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緋の迷宮  作者: 津本美弥
12/14

開宴

「兄上。」

 もう何回も飛燕は呪文のように、この言葉を繰り返していた。

 あの混乱の中、司竜と飛燕は白狼を鎖から解き放ち、広場を抜け出した。もともとは知能などあるかないかの妖魅共が、大半を占めている。一度混乱になれば、それはもうただの烏合の衆にすぎない。わめきながら、ただもう逃げ回る一方で、一向に司竜達には気が付かなかった。役人達もその混乱に巻き込まれて、司竜達を見失う始末だった。

「兄上。」

もう一度彼女はつぶやいた。

 混乱を抜け出した後、三人は廃墟となった寺院の地下墓地に逃げ込んだ。いつもならば司竜は結界を張るところだが、ここではそれが返って仇になる。あえて結界は張らなかった。

「兄上、お探ししました。……このような辱めを受けられて、……」

彼女はさも悔しそうに拳を握りしめた。

 彼ーー陸白狼は確かに囚われ人だった。永の囚人生活は、彼を変貌させるのに充分なものだった。あまりにもその姿は(やつ)れ切っていた。そしてもっと痛ましかったのは、両手両足にくっきりと残された(かせ)の跡だった。それが余計に彼女を悲しませた。

 しかし白狼は自分の変貌ぶりを気にするよりも、危険を犯して自分を探しにきた飛燕を、しきりに気遣っていた。

「すまなかった。我が身の不祥事のために、辛い思いをさせてしまった。」

「何をおっしゃいます。兄上が受けられた屈辱に比べれば、我が身の不幸など……。何故兄上ともあろうお方が、むざむざ虜囚の身になどになったのです?いったい何があったのですか?」

 白狼は静かに息をつくと、おもむろに語りだした。

 彼が聖都(イナ)に着いたのは、もう三月(みつき)ほども前のことだった。その間やはり司竜達と同じく、数知れぬ妖魅に出くわした。そしてやっとの思いで聖都に着いて彼は愕然としたのだ。三月も前、既にここは妖魅の邦と化していた。ーーこれでは国交が途絶えるのも必然の(ことわり)だ。彼は絶望と不安にかられながらも、四聖宮をとにかく訪れなければいけないと思っていた。そう思っていた矢先、さらに彼を失望させるものがあった。それは寺院の荒廃であった。神聖なる寺院がいとも脆く、妖魅の手の内に落ちていたのだ。というより真っ先に妖魅の手に落ちたのが寺院であったと言った方がいいだろう。所詮僧とて人の域を出ず、抑圧していた欲望の部分を刺激され、いともたやすく奴らになびいた。故に加担者と呼ばれる者の大半は、他ならぬ僧達であった。

 そしてあの最も神聖なる四聖宮もまた、妖魅の手の内にあった。しかも事もあろうに、そこが《兇羅》なる最悪の者の(すみか)であった。

兇羅(きょうら)ッ。」

司竜が短く叫んだ。

「そう…あの兇羅だ。私には姿こそ見えぬが、あのとてつもなく巨大な禍々しい気は、伝説に出て来る兇羅だと確信している。」

司竜は唇を噛みしめた。

「そして私は奴に捕まった。ーー抗ったところで抗いきれるものではない。圧倒的な力だった。」

「しかし四聖宮には、封印を守る神官がいたはずだが……」

「ーー痛ましい事だが羅・那・久宇と呼ばれる神官は、もうこの世にはいない。今は巫女が一人、最後の砦を守っているそうだ。」

「巫女…が。」

「かといって兄上。何故兄上はあの時、むざむざ角を切られたのですか。一矢報いようとは思わなかったのですか?」

 その彼女の責めるような口ぶりに、白狼は苦笑した。

「ーー飛燕、そなたは相変わらずだな。よいか名誉や誇りなどは、時と人力さえあればいつでも取り戻すことができるものだ。あそこで私が抗えば、囚われている大勢の我が民達はどうなる?必ず報復をかうだろう。民を守れぬようでは、領主にはなれまい。分かるであろう?」

 彼はにこやかに笑ってさえいた。

ーー凄い人だ。と、司竜は思った。彼ならばきっと先代のどの領主よりも、凄い王になるだろう。そして緑はより大きくなる。

 白狼はまだ納得がいかない様子の飛燕を抱き寄せた。

「お前はとても優しい子だね。」

「それは兄上です。私はとても兄上のようにはなれませぬ。ここに来るまでも司竜がいなければ、きっと私は己の誇りのために、過ぎたまねをした事でしょう。」

司竜(スーロン)ーーああ、祓士だね。晶の安都水殿か。妹を守ってくれて礼を言うよ。」

「いえ、私は己の務めを果たそうとしたまでのことです。私こそ…あなたには申し訳ないことをして……まさかあなたを……」

司竜は言葉に詰まった。もっと早く気付くべき事だったのに、気付かずにいた自分の愚かさを呪った。

ーーあの言葉!そうだ彼が、奴の言った《贈り物》か。

(許さぬぞ…)

司竜は呻くように心の中でつぶやいた。

 夜になっても三人は地下墓地を出ることができなかった。夜だというのに外の騒ぎは一向におさまる気配がない。役人は血眼になって三人を探していた。さらに自分達に被害が来ることを恐れた人間達も、妖魅に混ざって探し回っている。

 司竜は一人離れて、考え事をしていた。その背後に音もなく、飛燕が近付いた。

「司竜。」

彼女の目はどこか、寂しげな憂いを帯びていた。

「教えてくれ。ーーいや、もう話してくれてもいいだろう?そなたは誰だ?あの司竜ではあるまい。」

彼は振り返らなかった。飛燕はなおも聞いた。

「そなたはいったい誰なのだ。ーーそれとも私には話せぬか…?」

 しばらく沈黙が続いた。そしてようやく彼は、重い口を開いた。

「私は長い間、願っていた。再びこうやって地に足をつけて、ここの空気に触れることを…。しかしそれは望んではいけないことなのだ。私とて分かっていたはずなのに……。私がいたらぬばかりに、このような結果をーー兇羅を復活させてしまった。……責任は取らねばならない。そのためには司竜が必要だった…いや司竜自身が私を必要としていた。俺は名前の通り《龍の司》つまり安都水ーー晶の司としてあらねばならない身だったんだ。安都水のみんなはそのことを知っていたし、知らなかったのは俺くらいなもんだった。仕方ないさ。記憶がないんだから…。自分が何をしたらいいのか何も受け継がれていなかったんだから、だから…だから、必要だったんだ。一度死んで、ーー兇羅に不意打ちを食らったんだけどね。奴は何も知らない時に、私を葬りたかったらしい。しかしそれが幸いしたんだろうな、司竜は私を手に入れることができたし、私は司竜を手に入れた。」

「そなた…は。」

「司竜であり、また遥か昔はもっと別の名があった。……翔豈、そんな名前だった。」

なんとなく彼女には、分かっている気がしていた。しかしそれを口にすることが怖かった。

「私は今まであのような話など、ただの作り話としか思っていなかった。守護者などという途方もない人物は、いるはずはないと考えていた。」

「五百年は長すぎた。人が忘れ去るには充分な年月だった。」

「お前ーーそなたは…」

飛燕は口をつぐんだ。言いにくそうに(うつむ)き、目を伏せた。

「そなた…は、行くのだろうな。」

司竜は振り向いた。その目は限りなく優しそうでもあり。また悲しそうでもあった。いったいどれだけ時を重ねたらできるのであろうか…。あのような表情が……。

「五百年前もそうしてきた。しかし今度は失敗はしない。ーー白狼殿のこと…辱めを受けている夜叉一族のこと、全て方付けなければいけない。」

「これはお前のせいではないんだ、司竜!あの伝説が本当ならば、いずれ兇羅は復活をきたしただろうし、それに…地を思うが心、誰もが当然ではないか!そなたは五百年前と同じことを繰り返すのか!」

「繰り返しはしないよ。ーー姫。」

 彼はつぶやくように言うと、敬愛をこめて飛燕の肩を抱いた。あの飛燕より幾分低かった背も、いつの間にか彼女を越している。

「飛燕。そなたはーーに似ている。強くて、優しくて。そして…私は……いや、もうすぐ《宴》が始まるな。奴が…呼んでいる。」

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