第5節 起死回生の一手"落とし前"5
これ以上はオーバーワークだと判断して、昼休憩として切り上げさせた。
メアリーはまだいけると言わんばかりに目を向けてきたが、止めてからすぐに膝が震えだし、近くの壁にもたれかかった。
やはり、この2日間で、メアリーは完全に力尽きていた。
「メアリー、本番は明日だ。今日はもう休め。すべきことを果たしたのなら、後は備えろ。」
「……はい。……ネイソンさんは?」
「俺は、俺のすべきことを果たす。夜には戻って来る」
「…わかり、ました」
メアリーが寝息を立てるところまで見届けた後、俺は街へ戻るため、ひとり薄暗い森道を歩き出した。
向かう先はレナードのところだ。
夕刻。
石畳に長い影が伸びはじめ、屋敷街は静けさで満たされていた。
黒塗りの馬車がひとつ、音もなく停まる。
扉が開き、レナードが降り立った。
――いつもの黒衣。
――いつもの無駄のない所作。
だが、“その空気”は相変わらずだった。
上級幹部として長年居続けた男の気配。
声を荒げる必要など一切ない。ただ立っているだけで――
この男には逆らえない。
そう思わせる、圧が滲み出ていた。
レナードが門に手をかける直前、俺は静かに声を投げた。
「いい夕暮れだな、レナード」
レナードの手がわずかに止まる。
振り返ったその視線は、研ぎ澄まされた刃そのものだった。
「……ネイソン・ヴォルナー。お前は今、誰に声をかけたか理解しているのか?」
低い。静か。だが肺まで縮むような威圧。
普通の冒険者なら、返事すらできず立ち尽くすだろう。
――だが、俺は一歩前に出た。
「もちろん、理解しているさ。“落ち目の幹部”殿。」
レナードの目が細められる。
「……今、何と言った?」
「あんた、相次ぐ自派閥の若手のクビ移籍で立場悪くしているんだろ?さらに言えば、打開する手立ても見つかってない」
レナードの動きが止まる。完全に止まる。
「……それがどうした?私の派閥でもないお前が気にする必要はない」
「もし、俺があんたの派閥に所属しているなら、もう鞍替えしている」
レナードの気配が鋭さを増し、夜気がざわりと揺れた。
「…そんな下らないことを言うために、わざわざ待ち伏せていたのか?」
「まさか!…ここからが本題さ」
「ふん、明日の人事のことなら……」
「その結論は“力”を見てからにしてくれ」
レナードは鼻で笑った。
「お前のか?」
「メアリー・ノーマン」
「……は?」
声色が露骨に変わる。
「あの半端者のことか?」
「あぁ、想像の通り、あのメアリーだ」
レナードは扉に手を置いたまま、動かなかった。
俺は続ける。
「今の彼女に過去は無価値。ギルドの基準も無意味。言葉で表すのは無粋。あんたに対峙してもらうのが一番手っ取り早い」
しばしの沈黙。
そして、レナードは低く呟く。
「……いいだろう。そこまで言うなら確かめてやらんでもない」
その声は、腹の底に響くような重みを帯びていた。
「明朝に、訓練場で、だ。ただし――」
レナードはゆっくりと俺に顔を寄せる。
「もし私を失望させたら……お前の行く末は、私の手で潰えると思え。」
俺は小さく笑う。
「この先、一つでも失敗したら詰む状況なんでね。その時は潔く地獄にでも叩き落されてやるよ」
レナードの眉が、わずかに動いた。
興味か、苛立ちか。判断はつかない。
だが、そのままレナードは屋敷へと消えた。
◆ ◆ ◆
翌朝、訓練場。
レナードは既に剣を抜いていた。抜剣の所作だけで、実力が垣間見える。
メアリーが一歩前に進む。
まだ“再生型強撃戦士”としての姿は見せていない。
だが、その一歩を見ただけでも感じるところがあったのだろう。レナードが俺の方をちらと見て言う。
「……なるほど。前に見た時より洗練はされているようだ」
俺は笑った。
「慧眼恐れ入る。が、まだ序の口だ。」
鼻を鳴らしたレナードが剣先をメアリーに向けた。
両者が睨み合いながら戦闘態勢を構え…試合開始。
刹那――レナードが跳ぶ。
“踏み込み”ではない。
“跳躍”に近い。
重力を切り裂くような速度で間合いを消す。
横薙ぎ。
縦斬り。
刺突。
斬り上げ。
そこから、重心を捻っての回転斬り――
一撃一撃が、命を刈り取るためだけに洗練されている。
メアリーは――
一撃も、後ろに下がらなかった。
メイスで受け、全身強化で踏ん張り、
斬撃を弾いた瞬間には回復魔法で細かな傷を塞いでいる。
異常な継戦能力。
異常な回復速度。
レナードは眉をひそめた。
「……なぜ倒れん。」
更に深く踏み込む。
今度は剣速を二段階上げた。
打ち込みの重さが別物。
空気が悲鳴を上げる。
メアリーは――
後退しない。
砕けない。
揺るがない。
膝が折れかけても、折れる前に治癒が間に合う。
レナードの目が鋭く細められた。
「……理解した。」
レナードは一気にギアを上げる。
全身強化を発動し、速度が跳ね上がる。
――剣が消えた。
閃光の斬撃が連続でメアリーを襲う。
十撃。
二十撃。
三十撃――
メアリーの足が、初めて沈む。
レナードの剣が肩口をかすめ、血が舞う。
(まずい――!)
そう思った瞬間。
メアリーの瞳に“炎”が灯った。
「はぁっ!!」
爆ぜるように術光が溢れ、空気が押し出される。
回復魔法が一瞬で肩を塞ぎ、神聖術が身体能力を跳ね上げ――
メアリーはメイスを振り下ろした。
あり得ない速度で。
レナードは紙一重で避けようとした――が、遅い。
直撃。
地面が砕け、土煙が上がる。
レナードの身体が横に弾かれ、石壁に叩きつけられた。
その場に沈んだ。
訓練場が静まり返る。
わずかに揺れる土煙の中から、レナードがゆっくりと立ち上がった。
胸元の黒衣は破れ、呼吸が乱れている。
「……化け物だな。」
それは怒りでも嘲りでもない。
“認めてしまった男の声”だった。
レナードは剣を納め、俺の前に立つ。
「ネイソン・ヴォルナー。――貴様の言う通りにしよう。」
「人事を?」
「ああ。その少女を手放すのは……愚か者のすることだ。」
その背で、メアリーが緊張で息を呑む。
レナードは振り返らずに続けた。
「だがネイソン……」
わずかに顔を寄せ、
「もし、これで私が職を追われたら――貴様を大陸の果てまで追って、地獄に叩き落してやる。」
「あぁ、構わないさ。どうせ俺の人生、これ以上悪くなりようがないからな。」
「……ふん。」
レナードは一度だけ鼻で笑った。




