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緋の迷宮  作者: 津本美弥
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聖都

 緋の国に入ってちょうど五日目。司竜と飛燕はようやく聖都の城壁にたどり着いた。その間一日として妖魅に会わない日は無かった。砂漠に森に、河に湖に、いたるところに妖魅がはびこっていた。祓士の司竜はともかく、飛燕はそのあまりの数に妖魅に対する感覚が麻痺しつつあった。辛うじて結界のおかげで、事無きを得ていた。

 今になって彼女は思うのだが、司竜がいなければとても一人では、ここまで来れなかっただろう。何故彼が同行しているのか、目的は何か、彼は答えてはくれない。しかしともかく同行してくれて良かった。負けん気の強い彼女ではあったが、こればかりは素直に認めざるを得なかった。

 しかし当の司竜と言えば、何故か聖都に近付くにつれて口数が少なくなり、押し黙ってしまうことが多くなった。あの鷹矢と軽口を言い合っていた面影は、既にどこにも無い。大人びた様子は益々強くなった。そればかりか時々のぞかせる表情には、底知れぬーー人をも超えてしまったかのような、全て悟り切っている聖人のようなところさえあった。飛燕は確信していた。もはや彼は、以前の彼では無い事を。

「しかし、何と大きな城壁なのだ。我が青湖などこれに比べれば、ただの田舎邦にすぎぬな。」

彼女は、感心したように壁に触れてつぶやいた。

 それ程聖都は大きな邦だった。おそらくは残存する全ての邦の中で一番の大邦だろう。四方を天もつかんばかりの巨大な城壁がぐるりと囲み、遠くからでは壁の広がりにしか見えなかった。壁の四方に大門があって、出入りはそこでなされた。

「飛燕。」

司竜が口重く言った。

「覚悟しておいたほうがよいだろう。ーここはもう私達の思うような聖都ではない。」

「分かっている。私にもこの異様な気配、ひしひしと感じ取れる。聖都は既に妖魅の手に落ちていると考えて良いのだな。」

「ああ。」

「しかしだとしたら、簡単に入れるだろうか?」

「それはかまわぬだろう。見れば大門は開いているようだし。それにもし入城を阻止する気でいるならば、とっくに何か仕掛けてきても良さそうなものだ。力の有る者が大挙すれば、結界などは役にも立たぬ。その気が無かったということは、入城する分には構わぬということだと思うが。」

「確かに。妖魅共に我らの意図がわかる程、利口な者がいるとは思えぬしな。」

「さあ……それはどうであろうか。」

「どういうことだ?」

いぶかしむ彼女に、司竜はまた何も答えなかった。

「そうだ飛燕、その…君の角だ。そのままではいけないな。」

「あ…。ちっ。そうだな、しかたあるまい。」

 夜叉一族の誇りの象徴でもある角は、時として自らの意思によって変化させることが出来た。陸飛燕とて例外では無かったが、彼女自身はそういったことはあまりやりたがらなかった。しかし場合が場合なだけにやむを得なかった。

「ーー飛燕。ただ覚えておいてください。聖都はただの妖魅の巣では無い。奴らの力の中心です。私が張る結界などは、気休めにもならないことを。」

彼女は力強くうなずいた。そして己の心を確かめるように太刀を握りしめた。


 城壁も大きければ、邦はもっと凄かった。多彩な彩りの石の建造物が、所狭しと立っている。その高さのため空はほとんど見えないと言ってもよかった。路地は建物の間に挟まれて、とても狭く揚げ句には迷路のように入り組んでいて、ちょっと奥に入り込んでしまったら、すぐに迷子になってしまうだろう。更に道の両脇に露店が迫り出していて、狭い道をよけいに狭くしていた。時々建物の間から覗く白い尖塔は寺院で、ひっきりなしに鐘が鳴り響いていた。ーーもともと聖都は寺院の邦と言っても良く、その数たるや凄いものだった。

 賑やかで活気に満ちていて、ありとあらゆる物が聖都にはあった。

 ここは天郷の中心と言っても過言ではない。ーーそう、かつての聖都だったなら…。

 姿をフードですっぽりと覆い、大門をくぐった二人は、大きな衝撃を受けた。それはあまりにも奇妙な光景だった。何かを言おうにも言葉がなく、ただ呆然とするばかりだった。

 聖都は人の街では無かった。

 いや、正確に言えば、人が支配する街ではなかった。ここの支配者は力ある妖魅と、それに加担する一部の人間達であった。大方の人間は、家畜のように奴隷として売買され、妖魅に奉仕するのを余儀なくされていた。

 賑やかなのは何も人ではない。妖魅の露店らしきものがギャアギャア喚き散らし、路地は買い物する妖魅でごった返していた。まるで人がやるように、人の《服》を見に纏い、言葉にもならぬ異音で笑う。ーー眩暈を覚えたくなるような光景だ。あちこちの角では異種同士が派手な喧嘩を繰り広げ、客引きが下卑た声で呼び込みをやっていた。しかももっと忌まわしいことに、そこかしこにある広場では《人》の奴隷市が盛大に開かれているのだ。中には飛燕と同じ夜叉一族の者さえ混ざっている。ーー買うのはもちろん妖魅に外ならない。

 飛燕はカッと頭に血が上るのを感じた。腹の底から怒りが込み上げてくる。誇り高夜叉一族の者が、事もあろうに妖魅などに売買されるとは、彼女には耐えられない事だった。強く握りしめた手には、うっすらと血が滲んでいる。目にはかつてないほどに凶暴な光が浮かんでいた。ふとその小刻みに震える肩に、手がおかれた。司竜がゆっくりと首を横に張った。フードで顔こそ見えないが、彼も激しい怒りを辛うじて堪えているようだった。ここで騒ぎを起こす訳にはいかないことは、二人とも良く知っていた。怒りに体を振るわせつつも、その場を離れた。人気のない裏路地に入り込む。

「このようなことがあってよいのかっ。えっ!妖魅の街だとっ?ふざけるな!今すぐあやつら叩っ斬って、この忌まわしき邦など灰にしてくれるわっ。もはや迷うこともない。父王にこのこと報告して、軍勢を遣わしていただくっ。」

息先切って彼女はまくしたてた。

「落ち着いて飛燕。夜叉姫ともあろう方が取り乱すなど、らしくないではありませんか、とにかく落ち着いて下さい。」

司竜は慌てて彼女の口を押さえようとした。しかし彼女は激しく振り払った。

「私は充分に落ち着いている。何をためらう事がある?聖都はもはやどこにも存在しないのだ。ここにあるのは、穢らわしき妖魅の住処だ。それを潰して何が悪い?」

「違う。ここは聖都だ。たとえ妖魅に奪われようとも、聖都の人々はまだ沢山ここにいる。苦渋に耐え、人としての尊厳を失おうともまだここにいるではありませんか。」

「しかし今殺らねば、奴らは力を蓄え、きっと他の国に侵略しに来るぞ。碧が良い例ではないか、」

「ーーだから…」

司竜は言葉に詰まった。何かを考えあぐねるように、しきりに『だから』を繰り返す。

「だから……っ!んじゃぁ夜叉王はどーすんだよ。」

突然出た司竜の言葉に、飛燕はキョトンとした。「探すの諦めちまったのかよっ。夜叉王はここのどっかにいるんだぞ!それをほっといて攻撃仕掛けたら、あんた彼を見殺しにすんのか!?見損なったよっ。姫がそんな短絡思考の持ち主だとは俺、思わなかったぜ!」

「な……」

彼女は司竜の言動に目を白黒させた。このあまりの言い草ではなく、喋り方に驚いたのだ。あの大人びた表情ではなく、ここにいるのは以前の安都水司竜だ。

(こいつ……何だ?」

彼の態度の変わり様に、飛燕はさっきまでの怒りを忘れてしまった。

「え…?あ、あーー?」

どうやら彼自身も自分の言動に戸惑っているようだった。しきりに首を傾げる。

「いや、だ、だから……すまぬ。気を悪くしないでほしい。」

またあの大人びた彼だ。

「いや久しぶりにそなたの《ぞんざい》な口を聞いたよ。そうだな。兄上を探すのが私の務めだったな。ーーしかしどうやって探せばいいものか……」

「人に聞くのが一番でしょうね。ーー人の集まる所へ行きましょうか。」

「しかし、我らは……」

飛燕の心を知ってか知らないか、司竜は余裕綽々で微笑んだ。

「まったく変な奴だ」


 司竜の余裕の意味はすぐに理解できた。

 彼は手頃な宿屋を見つけると、堂々と正面から入っていった。なんて奴だと思いつつも、用心深く後について行った。案の定中は妖魅ばかりだった。彼らは二人が入るなり、敵意のこもった眼差しを向けてきた。しかし司竜は一向に気にする風もなく、テーブルについた。直後隣にいた妖魅二匹が立ち上がった。

「お・まえ・ら、な・ん・だ?」

妙なイントネーションの言葉だった。明らかに殺気が漲っている。飛燕はすっと太刀に手をかけた。一匹が無造作に司竜のフードに手をかけ、払いのけた。飛燕はハッとした。

(しまった額輪がっ)

しかし用意周到に、既に額輪は外されていた。司竜はゆっくりと立ち上がった。二匹には一瞥もくれず、店の《主人》の所へ行った。そしておもむろに上着の中から《札》らしき銅片を取り出した。それを見た《主人》は、あぁという風に頷くと、そそくさと奥へ行った。その後ろ姿に『部屋を頼む』と言い放つと、司竜は席へ戻った。いぶかしむ飛燕と二匹に銅片を見せた。

 いつの間に手に入れたのか、それは加担者が持つ手形のようなものだった。額輪と言い、その彼の用意周到さに飛燕は溜め息をついた。二匹は仲間だと知ると、急に馴れ馴れしい態度になった。酒を持ち、席まで移動して来る始末だ。飛燕は妖魅なんぞと食事を取るのに辟しながらも、勤めて平静を保とうとしていた。

 妖魅達はさっきまでの殺気はどこ吹く風で、何かと話しかけてくる。限りのない付き合いだ。

(いつまで世間話をするつもりだ。)

飛燕は段々とイライラして来るのが、押さえきれなくなっていた。そんな彼女の心を察してか、おもむろに司竜は話しを切り出した。

「そう言えば前に《緑》から全権大使が来たんだってね。何か盛大な催しがあったんだろ?私はちょうど外に出ていたからよく知らないんだがね。凄かったんだろ?」

しかしその事について知る者はいなかった。大使どころか、ここ随分、緑からは《獲物》が手に入らないとぼやく始末だった。

 その夜司竜と飛燕は宿に一室を取った。

「すまなかった。いやな思いをさせてしまって。」

「いや、ーーそれより兄上は、やはり……」

疲れた体をベッドに投げ出して、彼女は、ぼやいた。

「いや、あいつらはただの商人だ。上の事情に疎いだけかもしれない。必ず、夜叉王殿は聖都にいらっしゃる。ーーよもや…」

「囚われの身と言うのか!?」

彼女は勢いよくベッドから飛び起きた。しかし司竜は何も言わなかった。

「馬鹿な。…あの兄上に限ってそのようなーー馬鹿なっ。」


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