった私は、やっと待望の子供を授かった。ハーフエルフの男の子。見た目は人間寄りだけど、耳や髪色にエルフの血がわずかに残る可愛い息子よ。夫もすごく喜んでくれたわ。でも…」
「もしかして……その子が原因で?」
「エルフの戒律で、ハーフエルフは忌子とされ、迫害の対象…。私は夫と共に森でこの子を守る覚悟を固めたわ。息子の純真な笑顔が、私と夫の心の支えだった。本当に幸せだった」
声を震わせながらも、リアナの瞳には一瞬だけ優しい光が宿った。
「今から5年前、14歳になった息子と夫は、わずかな生活費を得るために薬草や薬を街に売りに出かけたの。夫はもう50歳になっていたし、そろそろ息子にも薬師として生きる方法を教えるために。そして、素性を隠すために、嘘をつくことも教えるために…」
リアナの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「……でも、二人は帰って来ないの! いつまで待っても…。どうして…」
震える声に、胸が締めつけられる。俺はまともにリアナを見つめられなかった。
「いてもたってもいられず、私は二人を探しに街へ行ったわ。でも、二人は…」
言葉が途切れ、涙が頬をつたい落ちる。肩は小刻みに震え、嗚咽が堰を切ったように漏れ出した。
「もう、いい。リアナ! やめよう!」
俺は察した。エルフの戒律による不幸だと。これ以上は、彼女の心を抉るだけだ。
リアナの言葉にならない嗚咽だけが、静かな部屋に残る。
「ごめんなさい…。ショータ…」
かすかな声と共に、リアナは顔を伏せた。
俺は無意識に彼女を抱きしめていた。
その細い肩の震えを、ただ受け止めながら。
「俺こそ、ごめん…。リアナの優しさに甘えていたよ」
大馬鹿者の俺でも、やっと気づいた。
リアナが優しくしてくれる理由も、俺といたいと言ってくれた理由も、
こんな森の中で孤独に生きている理由も、すべてが今、つながった。
(俺は、リアナにとって『帰ってきた息子』やったんや…。)