第九話 隔絶の国グラムディル
「……これが、“世界を隔てる壁”か」
イズファルは、思わず足を止めた。
視界の果てまで連なる、黒々とした岩の山脈。
鋭く切り立った断崖が幾重にも重なり、まるで世界そのものを拒絶するかのように、空を遮っている。
雷雲が覆い薄暗い空に風が唸り、岩肌を叩く音が、低い咆哮のように響いていた。
「なんて……恐ろしい景色だ」
ここは国境ではない。
世界と世界を分かつ、“断絶”そのものだ。
(あの関所が……グラムディルの入口、か)
岩壁に穿たれたように設けられた門。
その前に立つのは、屈強なドワーフたち――分厚い鎧、斧、そして疑いの視線。
(ドワーフという種族……情報が、あまりにも少ない。
“忍びの力”でなりすますのは、危険すぎるな……)
イズファルは、深く息を吸った。
(他種族との関わり方を、見極める必要がある)
そして――
(ここは……ありのまま、“人間”として行く)
覚悟を決め、彼は関所へと歩み出した。
「――そこの者! 止まれい!」
低く、岩を削るような声が響く。
「お前、何者だ⁈
その妙な傘を上げ、顔を見せい!」
イズファルは足を止め、静かに雨に濡れた三度笠を持ち上げた。
風に揺れる布の下から、露わになる人間の顔。
斧を構えたドワーフの関守が二人、間合いを詰めて覗き込む。
「……お前、エルフではないな」
「耳が違う……まさか…人間か?」
「何者だ。名を名乗れい!」
イズファルは視線を逸らさず、静かに答えた。
「私は、イズファル。
サンサーラより旅して来た、人間だ」
「やはり…! 人間…!」
関守の声が、わずかに裏返る。
「お前……まさか!
転生者か!
妙な真似はするなよ!」
斧が、より強く握り直される。
「手を頭の後ろに回し、跪け!」
抵抗は無意味だと悟り、イズファルは素直に従った。
膝を地につき、両手を頭の後ろへ回す。
「……私は人間だが、転生者ではない」
低く、だがはっきりと。
「サンサーラに生まれた。
この世界で生まれ、この世界で育った人間だ」
「人間という種族は――」
関守の一人が吐き捨てるように言った。
「かつてエルフとの大戦を引き起こした、侵略者と聞いておる!
欲深く、争いを好む種族が、我が国に何の用だ!」
イズファルは、一瞬だけ目を伏せ――そして、言葉を選んだ。
「私は……」
「ある予言に従い、この世界を救うために必要な情報を集めている」
「予言、だと?」
関守たちの間に、ざわめきが走る。
「グラムディルに、何の関係があるというのだ!」
「……私にも、まだ分からない」
正直な言葉だった。
「だから、調べに来た。
この国が、この世界にどう関わるのかを」
沈黙。
風の音だけが、関所に流れる。
「……怪しい奴め」
やがて、関守の一人が低く唸った。
「おい!
こいつは怪しすぎる!」
「ひとまず、砦の牢へ入れろ!」
斧が振り下ろされる代わりに、荒縄が投げられる。
イズファルは抵抗しなかった。
(……想定内だ)
関守たちに縛られ、門の内へと連行されながら、彼は心中で呟く。
(ここからが、本当の調査だ)
「お前の処遇は追って決める!」
「それまでは牢で大人しくしておれ!」
石造りの砦の奥、重い鉄扉が軋みを上げて開く。
――闇が、イズファルを飲み込んだ。
ーーーー
牢に入り、十日が過ぎた。
イズファルは禅を組み、静かに時を待っていた。
ーーガチャリ
真鍮の鍵が開く音と同時、重い鉄扉がゆっくり開いた。
牢番のドワーフは言った。
「人間…。出ろ。
お前を宮殿に移送する」
ーーーー
イズファルは頑丈な手錠を嵌められ、関所の奥の隧道へと進む。
そして、イズファルの前に煌めく都市が現れた。
「な、なんと美しい…
ここがグラムディルか…?」
地下に広がる大都市国家。
その光景がイズファルの胸の鼓動を早めた。
「しかし…国王が直々にお前に会うなど…。
何をお考えなのか…?」
案内人のドワーフはぶつぶつと呟く。
「さあ、乗れ。 宮殿には、これで行く」
「これは⁈」
「魔法機関車だ。
ほれ、さっさと乗れ」
「宮殿とやらは、遠いのか?」
「これに乗って、丸二日だ。
王の命で、特別待遇だ。
機関車の中では飯も食えるし、酒も飲める。
風呂もあるから好きに使え」
「なんだ、この乗り物は…
すごい技術だ」
華美な装飾は、一切ない。
あるのは、鋼鉄の質感と直線で構成された構造美だけだ。
角張った車体は、無駄を徹底的に削ぎ落とした無骨な意匠。
だが、梁や接合部の配置は緻密で、
力の流れを知り尽くした者でなければ辿り着けぬ形をしている。
飾らない。
だが、妥協もしない。
機能性のみを突き詰めた結果として生まれた――
それ自体が、ひとつの“完成形”だった。
客室の内装もまた、同様に簡素だ。
壁や床は飾り気がなく、素材本来の色と質感が活かされている。
イズファルが座席に腰を下ろした瞬間、思わず小さく息を吐いた。
「……意外だな」
装飾は最低限。
だが座面は柔らかく、身体を包み込むように沈む。
長旅を前提に設計されたことが、一瞬で理解できた。
――その時だ。
ゴウン……と、腹の奥に響く低い音。
床下から伝わる振動が、一定のリズムを刻み始める。
次の瞬間、身体が背もたれへと押し付けられた。
「――っ」
滑るように動き出したと思った次の瞬間には、
速度は一気に増し、加速の圧が胸を押す。
不快な揺れはない。
ただ、確実に――速い。
「驚くなよ、人間」
向かいの座席で、案内役のドワーフが鼻を鳴らした。
「この機関車は、止まるより走ってる方が安定する。
速度が上がるほど、魔法石の制御も噛み合う仕組みだ」
窓の外へ目を向ける。
そこには――
イズファルの想像を遥かに超える光景が広がっていた。
巨大な地下空間。
天井を支える無数の石柱。
張り巡らされた橋と軌道。
壁面に穿たれた住居や工房の灯り。
都市が、層を成して高く連なっている。
無数の光が流れ星のように後方へ消えていき、
地下の街並みが、まるで一枚の絵巻のように流れていく。
「……地下に、これほどの都市を……」
思わず零れたイズファルの呟きに、
ドワーフはどこか得意げに口角を上げた。
「地上に広げる必要がねえからな。
掘って、積んで、繋げる。
それがドワーフのやり方だ」
制御炉の奥で、魔法石が淡く輝く。
脈打つ光が、機関車全体を支配している。
「この純度の魔法石と技術がありゃ、
シルヴァリスの魔法研究なんぞ、正直、話にならねえ」
「……確かに」
イズファルは、流れ去る景観を見つめたまま頷いた。
「資源力と技術力――
この国が本気を出せば、世界の均衡は簡単に崩れる」
ドワーフは、肩をすくめて笑った。
「だが、外の世界に興味がねえ。
酒と仕事と、たまの喧嘩がありゃ十分だ」
「欲がない、ってのは……」
「強みでもあり、弱点でもある」
最後の一言は、低く。
「だが覚えとけ、人間。
この機関車が全力で走る時は――
グラムディルが“本気”を出した時だ。
その意味を、忘れるな」
機関音が、さらに一段低く唸る。
速度が、まだ上がる。
魔法機関車は速度を落とすことなく、
煌めく地下世界を貫き、王の待つ宮殿へと突き進んでいった。




