第九話 皆殺しの序曲
俺たちは拠点ガンロを目指し、慎重に地竜の歩みを進めていた。
「砂漠の国『サンサーラ』と森の国『シルヴァリス』の間、広大な未開の地…。
ここは、先住種族のエルフでさえ足を踏み入れぬ危険な領域。くれぐれも気をつけてくだされ。」
先頭のイズファルも岩山の細い道を、地竜の背にしがみつきながら進む。
俺が跨る松風の甲高い呼吸が手綱に伝わる。
足元の石が崩れ、地竜が短く鳴いた。緊張が一行に走る。
イズファルが低い声で語り始めた。
「五百年以上前、人間はこの地を越え、砂漠に『サンサーラ』を築きました。
やがて転生者が最初に降り立つ地として栄えましたが、痩せた大地は人口を支えきれなくなったのです。」
彼は一度、手綱を強く引き、地竜を制してから続ける。
「そこでサンサーラの王は命じました――未開の地を越え、豊かなエルフの国『シルヴァリス』を奪え、と。」
岩の間を進む地竜が、鉤爪で石を砕き、硬い音を響かせた。
イズファルの声がそれに重なる。
「こうして人間とエルフの大戦争が始まりました。結果はご存知の通り。『シルヴァリス王』と『弓の勇者達』の返り討ちに遭い、人間は敗北。
しかしあの戦で切り拓かれた道こそ、我ら『暁の環』が守る拠点と交易路なのです。」
俺は崖に爪を立てながら進む松風の背に身を預ける。胸の奥がざわついた。
(人間は欲深い…だが、俺は今、エルフと共に歩む者たちと進んでいる。人間を信じ、エルフを信じ――リアナと再び暮らす日は来るのだろうか…。)
「なあ、ライラ。黒梟ってのも人間の集団だろ?奴らはどうやってサンサーラからシルヴァリスへ来たんだ?」
リオンの声が緊張を破る。
ライラは険しい顔で答える。
「よく気づいたな。暁の環が守るこの道を黒梟が使えるはずはない。過去、何度も拠点を襲ったが落とせなかった。だから奴らは――自分たちで新たな道を切り拓いたんだ。」
イズファルが補足する。
「黒梟は人間至上主義を掲げる武闘派。犠牲を厭わず未開の地を拠点に変えた。ルミエールでの襲撃、王都への侵攻……奴らの道は既に完成している。」
リオンは白銀の髪を逆立て、呟く。
「なるほど…この未開の地は黒梟の巣か。こりゃやべえな。」
イズファルが洞窟を指さす。
「次の拠点『ガンロ』まではあと一日。今夜はここで野営する。」
泉を湛えた洞窟に差し込む月光。地竜が喉を鳴らす。仲間たちの緊張が少し和らぐ。
「腹が減ったぜー、イズファルのおっちゃん!」
リオンの声に笑いがこぼれる。
「この辺りは食料の調達が難しい。今夜も保存食で我慢だ。拠点に着いたらたらふく食わせる。」
イズファルは微笑む。
ライラも笑顔で言った。
「育ち盛りには辛いだろうが…まずは眠ることだ。」
高い岩山から見る星空は、まるで宝石を散りばめたよう。
俺は空に指輪を翳し、リアナを想った。
(リアナ…。必ず君を迎えに行く。)
⸻
夜が深まり、シルヴァリス王都から百キロ離れた未開の地の森。
鬱蒼とした木々の影で、一羽の梟が執事姿の青年に戻る。
「ノブナ様、ただいま戻りました。」
「オウルか…。」
天幕の奥、女武将“ノブナ”が冷たい視線を向ける。
オウルは跪き、懐から一枚の地図を差し出した。
「七つの拠点を確認しました。流砂の谷『ルーサ』、海上補給地『シオラ』、湖と地竜の里『ターナ』、雷の山『ライレン』、霧の湿原『ミラ』、岩山の『ガンロ』、密林の『ジュラ』。砦も複数ございます。」
地図が広げられる音が天幕に響く。
ノブナの瞳が細く光った。
「兵は?」
「少なくとも一万四千、全貌は二万規模と見られます。」
ノブナは唇を歪める。
「ルミエールで取り逃がした転生者の行方は?」
「拠点ジュラからサンサーラへ。今はガンロ付近かと。」
「よし。」ノブナは低く呟く。
「ハン。暁の環の殲滅はお前に任せる。武将を三人選べ。兵二万を与える。」
ハンは巨体を揺らし、目を開ける。
「御意。“ハクギ”、“コウブ”、“ソウゾ”を。」
「好きに使え。ただし――失敗は許さん。」
ノブナの声は刃のように冷たい。
「ノブナ様こそ、王都進軍に失敗なさらぬよう…。」
ハンが軽口を叩く。
「首を刎ねられたいか。さっさと行け。」
ノブナの視線は獣のような光を放った。
ハンが去ると、ノブナは奥へと沈み込む。
「オウル、各拠点に地図を撒け。暁の環と王都、両面へ進軍を伝えろ。」
「御意。」
梟の影が夜闇に消える。
残された天幕に、ノブナの低い笑いが響いた。
「ようやく時が来た…。神も悪魔も関係ない。エルフも軟弱な人間どもも…すべてを踏みにじり、皆殺しだ…。」
⸻
同じ夜。
未開の森の闇を抜ければ、そこにはまばゆい光の海。
辺境都市ルミエールは魔法灯に照らされ、夜でも人々の喧騒が絶えなかった。
ルミエール店旗協会の応接室。
代表バルドランは、二人の商人と卓を囲んでいた。
「蝕人ですか…。一体、王都で何が起きているのでしょう。」
彼の額に刻まれた皺が、灯火に影を落とす。
「黒梟の仕業ではないようですが…。」
メレオが言う。
「リアナ様は朧が護衛を続けています。蝕人の目的も調査中です。」
アオダが椅子から立ち上がり、外套を羽織る。
「王都では何か大きな計画が進んでおるな。嫌な予感しかしない。ワシは『ジュラ』に報告に向かう。疾風のツムリなら、イズファル様にもすぐ届くであろう。」
「アオダ殿、お気をつけて。黒梟は既に未開の地に拠点を築いています。暁の環への侵攻も時間の問題でしょう。」
「承知しておる。」
アオダは頷き、窓から夜の闇に溶けた。
メレオは視線をバルドランに向ける。
「店旗協会としての情報収集は引き続き頼みます。リアナ様も既に、あなたが暁の環の者であることは知っている。」
「かしこまりました。私には戦う力はありませんが、エルフにしかできぬやり方で必ず役立ちます。」
「信じています。バルドラン。」
メレオは鷹となり、窓から飛び立つ。
静かになった部屋で、バルドランは星明かりを仰いだ。
「リアナ様、ショータ殿。あなた方は人間とエルフの共生を望む我らの希望。何があっても、お守りしますぞ…。」




