第十二話 転生者シバ
“世界を隔てる壁”の向こう。
高く連なる山脈の麓は、なだらかな斜面を描き、
太陽の光をたっぷりと浴びた牧草地が、どこまでも広がっていた。
風に揺れる草の波。
羊の群れ。
遠くには、陽光を反射する南の海が、穏やかにきらめいている。
――それが、グラムディルの誇る日常だった。
岸壁の小さな砦から、その牧草地と南海を見守っていた衛兵ドウエンは、
ふと、違和感に顔を上げた。
「……?」
昼の空。
雲一つない蒼穹の只中に、あり得ないほど白く輝く“何か”が浮かんでいる。
「なんだ……昼の空を照らす、あの星は?」
目を凝らした瞬間、背筋が凍った。
「……まさか……
あれは……人か⁈」
輝きの中心には、確かに人の輪郭があった。
次の瞬間――
光は爆ぜた。
白。
世界が、白に呑み込まれる。
「ぐっ……!
何も……見えん……!」
目を閉じても、閉じられないほどの閃光。
皮膚を刺すような冷気が、全身を撫でる。
――嫌な予感がした。
やがて光が収まり、
焼け付いた視界が、ゆっくりと戻ってくる。
「……な……」
言葉が、喉で凍りついた。
「……なんだ……これは……⁈」
そこにあったはずのものが――
すべて、消えていた。
広大な牧草地は、ない。
果てしなく続いていたエメラルドグリーンの海も、ない。
「……おい……」
声が震える。
「……おい!
ワシらの……牧草地は……!」
視線を彷徨わせる。
「……海は……?
一体……どこへ……」
――消えた。
音も、兆しもなく。
世界が、丸ごと抉り取られたかのように。
その虚空の中で、
先ほどの“人”が、力なく、ゆっくりと闇へ落ちていく。
「あいつか……」
怒りが、理解よりも先に込み上げた。
「そのまま死なせて……
たまるかッ!」
ドウエンは、反射的に弓を構えていた。
狙うのは殺しではない。
牧畜用――馬や羊を捕らえるための、縄付き矢。
弦を引き絞り、放つ。
矢は一直線に空を裂き、
落下する人影へと吸い込まれていく。
先端が弾け、
丸い網が開いた。
網は、人を包み込んだ。
「――よしッ!」
ドウエンは、矢に繋がる縄を、全力で引いた。
闇の中へ落ちた網は見えない。
だが――
「……重い……」
確かに、“重さ”があった。
「絶対に……引き上げてやる……!」
歯を食いしばる。
「世界を消し去って……
そのまま行かせる訳には……いかんのだぁぁぁ――!」
背筋と腕の筋肉が、異様なほどに隆起する。
血管が浮き上がり、
噛み締めた口から、血が滲んだ。
ぐい、ぐい、と縄を引き上げる。
その時、砦が大きく揺れた。
足元の岩が軋み、まるで大地そのものが呻いているかのようだった。
足元がふらつき、縄が緩む。
「しまった! 縄が! 落とすものかっ!」
再び縄を手繰り寄せる。
「なんだ、この揺れは!
地震か⁈」
膝が軋む。
「……もう少し……!」
最後の力を振り絞り、
ドウエンは、咆哮と共に縄を引き切った。
「――ふんぬうっ!!」
――ドサッ。
鈍い音。
人と思しき“何か”を包んだ網が、
岸壁の砦の床に叩きつけられた。
「……はあっ……
……はあっ……」
肩で息をしながら、
ドウエンは網の中を見下ろす。
「……此奴…もしや…人間か⁈
声は、低く掠れていた。
「……世界を……消した……
……この青年…一体、何者だ!……」
気を失った青年は、
静かに横たわっている。
ドウエンは息を整える間も無く、
謎に満ちた青年を背負子に括り付け運び出す。
「気を失っている…。
今の内に、王宮に運ばねば…」
ドウエンは砦の外に出て、再び驚愕した。
「なんだ! この山は!
天を塞いでおるではないか⁈」
世界を隔てる壁と言われる山脈は、その連峰の頂が全て雲を突き抜け空を覆っていた。
雷雲が立ち込め、先ほどまでの柔らかな陽光は消え、遠雷の音と雨音が薄暗い山に響いていた。
「グラムディルは、どうなってしまうのだ…」
ーーーー
グラムディル王城。
謁見の間。
ドウエンは拘束した謎の青年を連行し、王の前にいた。
「陛下…。
山脈の南側が消え去りました…」
「うむ。報告はすでに入っておる。
海も全て…闇へと消えたと」
「はい…一瞬のうちに…
そして、この者が世界を消し去った…
白光を纏った人間…」
「気を失っておるのか?」
「はい。
拘束しておりますが、目覚めさせると暴れるやもしれません…」
「世界を消す力を持つ人間か…
其奴から逃げても何も解決しないであろう。」
グラムディルは一瞬目を閉じて考えたが、すぐに言った。
「気付け薬で目を覚まさせろ。
暴れた時は、全力でまた抑えればよい。
抑えられたら…だがな…」
ドウエンが抑える青年に、周りの近衛兵が気付け薬を嗅がせた。
青年の身体がびくんと跳ねた。
そして、ゆっくりと目を開く。
「……目が覚めたか……?」
グラムディルの低い声が冷たい空気に響いた。
青年はおどおどと目を泳がせ、混乱している様子だ。
「お主は何者だ? どこから現れた?」
「…こ、ここは…? どこ…?」
青年の表情は明らかに怯えていた。
「ドウエン…
その青年の拘束を解け」
「しかし…!」
「構わん…
ワシが解けと言っておる。
それと、ギンロク、水を一杯持って参れ」
ドウエンは青年の拘束を解いた。
「暴れるなよ、青年…
グラムディル王の質問に答えるのだ」
ギンロクという近衛兵から、青年に一杯の水が手渡された。
「人間の青年。
まずは、その水をゆっくり飲むが良い。
落ち着いたら、ワシの問いに答えてくれ」
青年は恐る恐る水に口をつける。
しかし、喉の渇きに気づいたのか一気に飲み干した。
「どうだ…? 少しは落ち着いたか?」
グラムディルは優しい口調で言った。
「は…はい。ありがとうございます。」
「それでは、あらためて青年に問う。
お主、何者だ。
どこから現れた?」
「ぼ、僕は…、シバ。
どこから来たのか……
わ、分からない…」
「シバ…
それがお前の名か…
名以外に分かることはあるか?」
「か、神…。」
「かみ…?」
「神様が…僕を異世界に送った…
あ…頭が、い…痛い!」
シバは頭を抑え、苦悶の表情を浮かべた。
「お主は転生者だな!
なぜグラムディルに転生した?」
「わ、分からない…」
「なぜ、世界を消したのだ!」
「わ、分からない!
か、神様が……そう言ったんだ……僕を、ここに……」
「何のために⁈」
「転生して…せ、世界を…
創りなおせ…と…
ぐうっ…!
頭が!
割れるようだ!」
「世界を創り直すだと…⁈
神とは一体…」
「うう…これ以上は…
何も…わ、分からない」
「シバ…最後に一つ聞く。
お主の力は、破滅の力か?」
「神様は…言った…
僕の力は…“真理の力”…
…か、神様に匹敵する力…」
「真理の力…神に匹敵する力だと…⁈
それは、もはや…
神そのものではないか…」
これが、転生者シバがこの世界に現れた日の出来事であった。




