第二話 開戦の地鳴り
シルヴァリス王国の辺境都市ルミエール。
かつて旅人の疲れを癒やした老舗温泉宿“星泉閣”は、今では緊迫した空気を帯びる前線の駐屯地へと姿を変えていた。
春空を切り裂くように、一羽の伝書鳩が王都から一直線に飛来する。
本来は柔らかな羽音を残すはずの翼さえ、どこか鋭い戦の気配を帯びていた。
鳩は宿の屋根へ舞い降り、兵がそれをつかみ取ると、絶対王シルヴァリスのもとへ駆け込む。
「陛下! ファルネウス様より急報!」
シルヴァリスは赤みを帯びた瞳を細め、一通の手紙を受け取った。
巻紙に触れた瞬間、場の空気がひやりと沈む。
「……ふむ。予定通りだな。あやつら、無事に動いたか。」
低く静かな声。
だがその奥から、押し殺された喜悦がじわりと滲んだ。
王の口端が、ゆっくりと歪むように上がる。
「ふふ……ふふふ……。
人間ども――そして、エルフィリア。
我が王国を愚弄し、我に逆らった罪……
この世界の果てだろうと、逃れられると思うなよ。」
絶対王の笑みは、嗤いとも狂気ともつかぬ形で刻まれる。
シルヴァリスが立ち上がった瞬間、その身から放たれる重圧が、駐屯地の空気を丸ごと押し潰すように広がった。
「シルヴァリス軍よォォォ!!
進軍開始だァァァーーーーッ!!」
雷鳴のような咆哮。
次の瞬間、兵たちの雄叫びが波紋のようにルミエールを覆い尽くす。
城壁は震え、街路の石畳までもが共鳴し、春の柔らかな気配は跡形もなく吹き飛ばされた。
――そして、世界はついに混沌の幕を開く。
――――
ルミエール上空を旋回するオウルの映像は、
バース各都市に設置された魔法鏡へ瞬時に伝えられた。
かつて黒梟の“はじまりの地”と呼ばれた谷底の都市群。
そこはすでに、第三国家バースの中枢を担う王都へと生まれ変わっている。
地底都市――王都バースの謁見の間。
各地の要人が一堂に会していた。
「女王陛下。シルヴァリス軍の進軍が確認されました。
軍勢は、予想どおりジュラへ向かっています。」
ノブナが報告し、エルフィリアが続きを問う。
「ジュラは、今どのような状況ですか?」
魔法鏡に映るジュラの拠点。その中にツムリが姿を現す。
「ジュラ侯爵、ツムリがお答えします。
現在、我々は五万の兵を配置し、シルヴァリス軍を迎え撃つ準備を整えています。
この地の漏斗状の地形を最大限に活かし、敵を削ぐ作戦を進めております。」
「うむ。その戦い方が定石であろう。」
ノブナが静かに頷く。
さらに画面が切り替わり、ライラが映る。
「女王陛下……。
王室の護衛隊長である私が王都を離れていること、お許しください。」
「構いません。ノブナとランマルもおります。
ジュラ戦は、この戦の重要な緒戦。
あなたが指揮を取り、必ず敵を退けなさい。」
「……はい、必ず。」
ライラの目に決意が宿る。
「オウルの映像では、シルヴァリス王と三人の“弓の勇者”を確認しました。
その力は未知……緒戦から一気に激戦となる可能性が高い。
そのため、ジュラにはすでにショータ殿にも控えていただいています。」
エルフィリアが深く頷く。
「勇者ショータ。
魔王を討つ者よ……あなたに大きな責任を背負わせていますが、頼みます。」
「エルフィリア様。俺には、頼れる仲間がこんなにもいる。
必ず魔王を倒してみせる。」
俺は迷いなく誓った。
「ノブナ。この戦いには、“治癒の力”が必要だ。
ジュラにリオンを寄越せるか?」
ライラが言う。
「リオン! 行けるか?」
「もちろんだ! 俺はショータを守る者。すぐに向かうぜ!」
「メーガン、“ラビット”は手配できるか?」
ノブナが尋ねる。
「だ、大丈夫です……!
ノ、ノブナ様たちの試験運転データのおかげで、
今はもう安全で……快適に動きますので……。」
聞いた話だが、メーガンは、ノブナから強烈な“お仕置き”を受けたらしい。
「リオンさん、私も同行しましょうか?」
リアナが言った。
「リアナ様は王都に残ってください。
もしもの時、女王陛下にはあなたが必要だ。」
ノブナが静かに止めた。
俺は胸の奥が少しだけ軽くなる。
(ノブナ……ありがとう。
リアナ……すまない。
今は絶対に君をシルヴァリス王に近づけたくない。
俺は未来を変えなければならないんだ。)
ライラが表情を引き締める。
「――一つ、気になることがある。
シルヴァリス軍の“蝕人兵”の所在が、まったく掴めないのだ。」
「なんだと?」
ノブナが眉をひそめる。
「オウルによれば、各都市の地下に隠しているはずだが……。緒戦に出す気配がない。」
「“弓の勇者”で道を開き、
その後に蝕人を雪崩れ込ませるつもりか……?
それとも…。」
「念のため、ヒキガにはジュラに待機してもらう。魂還薬も準備済み。
ヒキガとツムリが揃えば、蝕人を人に戻せる。
ノブナ…、もしもの時は、頼む。」
「ライラ、承知した。オウル、聞いていたな?」
「はい、ノブナ様。
私は引き続き上空で監視を続けます。
魔法鏡はこのまま繋いでください。」
映像には、進軍する大軍が地を覆い尽くしている。
そのとき、別の鏡からシュテンの声が響いた。
「ガンロ侯爵、シュテンです。
ライラ、ツムリ……決して無理はしないように。
ジュラの後ろにはガンロを含む六つの城塞都市が控えています。以前の小砦とは訳が違う。
いつでも頼ってください。」
シュテンの言葉に、他の侯爵たちも頷く。
アオダが続く。
「ツムリ。シュテンの言うとおり、お前の背後にはワシもレキルもいるぞ。
ミラとライレンは合同演習で鍛えてきた。精鋭は揃っておる。」
「緒戦は大変だが、頼むぞ。」
レキルも言葉を添える。
ツムリは力強く頷いた。
続いてラシードが映る。
「ルーサ侯爵、ラシードだ。
北のサンサーラの動きを監視しているが、今のところ大きな変化はない。
だが、戦が始まれば確実に動くだろう。
サンサーラが狙うのは――ターナと天竜だ。
ランドルフ、十分に警戒しろ。」
「承知しました。
ショータ殿の天竜“星牙”はすでにバースへ匿っております。」
ランドルフが答える。
ライラが次に視線を向けたのは、シオラの鏡だ。
「シオラの準備はどうだ、エース卿。」
「シオラ侯爵、エース。
ふん、やっと発言できるな。
俺たちはこの数ヶ月、サンサーラ戦を想定した演習を徹底してきた。
“魔科学兵器”の扱いも問題ない。
ターナの地へ易々と渡らせるつもりはねぇよ。」
エースは粗暴な物腰だが、その戦闘センスはライラと並び称される。
「エース卿。シオラはサンサーラを止める要衝。頼みます。」
ライラは深く頭を下げる。
会議は締めに向かう。
「各自の準備は整っているようだな。
――では、王都組は予定通りメサイアへ移動する。
ハク、改良は済んでいるか?」
「問題ないよ。試験も完了。いつでも動かせる。」
ハクが答え、メーガンは首をすくめる。
エルフィリアが玉座から立ち上がった。
「バースの騎士たちよ!
この戦で、我らの未来を掴み取る!
――戦え!」
――――
ルミエール中央市場。
三ツ星店旗の掲げられた、魔法使いマルダの店。
マルダの思念体は、水晶玉を静かに覗き込みながら呟いた。
「ついに……世界の混沌が始まった。
この先、救われる世界へ繋がるかどうかは――
ショータ、あなたの選択に。
そして……リアナ、リオン……あなたたちの覚悟に、すべてがかかっています。」




