第十一話 完全なる魔王
バース国、王城メサイア。
謁見の間は、歓喜に包まれていた。
戦の終結。
統一の宣言。
長く続いた混乱が、ようやく終わったのだという安堵が、
誰の顔にも浮かんでいる。
「女王陛下。
このバルドラン……今日ほど、嬉しい日はございませぬ」
忠臣は、深く頭を下げた。
「シルヴァリス王国統一のご宣言。
胸が、震えましたぞ」
「バルドラン」
エルフィリアは、穏やかに微笑んだ。
だが――その眼は、すでに次を見据えている。
「これからが、本番です。
忙しくなりますよ。よろしく頼みます」
「はっ!
何なりと、お申し付けください!」
――その時だった。
「――なっ⁈
何をしている! シュテン!!
気でも触れたか!」
歓喜の空気を、鋭い叫び声が引き裂いた。
皆が、一斉に振り向く。
そこにあったのは――
誰も、想像しなかった光景。
シュテンの――
鬼化した右腕が、
アオダの胸を、深々と貫いていた。
「シ……シュテン……。
いっ……たい……な、何を……して……」
力なく、アオダの口から血が溢れる。
「シュテン!
アオダを離せ!」
ノブナが、叫ぶ。
「リアナ様!
アオダを――!」
「ランマル! 眠らせろ!」
「や、やってる!
だ、駄目だ……!
催眠が……き、効かない!
なぜだ……!」
次の瞬間――
シュテンは、何事もなかったかのように右腕を戻した。
アオダの身体が、床に転がる。
「《氷結》!」
ヒキガが叫び、血を止める。
ツムリはアオダを抱きかかえ、リアナのもとへ跳んだ。
「リアナ様!」
「《緑癒》!」
リアナが翳した掌が、
翡翠色に輝く。
「アオダさん!
呼吸を止めないで!
必ず……必ず、助かります!」
その時――
『おい! メサイア!
そっちで、何が起こっている!』
繋がれたままの魔法鏡から、
騒然とした声が響く。
「シュテン!
答えろ!
お前は一体、何をしている!
止まれ!」
ノブナが、叫ぶ。
――だが。
シュテンは、答えない。
右腕からアオダの血を滴らせながら、
ゆっくりと……
ゆっくりと――
玉座のエルフィリアへ向かって、
歩を進める。
「と、捕えろ!
シュテンを捕らえるのだ!」
バルドランの叫びと同時に、
ノブナ、ツムリ、ランマル、ヒキガが一斉に飛びかかった。
――だが。
見えない“何か”に弾かれ、
全員が床に叩きつけられる。
「な、何なんだ……!
シュテン! この力は!」
ヒキガが、叫ぶ。
「皆、どけ!
はああああ!」
ノブナが掌を向け、
念操術で足止めを試みる。
だが――
「くそっ……!
どうなっている……!
我の念波が……届かぬ!」
「ふっ……
ふっふ……」
シュテンが、笑った。
「ふはははははは!」
不敵な笑み。
「や、奴は……
本当に、シュテンなのか……?」
ヒキガが、低く呟く。
「シュテン!
あなた、一体どうしたのです!」
エルフィリアが、声を張る。
「下がりなさい!
皆、シュテンを捕らえなさい!」
「動くな」
低く、冷たい声。
「者ども。
一歩でも動けば――
我が、一瞬で殺してやるぞ」
場の空気が、凍りついた。
「……あなたは……一体……」
エルフィリアの声が、わずかに震える。
「み、みな……さん、に……
逃げて……くだ……」
シュテンの声。
「シュテン!」
「ふむう……。
此奴、まだ意識を残しておるか。
この鬼は……」
シュテンは腰の仕込み刀を抜き、
自らの腹へ――
躊躇なく、突き刺した。
「シュテン!
何を!」
「……ぐうぅ!
私の……体に……
や、奴が……
わ、私ごと……こ、殺して……や、やる……」
刀を突き刺す腕が、再び鬼化する。
見えない力に抗うように、
必死に力む。
「シュテン!
やめろーーーー!」
ヒキガが、叫ぶ。
「ぐうう……。
この鬼め……
な、なかなか、見上げた根性だ」
「だが……
こんな細い刀ごときで、
我は殺せんぞ……」
「……く、くそ……ったれ……
み、みんな……
す、すま……ない……」
シュテンの声は、消えた。
刀が、床へと投げ捨てられる。
「鬼め……。
やっと、静かになったか……」
そして――
何かに取り憑かれたシュテンは、
腹から血を流しながら、
真っ直ぐに、エルフィリアを見つめる。
「先ほどの宣言……
なかなかに、良かったではないか。
女王エルフィリアよ」
「う、うそだ……
そんなこと……」
ツムリの身体が、
がたがたと、震え出す。
「これに、話しかければ良いのか?」
シュテンは、魔法鏡を見上げた。
「おい。
ムシャカよ、聞こえておるか?」
そして――
「それに……
シルヴァリスを斃した
勇者様も、聞こえておるかのう?」
『シ、シュテンさん……
一体、どうしたと言うんだ……
メサイアの仲間に……何を……』
「お前が、
シルヴァリスを殺した勇者か?」
嘲るような声音。
「まあ……
我は、お前の顔を知らんのだがな」
『何を言っている……
シュテンさん……
冗談は、やめてくれ……』
「ふはははは……
理解が、追いつかぬか」
「まあ良い。
この姿にも、少々飽きた」
「お前たちを――
少し、絶望させてやるとするか……」
――次の瞬間。
シュテンの体が、
ミチミチと、不快な音を立てた。
皮膚が裂け、
血が噴き出す。
『シュテンさん!!』
「シュテン――――!!」
絶叫が、謁見の間に木霊する。
血飛沫の中から、
姿を現したもの。
それは――
まさしく、絶望の権化。
「お、お前は……
シルヴァリス……なのか……?
なんだ、その姿は……!」
そこに、立っていた。
魔蝕人と同じような、
山羊に似た角。
シルヴァリスの面影に、
シュテンの鬼が混ざり合った――
まさに。
“魔王”と呼ぶに、
相応しい存在だった。
『何なんだ……お前は……。
シルヴァリスなのか⁈
シルヴァリスなら……
俺が斃したはずだ!』
「ムシャカ……」
魔王は、嗤った。
「お前が、シルヴァリスの前に現れた時……
何かを企んでいると、感じておったぞ」
「シルヴァリスが、慎重な性格であることを……
忘れておったのか?」
『そんな形で、
シルヴァリスの性格を語られても、正直ピンとこねえが……』
『あの男の性格は、
あたいが一番よく知っているさ……』
『その上で……
慎重なシルヴァリスにも、
避けようがない方法を、選んだつもりだったんだが……』
「我も……
お前の策を、見抜いたわけではない」
魔王は、静かに告げる。
「ただ――
感じたのだ」
「シルヴァリスに……
いや、シルヴァリスの中の、我が身に……
迫る“危険”をな……」
「教えてやろう……
まず、我は何者なのか?」
一拍、置いてから――
魔王は、嗤った。
「我は――
シルヴァリスの中で育った……
“悪魔の魂”である」
『なんだと!
“悪魔の魂”だと⁈』
「そして、そこの勇者が斃したのは……
我の力を、僅かに残し……
戦場に、置きざりにしたシルヴァリスだ」
「あ、あなたは……
もはや、シルヴァリスでもないということですか……?」
エルフィリアの声が、震える。
「そうだな。
我は……」
一瞬、言葉を区切り――
「シルヴァリスと、先ほどの人間の力を喰い……
この世界に、形を得た――」
「“完全なる魔王”というべき、存在である」
「ふふ……
ふははははは!」
「完全なる魔王……だと……⁈」
ノブナは、歯を食いしばり、
拳を強く握りしめた。
「我は、逃げる方法を探していた。
あの戦場に、我を壊す何かを、感じていた」
「そう……
嫌な予感というやつだ」
「そこで我は……
ムシャカの傍にいる魔蝕人に、
取り憑くことを思いついた」
「魔の力があるものは……
少しの時間ならば、
我の魂を、受け入れられるのでな」
「すると、どうだ……
敵陣の真ん中に、
瞬間移動したではないか」
『クソ野郎め……。
あの時、すでに……』
「我は、“魔の力”を感じ取ることが出来る」
「移動した先に……
魔蝕人を凌ぐ、
純粋な魔の力を持った人間がいることに気付き……」
「我は――
器を、替えさせてもらったのだ」
「魔の力……
シュテンの“鬼化の力”か!」
「最後まで、我の魂に抗っておったが……
所詮は、鬼程度の力」
「我を弾き出すことも出来ず……
すぐに、侵食されていったわ」
魔王の腹に、
シュテンがつけた刀の傷は、
すでに、無かった。
『なんてことだ!
あたいは……
こんな化け物を、
バースに送り込んでしまったって言うのか!』
「ふははは!」
魔王は、愉快そうに嗤う。
「シルヴァリスの中で、
“悪魔の魂”は成長していたが……」
「鬼の力を持った人間の中は……
実に、素晴らしかった」
「偶然見つけた器とは、思えぬほど……
まるで、我がこの世に形を成すために……
存在していたかのような、良い媒体であったわ」
『やめろ……
それ以上……
シュテンさんを愚弄するな』
「勇者よ。
シルヴァリスのように、
我を斃せるか?」
「この――
“完全なる魔王”を」
『完全なる魔王だと……
ふざけるな!
俺が、必ずお前を殺す!』
「そうか、そうか。
それでこそ、勇者だ」
魔王は、満足げに頷いた。
「では――
お前が来るまで……
我は、ここで遊んでいよう」
「まずは……」
「お前だ」
――その瞬間。
音が、消えた。
「……あ……あ……
ごふっ……」
皆が、はっと振り向く。
そこに、いたのは――
リアナだった。
血を吐き、
その身体が、
ゆっくりと、崩れ落ちる。
「リアナ様ーーーーーーー!」
ツムリの絶叫が、
謁見の間に――
深く、深く、響き渡った。




