幻夢
彼は夢をみていた。
一寸先も見えぬ闇の中、彼はしきりに何かを探していた。宛ても無く、いや何を探せば良いのかさえ、定かでは無い。見つけなければ、彼の願いは叶えられなかった。
ーー戻りたい。かの地へ。
ーー叶うものなら、今一度かの地へ戻りたいのだ。
それは切なる願いだった。しかしそれとは裏腹にいつも別の思いが、それを押し止める。
ーーいいや戻る訳にはいかぬ。かの地のためにも、決して戻ることは出来ないのだ。
毎日がこの思いの葛藤の繰り返しだった。
そして彼の願いが叶うときが来た。探す物ーかの地へ戻る道。
しかしそれは同時に、彼に深い後悔の念を残した。
深く深く、彼は思い悩んだ。
「そうさ、お前が私を助けたのさ。」
誰かが嘲笑った。
「言わば私を解放したのはお前だ。ーー私は嬉しいよ、お前のような奴が《封》であったのがね。なあーー翔豈。」
ーーそうだこれは私の責任だ。私のあらぬ思いが、こやつの思う壺に嵌った。しかし二度と同じ間違いは繰り返さぬ。今一度、お前を永劫の闇に葬り去ってくれる。
さらに激しくそれが嘲笑った。
「やれるのか?そうだな、半身を得たのだったな。おもしろい、良かろうーーやってみるが良い。私もお前の決意に敬意を表して、贈り物を授けよう。喜んで受け取るが良い。ーーきっと気にいるぞ、翔豈。」
「おい。起きろっ。」
激しく体を揺さぶられて、安都水司竜は目を覚ました。
「飛燕?」
「外が騒がしい。何だ?」
まだ日が昇りかけた頃だ。しかし、やけに外はざわついていた。いくら妖魅の邦とはいえ、朝には似つかわしくない騒がしさだった。
司竜と飛燕は急いで階下に下りた。食堂には既に昨日の妖魅達が集まって、しきりにザワザワ言っている。
「何なんです?」
妖魅の一匹が、チラシのような紙切れをくれた。
チラシには一言、《正午より中央広場にて恒例の行事を行いたし》と書いてあるのみだった。何がおこなわれるのか、一切分からない。しかし妖魅共は、異常なくらい浮かれている。外の騒々しいのもそのためだ。聖都中が浮かれ騒いでいた。
「何だ?」
「分からん。しかしこの感じは決して良いものじゃない。」
司竜の考えは当たっていた。
正午。街路のそこかしこにいた妖魅共は、一匹も姿を見ない。皆、中央の大きな広場に集まっていた。そこは二重三重に輪が出来てしまっていて、とんでもなく騒々しかった。邦中の寺院の鐘という鐘が鳴り響く。歓喜の声が一層強まった。人波を掻き分け前方にたどり着いた二人は、我が目を疑った。
広場の中央に平たい石の台が設けられ、男が一人目隠しの下、鎖でがんじがらめに縛り付けられていた。その側に役人らしきーー剣を持った妖魅が二匹。法衣を纏った妖魅が一匹付き添っていた。
「う…」
飛燕の喉から、かすれた音が漏れた。
「……え…あ…にぅ…」
司竜は、ハッとした。
「白狼殿かっ!」
ふと鐘の音が止んだ。一斉に広場はシンと静まり返った。これから起こる出来事に身を震わすような喜びの思念だけが、ひしひしと伝わってくる。それに応えるかのように、役人の一匹が高々と剣を上げた。もう一匹が、おもむろに金属製の棒を差し出した。試し切りなのだろうか。一刀のもとに断ち切り、また高々と剣を突き上げた。と同時に周囲から、堪えきれなかった狂声が迸った。
ーー公開処刑かっ!
飛燕は放心状態のまま動かない。台の上の男も身じろぎ一つしない。静かな感情が流れて来る。
司竜は舌打ち一つすると、呪語を唱えようとした。その一瞬、
カーン!
木を割ったような音が響いた。
「兄上っー!」
凄まじい絶叫が上がった。ーー飛燕だった。
彼女は素早く太刀を抜くと、中央へ飛び出そうとした。慌てて司竜は彼女を押し止めた。
「離せっ、無礼者っ!」
「待って飛燕っ。いけないっ。」
「貴様に何が分かる。角を…事もあろうに、一族の証たる角を切られたのだぞ。こ、このような辱めを、夜叉王たる者が受けるいわれなぞあるかっ!この私が征伐してくれるっ。重ね重ねの屈辱、もはや許すわけにはいかぬ!」
白狼の片角は、見事に根本より切断されていた。角を切られるということは、夜叉一族にとっては死に値することだった。誇り高い彼女が我を忘れるのも当然だ。しかしここで騒ぎを大きくする訳にはいかない。司竜にとっても、飛燕にとっても、そして白狼にとっても不利この上ないことだ。しかし群衆は、太刀を振り回す彼女の剣幕に驚いて、蜘蛛の子を散らすように四方へ散ってしまった。既に役人達が集まってきている。役人ということは、並の妖魅ではありえない。しかし完全に逆上してしまった彼女は、物凄い力で司竜を突き飛ばすと、中央へ躍り出た。
「飛燕っ!ーーくそっ!」
『天よっ!飛焔の龍よっ。我に力を!御霊を貸し賜えェ!』
印も切らずに、司竜はありったけの声を張り上げて叫んだ。おざなりな呪語にもかかわらず、彼の叫びは天を突き、千条の雷を地上に降らせた。広場は一瞬にして地獄絵図と化した。
そしてもう一人。この光景を見ていた者がいた。四聖宮の巫女、真・那・留宇であった。




