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緋の迷宮  作者: 津本美弥
9/14

魔窟

見渡す限り一面に砂漠が広がっていた。とっくに日は彼方に沈み、空には星が輝いている。

 司竜と飛燕は予定通り日が沈んだ頃、対岸にたどり着いた。休みもせずに、防砂林を抜けると、目前に広がるのは砂の大地だった。この砂漠の遥か向こうに聖都(イナ)がある。しかしとても歩いていける距離では無かった。どうしても足となるものが必要だった。

「どうするか…」

「今の季節なら、たしかバザールがあるはずだ。隊商(キャラバン)と巡り会うかもしれぬ。ーーとにかく一度休んで、それから探してみよう。」

 月の光に照らし出された砂漠は、白く輝いていた。それは遥か遠くまで続く白い波のように見える。開け放たれた世界であるにも関わらず、司竜が張った結界のおかげで、妖魅に対する心配はなかった。気は張り詰めていたものの、さすがに疲れていると見えて、飛燕はすぐさま深い眠りに落ち込んだ。

 しばらくして彼女は、体を揺さぶられて、目を覚ました。

「なん…」

「しっ。」

司竜の鋭い声に、飛燕は一瞬にして緊張した。気がつくと、あんなに静かだった砂漠がやけにうるさい。不快なまでのうるささだ。彼女は顔をしかめた。司竜が黙って

指さす方向を見た。

 目を疑うような光景が、砂漠の真ん中で繰り広げられていた。

 それは言うならば、一種の狂宴とでもいうのだろうか。何十匹という多種多様な妖魅達が、あられもない姿をさらけ出して騒ぎまくっていた。飛燕は俄かに吐き気をもよおしてたが、ぐっと押し堪えていた。司竜も眉根に皺を寄せて、じっと見つめていた。

「おのれ…」

飛燕はおもむろに太刀を抜こうとした。

「待て。何かが来る。」

 空の一点ーー月の中に黒い影が二つ写った。ほどなく大きな羽音と共に《飛ぶ者》の妖魅が舞い降りて来た。その足には何かを攫んでいた。それが何であるかを知った時、二人は愕然とした。ーーそれは人間だった。

 妖魅共は宴の御馳走が届けられると、一番おいしいところを得ようと、浅ましい争いを繰り広げだした。その行動には知性のかけらも見られない。ギャアギャア喚き散らし、羽や手のような鰭で互いを殴り、潰し合い、死ぬまで繰り広げられる。漁夫の利を得ようと一匹が争いを尻目に、御馳走に食いつこうとした。ところが一口の味見もなく、そいつ自身が食われてしまった。

「奴ら人を食うのか!ーー噂とは真であったか。」

飛燕は太刀を抜いた。

「よもや止めはせぬな、司竜。」

「止めはしない。しかし多勢に無勢だ。やるなら一回で仕留めたい。余計な力は使いたくないでしょう?」

「あれか?」

司竜は俄かに不敵な笑みを見せると、おもむろに砂地に両手をついた。飛燕は太刀を収める。全てを彼に委ねた。

『我が友たる緋の御地よ、天譴(てんけん)を下し、彼の地に浄化を与えたまえ。』


 彼はいったいどこまで力を持つのだろうか。

飛燕は裂けた大地を見ながらつぶやいた。

 司竜の呪語に呼応して、大地は移動したかと思うと、一瞬にして妖魅を奈落の底へと突き落としてしまった。恐らくは何が起こったのかも分からないうちに、全ては済んでしまったのだろう。ただ《飛ぶ者》だけが辛うじて難を逃れ、彼方へと逃げ去ってしまった。

「大丈夫か?」

食べられかけた人間は、まだ年端もいかぬ子供三人だった。どうやら隊商(キャラバン)の子供らしかった。『こんなことがよくあるのか』と言う飛燕の問いに、『子供は美味しいから』と答えて、彼女をげんなりさせた。 

(妖魅風情が、好みなどあるのか)

 有り難いことに彼らの隊商(キャラバン)は近くにあると言うことだった。隊商(キャラバン)に案内された司竜と飛燕は最上のもてなしを受けた。

 このような砂漠に住む民の中では、頻繁に今日のようなことがあるらしく、子供達の両親は泣きながら喜んでいた。彼らはこのお礼に《砂馬》を貸すことを承知してくれた。しかしその目的を聞くと、やはり驚き反対をした。実は彼らも聖都に行くはずだったが、あそこはもはや人の街ではない。妖魅の街だと言う。故に行くことを諦めて自分達の邦に帰る途中、妖魅に襲われたのだった。しかも各地の妖魅達が、続々と聖都に集まりつつあるらしいとも語った。しかし司竜と飛燕の決心が固いことを知ると、一言『気をつけて』と言って別れた。


 砂漠の割にここの太陽はさほど暑さを感じさせない。見れば太陽は、朧に霞んで揺れている。空もどこかどんよりと薄曇りだ。風は変に生暖かく、時々鼻につく異臭が混じってさえいた。そしてやけに大気は湿っぽかった。汗が出たわけでもないのに、全身ねっとりとベタついている。これは不快を通り越して嫌悪に近いものだった。

「これも妖魅の仕業か?」

「でしょうね。」

そう言った司竜の顔は、苦痛で歪んでいた。彼は祓士であるが故、誰よりも敏感に妖魅の気配を感じ取ってしまう。それが時としてとんでもない苦痛を彼に与えていた。

「噂通り、緋は魔窟だ。そこら中に妖魅の気配がある。いや、そこら中なんてものじゃない。緋がすっぽりと妖魅の腹の中に入ってしまったような感じだ……それにーー」

司竜は言葉を切った。唇をギュッと噛みしめる。

(それにーー《奴》がいる。)

「そうか、魔窟…か。」

 辛そうに飛燕はうつむいた。陸白狼ーー兄の事を考えているのだろう。あれ程までに兄の無事を確信していた彼女に、今になってどっと不安が押し寄せてきていた。

 聖都が何と遠い所にあるのだろう。地上のいかなる動物よりも速く走ると言う砂馬の足が、なんとももどかしかった。

「夜叉王殿は無事でいらっしゃるよ。」

飛燕の心を見透かしたように、司竜は言った。しかし彼女はそれを突っぱねた。

「同情はいらぬ。」

「同情などではない。祓士として言ったまでのこと。」

「祓士は占いもするのか?」

「そういうわけではないが、とにかく死の気配はない。」

「ーーそうか…。ありがとう司竜。」

「とにかく急ごう。」

 二人は砂漠を疾走した。昼も夜も、食事も寝るのでさえ馬上で済ませて走り続けた。砂馬の脚力は力強く、衰えを知らない。

 三日目、出し抜けに砂漠を抜けた。

「何の臭いだ?」

飛燕が厭な顔をして言った。

荒地の崖上から眼下を臨むと、そこは腐土が一面に広がっていた。赤茶けた土地の所々に、ぽっかりと大きな穴が空いている。穴には汚水と腐った土砂で満たされていた。崖下から噴き上がる悪臭で、ここは息もつけない程だった。

「ここを通るのか?」

さも厭そうに、彼女が言った。

「この向こうに聖都がある。ーー最短距離だ。」

「ちっ。」


彼女は舌打ちすると、仕方無さそうに馬の手綱を引いた。

「飛燕。」

司竜はおもむろに飛燕の額に印字を切った。

「なんだ?」

「護符です。守る物が無ければとてもここは通れない。」

 二人は用心深く崖を降りた。腐土は上から見た以上にひどい有り様だった。赤茶けた土は、名の通りぐじゅぐじゅに腐っていて、足場はたよりない。汚水の詰まった大きな穴はゴボゴボと悪臭を発散させていた。ここの太陽の光りは僅かとは言え、腐土化を促進させるに十分だった。これが四方続いている。

そしてもっと驚いた事に、ここもかつては緑豊かな草原だったというのだ。

「ここがか!?」

「昔はね。確かに緑がずっと広がっていた。飛燕の邦のようにね。ーーほら。」

司竜は彼方を指さした。汚水の中に何か白いものが突き出ているのが見えた。それは建物の一部ーー緋の国独特の寺院の尖塔に違い無かった。よく見ればそこかしこに同じような白い建物の残骸が汚水に埋もれていた。

「ここは、かつては《白の邦》と呼ばれた邦だったんだ。緑の中に浮かぶ白い邦。……美しい邦だった。」

 その美しい邦も、今やただの腐土にすぎなかった。

飛燕は余りのことに、眩暈(めまい)を覚えた。とは言えのんびりと感傷に浸っている暇は無かった。一刻も早くここを抜け出なければならない。

何故なら二人とも、先程から妙なだるさを感じ始めていた。ここから発される悪臭は、人の体に作用する。長く留まっていることは死を意味をした。

 二人は足場を確かめながら砂馬を歩かせた。

 しばらく歩いてから、急に司竜が飛燕の隣に砂馬を並べた。

「妖魅がいる。わかるな。」

彼女は黙ってうなずいた。目だけを素早く四方に向ける。汚水の中から妖魅ーーあの腐蛙が顔を出しているではないか。腐蛙の嫌ったらしさは、よく知っている二人だ。いくら雑魚とは言え、何度も太刀は交えたくない。飛燕の背中に冷たい物が走った。気付けば砂馬も震えている。クゥクゥとしきりに頼りなげな声で鳴き出した。司竜は、ぶつぶつと呪語を唱え出した。そのためか、腐蛙はじっと魚の目で二人を凝視しているだけで、手を出そうとはしない。しかしよけいにそれが感に触って仕方がなかった。

(どこもかしこも妖魅ばかりかっ)

彼女は心の中で吐き捨てるように言った。

 まさしく緋は魔窟の名にふさわしい国に成ってしまっていた。

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