第一話 揺れる世界
《エル・ドゥラ》から魔法機関車で半日。
あの酒場のある街へ戻った俺たちは、その足で隧道を抜け、グラムディルを後にした。
ドウエンには最後まで世話になり、本当に頭が上がらない。
そして王国の外へ出たとき――
世界はすでに、満天の星空に包まれていた。
月明かりと星々の光を映す黒銀の鱗をたなびかせ、星牙は静かな夜空を、悠々と駆けていく。
「星牙。
思っていた以上に待たせてしまったが……寂しくなかったか?」
「ううん、全然!
チョーカーで、ハクやリオンとも話せたし、ちゃんとお礼も言えたよ」
星牙は誇らしげに胸を張る。
「リオンは、僕の命を何度も救ってくれた恩人だし、
ハクは……こんな素敵な魔法具を作ってくれたんだ」
「そうか。
二人とも、星牙と話せて喜んでいたか?」
「うん!
バースに帰ったら、もっとたくさん話そうって言ってくれた!」
「ははっ。
それは良かったな、星牙」
すると星牙は、ふと思い出したように目を輝かせた。
「そうだ!
ショータ、ライラさん!
僕ね、たくさんドワーフの友達が出来たんだよ!」
「おお、そうだったな」
俺は小さく頷く。
「ドウエンに頼んでおいたんだ。
岩の窪みに残してきた天竜に、食事を与えてほしいってな」
「“ギンロク”ってドワーフがね、
一番の友達なんだ!」
「……ギンロク、だと?」
「おもしろいんだよー!
ドワーフなのに、髭がないんだ!」
「あっはっはっ!」
ライラが思わず声を上げて笑った。
「ギンロクのやつ……
どうやら、ちゃんと約束は守っていたらしいな」
「約束……?」
「いや、なんでもない。
星牙、ギンロクはな――
ああ見えて、昔は王宮に仕える近衛兵だったんだぞ」
「えー!? そうなの!?」
星牙は目を丸くし、次の瞬間、柔らかく笑った。
「でもね。
ギンロクは、すごく優しいドワーフだよ。
僕……大好きになった」
「そうかそうか。
それは、本当に良かったな」
俺は星牙の頭を、軽く撫でる。
「しかし、ドウエンにチョーカーを預けて正解だったな。
まさか、ここまで同じ物を作り上げるとは思わなかった」
「さすが、“職人の国”だ」
「うん!
僕に会いに来てくれたドワーフたち、
みんなチョーカーを付けて来てくれたよ!」
その光景を思い浮かべ、思わず頬が緩む。
「ショータ殿!」
ライラが、身を乗り出した。
「グラムディルにチョーカーがあるってことは……
離れていても、じいちゃんと話せるってことか⁈」
「そうだな。
良かったら――今、通信してみるか?」
ライラは、少しだけ緊張した指でチョーカーに触れた。
「あー!
じいちゃん! じいちゃん!
ライラだ! 聞こえるかい⁈」
一拍の沈黙。
次の瞬間、あの豪快な声が夜空に響いた。
「おお!
本当に聞こえるぞ!
ライラ、待っておった! 元気か⁈」
「じいちゃん!
まだ別れて一日も経ってないぞ!
元気に決まってるさ!」
「はっはっは!
このチョーカーという魔法具、実に良い!」
「バースには“魔科学”という学問がありまして……」
「ほう、魔科学?」
「魔法と科学を融合した学問です。
その研究機関の長が、チョーカーのような物を開発しています」
「なるほど……
シバがグラムディルに残した技術に、よく似ておるな」
「ならば、我らも“魔科学”と呼び、
学問として記録するのも悪くないかもしれん」
「是非。
グラムディルの技術と合わされば、素晴らしい発展になります」
「ドワーフは内向きな種族だが……
この世界の危機に、背を向けるわけにはいかぬ」
「お前たちがバースへ戻るまでに、
ワシからエルフィリア女王へ、無事と礼を伝えておこう」
「陛下、ありがとうございます。
これからも、お力添えをお願いします」
「まかせておけ!
“真理の神”という共通の敵が相手だ。
グラムディルも、力を惜しまん!」
「じいちゃん!
これからも、よろしく頼むぜ!」
「おう!
気をつけて帰るのだぞ、ライラ!」
「ああ!
じいちゃん、またな!」
通信が切れ、ライラは小さく息を吐いた。
どこか肩の力が抜けた表情だった。
「ショータ殿、ありがとう。
じいちゃんにチョーカーを渡していたなんて……
本当に、気が利くな」
「喜んでもらえたなら何よりだ。
それに――」
俺は夜空を見上げる。
「これで、グラムディルとの距離も、ぐっと縮まった」
「本当に……
来て良かった」
ライラは、しみじみと呟いた。
「私が知りたかったこと……
そのほとんどを、知ることが出来た」
一瞬の沈黙。
「あとは……」
「――マルダから聞き出すだけだ」
俺は、静かに頷く。
「イズファルと、シバの過去についてな」
星牙は、黒銀の鱗に瞬く星を映しながら、
静かな夜空を、ゆっくりと飛んでいく。
――――
その頃、サンサーラでは噂話が――
もはや噂とは呼べぬ速度で、静かに広まり始めていた。
それは、ファルゴが流した
この世界を混沌へ導く元凶――
この世界に生きる全ての者の“本当の敵”、
“神”についての話だけではない。
「……ファルゴさん」
男は、周囲を確かめてから口を開いた。
声は、意識的に抑えられている。
「やはり……ただの噂話では、ありません」
「政府筋に繋がる仲間からの情報です。
すでに、サンサーラ政府の中枢は……」
男は、そこで一度、言葉を切った。
「……神の手に、落ちています」
否定の余地を残さない、断定だった。
「そうか……」
ファルゴは、表情を変えずに応じた。
だが、指先だけが僅かに強張る。
「エルフィリア様から聞いた話では……
マルダという予言者が、
“神を斃す者が現れるまで待て”と神に進言したそうだ」
「そして、神は――
待つことを選んだ、と」
「姿を消した神が、
本当に大人しく待つだけだとは思っていませんでしたが……」
男は、乾いた笑みを浮かべる。
「まさか、国家そのものを内側から掌握するとは」
「神が、この世界を破滅へ導くために
人間を転生させていたのなら……」
「最も扱いやすい種族が、人間であるのも……
理屈としては、納得がいきます」
「うむ……」
ファルゴは低く唸る。
「欲に塗れたサンサーラ政府の上層部など、神にとっては、道具以前の存在…」
「抵抗する理由も、疑う知恵も、すでに奪われているだろうな」
「……それと、もう一つ気になる話があります」
部屋の灯りが、ふっと揺れた。
「政府中枢に――
最近、“予言者”が出入りしているらしいんです」
「予言者……?」
「はい。
翠色のローブを纏いフードを深く被った、若い女だそうです」
一瞬、空気が凍る。
「彼女は“神の声”を名乗ってはいない。
ただ……未来を語る」
「混沌の先で、
サンサーラが世界の覇権を握る――
そんな未来を、幹部たちに見せているらしいのです」
「未来、だと……」
「ええ。
恐ろしいのは……
その予言が、すでに“当たり始めている”という点です」
ファルゴは、無意識に指輪を撫でた。
(……未来を語る、若い女)
(予言者、か……)
なぜか胸の奥が、ざらつく。
(神が直接動かぬのなら、
“語る口”が必要になる)
(……嫌な予感がする)
「その女――
声が、やけに澄んでいたそうです」
「澄んだ……?」
「年の割に、落ち着きすぎている。
まるで……すでに答えを知っている者の話し方だったと」
「…………」
ファルゴは、それ以上、何も言わなかった。
「……私は、もう少し情報を集めます」
男は言った。
「ですが、政府内部への接触は、
これ以上は不可能です」
「表向きは平常。
しかし、命令系統は、すでに別物になっています」
「……了解した」
ファルゴは、短く答える。
「バースへの連絡は、私が引き受けよう」
「気をつけろ。
この国に“神の正体”の話を流したのが
サンドリッジ商団だと、すでに感づかれている」
「政府には、正面からは近づくな。
……分かったな」
「はい。
ファルゴさんも、ご無事で」
男は、それだけ言って立ち去った。
背中は、一度も振り返らなかった。
サンサーラ国は、
音を立てずに、確実に――壊れ始めていた。
エルフと人間の共生を掲げる暁の環は、すでにバース国へ組み入った。
そして、その拠点を結ぶ道は、すべてサンサーラから切り離された。
もともと、“竜の都ターナ”を
サンサーラ政府の管轄に置こうとする動きは掴んでいた。
だが――
今となっては、それすら小さな問題に思える。
神が政府を動かしているのではない。
政府そのものが、神の一部になりつつある。
「……急がねばならんな」
ファルゴは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「取り返しがつかなくなる……
いや――」
一拍置き、言い直す。
「すでに、手遅れかもしれん」
商人としての長年の勘が、
これ以上なく、明確な警告を鳴らしていた。
「……嫌な予感しかしない」




