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緋の迷宮  作者: 津本美弥
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邂逅

「ばかやろー。てめェが鈍足だからいけねェんだろ!」

「誰が鈍足だ、誰が!」

うっそうと繁った森に響く罵声。

「だいたいなぁ、呪言を間違えたのはお前だぞ!」

ーー安都水司竜(あづみしろう)

「うるせェな!ちょっと間違えただけだろっ。」

ーー安都水鷹矢(あづみたかや)

 共に、双頭の龍を透かしにしてある額輪から、狩りを生業にしている祓士であることが分かる。

 祓士とは読んで字のごとく、禍物を祓う人々であり、世界広しと言えどもなれるのは、安都水の一族しかいなかった。

二人もつい今しがた獲物であるはずの妖魅を取り逃がし、追いかけている真最中だった。

「なにがちょっとだ。これで何回目だよ!……あっ。」

 短く叫ぶと、司竜は立ち止まった。いぶかしげに周囲を見回す。

「何だよ、どうしたんだよ。」

「気配が無くなっちまった。」

「何だぁ?」

「妖魅の気配が消えちまったんだョ。あんなに強く感じていたのに、いきなり消えちまった。」

鷹矢はゲッと言う顔をすると、慌てて周囲を伺った。

「ーー本当に何も感じねェなぁ。……なんて感心できるか!ばかやろう。逃しちまったじゃねェか!」

「俺のせいだって言うのか!?」

「あったりめェだ!このボケ!」

「うるせェ!ボケはてめえだろーが!」

「やめんか!」

鋭い一喝。二人は瞬間ビクついて、振り向いた。

 精悍そうな初老の男が、木々の間から姿を現した。その額には、やはり祓士の額輪があった。

「おやじっ。」

「お、叔父貴。」

同時に焦って口ごもる。

 その男は鷹矢の父であり、司竜の叔父であり、二人の良き指導者であった。

「まったく何たる様だ。お前達は、それでも安都水の祓士か。情けない奴らだ。特に司竜、お前は祓士になって何年経つんだ。少し自覚が足りんのではないか?」

司竜は黙って首をうなだれた。

「まっ、その点俺は初心者だからな。」

一言多い鷹矢の頭に、間髪入れず拳骨がとんだ。

「この馬鹿者が!そんな言い訳が通用すると思っているのかっ。わしが気付いたからよかったようなものの、手負いの妖魅を見失うとは、たるんどる!」

そう言った彼が持つ錫杖は、新しい紫紺の血で濡れていた。まさしく妖魅の血だった。

「でもよぉ、おやじぃ。」

鷹矢が頭をさすりながら、なんとも情けない声で言った。

「もう十日だぜ。こう毎日妖魅と追いかけっこじゃ、いくら何でも気力もぶっ飛んじまう。」


 実際そうだった。彼らが故郷の京斗(けいと)を出てから十日。その間毎日のように、妖魅と遭遇した。いかに祓士を生業にするとはいえ、これは少し異常だった。

「司竜。お前はどう思う。」

しばらく考えこんでいた叔父は、おもむろに口を開いた。

「どうって…」

戸惑ってみたものの、叔父の目にその意図を読むと、軽くー肩をすくめた。

「妖魅には違いないんだけど、あの雑然としたただの禍物じゃなくって…もっとはっきりとした…人と相対するような確かな存在になりつつあるような気がする。」

「そうか…近頃流れて来るよからぬ噂といい、やはり一度京斗に戻ったほうが良さそうだな。」

鷹矢は内心父の『京斗に戻る』と言う言葉に喜びはしたものの、憮然としてうつむいている従兄弟を察して黙っていた。

「年寄りの言う事なんざ気にするな。」

「ばか、聞こえるぞ。」

司竜は苦笑いを返した。

 ーーいつもこうだ。祓士に特別もくそもあるもんか。どこが違うって言うんだよ、俺には分かんねェよ!


 森に夜が訪れようとしていた。昼なお暗い森は、夜になると漆黒の世界と化す。そして妖魅達の絶好の場となった。だから祓士を除いて、夜の森に入ろうなどとする者は、誰もいない。入ることは即ち死を意味した。しかし今夜に限って、森は奇異な客を迎えていた。楡真の巨木に寄り掛かるように、人影は立っていた。根本にはびこる光苔の微かな光が、かろうじて人影を照らしていた。一見華奢な少年のようだが、明らかにその姿は少女だった。暗緑色の瞳と髪を持ち、更に彼女の出自を示すものとして、額に二本の角が生えていた。

「おのれ、私を夜叉一族の者と知っての所業かっ。」

声を張り上げ、闇に向かって叫んだ。

 髪は乱れ放題に乱れ、服は鈎裂きだらけだ。その汗ばんだ手には、太刀がしっかりと握られている。

「出てこい!仕掛けておいて戦わぬとは卑怯だぞっ。」

その叫びに応えるように、前方の霞が不自然にザワついた。彼女が太刀を構え直すと同時に、霞から何かが躍り出た。

 一瞥のうちに三つの影を確認すると、彼女の太刀が一閃した。まるで獣のようなしなやかな身のこなしだ。太刀を鞘に収めるまで、ものの数秒とはかからなかった。

「フン。身の程をわきまえぬ愚か者が。」

彼女は鼻で笑うと、足で死体をひっくり返した。刹那、彼女は目を見張った。

「な…んと、人ではないのか!?」

それは、人の死体ではなかった。ーー人の姿を写した妖魅だった。

「人の姿を持つ妖魅だと?まさかー」

彼女は驚きを隠せなかった。それもそのはず、今まで人の姿形を写した妖魅など、見たことも聞いたこともなかったからだ。とはいえ確かにそれは妖魅に違いない。人の姿をしてても、生気の無いのっぺりとした傀儡にすぎなかった。しかなもその傀儡は、額にりっぱな二本の角を持っていた。

 夜叉一族の証である二本の角を。

 彼女は声も無かった。もはや驚きと言うよりも、恐怖に近かった。

「…よもや兄上の仰っていたこたは、真だったと言うのか?一族の誇りを捨てて、このような下衆の力を借りるのか…いや、あり得ぬ!信じられぬ!」

 大きくかぶりを振った。しかしその声は微かに震えていた。

 その時だった。一瞬、森の空気が揺らめいた。森ではどこに妖魅が潜んでいるか分からない。ぐずぐず考えこんでいるのは、死に急ぐようなものだった。

 彼女は死体から目をそらすと、注意深く辺りを伺った。確かに何からの気配がある。

「もし兄上の仰ったことが真なら……」

そう言った彼女の目は既に好戦的な色を帯びている。彼女は手近な楡真(ユマ)の木に、いとも軽く飛び移った。葉の陰に身を潜め、じっと気配を感じ取っていた。いつの間にか手は、柄を握りしめている。もう気配だけではない。何かが近づいて来るのが、はっきりと分かる。微かに妖魅の臭いがしないでもない。

 草を踏みしだく音。微かな息遣い。

 今だーー!

 一瞬の迷いも無く、彼女は宙に躍り出た。判断よろしく真下にいた何者かの脳天めがけて太刀を振り下ろした。

「もらった!」

カシーン!

甲高い金属音がこだました。

(何っ!?)

間髪入れず、彼女は飛び退いた。見れば何者かも、手に錫杖を持っている。

「おのれ小賢しいまねを。」

 しかし彼女は既に相手が只者ではないことを見抜いていた。初めの一太刀は入ったものの、もうどこにも隙が無い。

ーー妖魅か?それともー

「来ぬのなら、こっちから行くぞっ。」

言うが早いか、太刀を上段に構え飛びかかった。

「ーー!」

「ーー?!」

 ふと彼女の動きが止まった。充分な間をおいて、相手を伺った。微かな苔明かりの中に、人の姿を見ることができた。かと言って油断はできない。前例があるからだ。

「誰だっ。」

鋭く言う。ところが返ってきたのはー

『そりゃこっちの台詞だ。いきなりなんなんだよっ。』

母国語こそ違うが、明らかに人の言葉であり、しかも彼女の知っている言葉であった。

お前、(しょう)の者か?』

「ああそうだよっ。晶の安都水だよっ。」

「安都水?ーあの安都水か?ならば、お前が安都水の祓士だと証明できるか。」

「錫杖と額輪が証明するさ。」

 彼女は差し出された錫杖と額輪をしげしげと見た。そして納得したようにうなづくと、太刀を鞘に収めた。

安都水の祓士殿とは知らず、無礼なことをした。許してくれ。ー妖魅かと思ったのでな。私は陸飛燕(リウフェイイェン)(りょく)の飛燕だ。」

「あ…えー。お、俺は司竜。」

司竜(スーロン)…か。」

 確かに安都水司竜の姿だった。彼はいきなり名乗られ、戸惑って立っていた。しかし彼女は少しも悪びれず、屈託のない笑みを見せると、右手を差し出した。司竜は反射的にその手を握り返していた。

「ほう、これは陸家の…初めてお目にかかる。」

 司竜は彼女ー陸飛燕を、叔父と鷹矢の待つ野営地へ案内した。

 彼女が自己紹介をすると、叔父は驚きながらも丁寧に邂逅の辞を述べた。何故なら陸家とは、緑の国ー青湖(チンホウ)の領主だったからだ。つまり飛燕は陸家の姫だった。しかし鷹矢一人が腑に落ちないらしく、司竜に怪訝そうにささやいた。

「陸家っちゃあ、夜叉一族の中でも名門中の名門だろ?何でその若旦那さんがこんな所にいるんだよ。それに、どー見たってありゃ乞食だぜ。」

「あのなぁ、よく見ろ。彼女は女性だぞ。だからおまはモテないんだよっ。」

「女ぁー!?詐欺だぜありゃ!」

「ば、馬鹿っ。」

飛燕はびっくりしたように鷹矢を見た。慌てて鷹矢は目をそらし、司竜は他人のふりを決めこんだ。

 飛燕はクッと喉の奥で笑うと、続け様さもおかしそうに大声で笑い出した。

「はははっ。女には見えぬか。はっ、はは。しかたない、領民ですら間違うこともある。」

「す、すまん。いや…すみません。失礼なこと言って。」

父の視線が痛かったが、当の飛燕は少しも気にした風もなく笑っていた。

 彼女を加え、焚火の元でささやかな夕餉を済ました後、一息おいて叔父が話しを切り出した。

「ところで夜叉姫殿。姫は何故ここにおられるのか?」

司竜と鷹矢の視線が飛燕を捕らえる。

「見たところ姫一人。姫も緑の者。この森はよく存じておられるはずだが、陸家の姫ともあろう方が唯一人夜半に森にいらっしゃるとはいかなる事かな?加えて先程の騒々しい気。姫は妖魅と一戦交えられたであろう?」

叔父の話しを聞きながら、次第に飛燕の顔は強張っていった。

「ーーさすがは祓士殿。遠くて猶、妖魅の気が分かるとは…。いかにも一戦交えた。」

そう言ってスラリと太刀を抜いた。白刃にはまだ、青黒い血がべっとりとついていた。それを表情一つ変えず、無造作に拭きとる。使いが荒いにも関わらず、刃こぼれ一つない刀は、彼女が相当の使い手であることを示していた。

 司竜の手には先程の感触がまだ、残っているようだった。

「近頃緑では戦が頻発していると聞く。この大事に姫にもしもの事があったらいかがする?」

「私はよい……私などはよいのだ。」

彼女はまるで独り言のように呟いた。

 その姿にはさっきまでのハキハキとしたー果断な面影は影を潜め、代わりにどこか物憂げなものが浮かんでいた。

「…祓士殿は諸国を巡っておられるのだったな。」

彼女は淡々とした口調で喋り出した。

「確かに緑では争いが絶えぬが、それは別段我が一族の血筋、珍しいことでは無い。まぁ…ここしばらく激しい戦が多くて、滅んだ邦が幾つかあるが、それもよくあることだ。ただ違うのは、近頃ではその戦に妖魅共が関わり始めたと言うことだ。しかも事もあろうに…あの下衆共の力を借りようとする愚か者まで現れる始末。先程の妖魅もそうだ。あやつらは青湖から私をつけていた一族の者だ。あまりにも情けなくて、私は信じたくなかったのだ。ーー兄上の言葉をだ。あの時私は笑った。何を馬鹿な事をとも思った。ーーしかし馬鹿者は私の方だった…」

最後は殆どつぶやきに近かった。目を伏せ、唇を噛みしめる顔は、痛ましげと言ってよかった。しばらくは誰も口を開く者はいなかった。

「……では、何故姫は森に?」

「ーー兄上のためだ。」

そう言い放ち、しょげた気持ちを吹っ切るように刃を鞘に収めた。

そして真っ直ぐに三人を見た。

「早く兄上を探さねば、聖都(イナ)との間に戦がおこる…」

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