プロローグ
アイディアが湧いて、執筆が止まらなかったので、久方ぶりに投稿します。
ストックが切れるが早いか、物語が完結するが早いか。
これ以降、毎晩、20時に投稿予定です。
よろしくお願いします。
これは——とあるギルドの食堂での出来事である。
夜更け前。ギルドの食堂は、酒と汗と鉄の匂いが渦を巻いていた。皿がぶつかり、木の卓が軋み、笑い声が天井の梁に跳ね返る。明日の糧を胃に流し込み、今日の疲れを喉で洗い流す——冒険者の夜の儀式だ。
そのざわめきが、一瞬で止んだ。
隅の卓から、椅子が荒く引かれる音。立ち上がった男は冒険者にしては細身だった。だが、眼光鋭く、奥目に炎が燃え上がっている。手は僅かに震えていたが、拳は固く握られていた。
名はネイソン・ヴォルナー。ギルドでは長らく“落ちこぼれソロ”の烙印を押されている。
対するは、大男。肩幅は人の倍ほど、腕に刻まれた縫い跡はまるで地図のよう。笑うと太い犬歯が剥き出し、背に負った大剣はまさに脊柱のごとく存在を誇示していた。
彼はザンザス・フェルナンド。最年少Sランク候補者にして、セントラルギルドの“エース”として君臨していた。
「——ぜっっったいに! お前に頭を下げさせてやる!!」
ネイソンの叫びは、刃物が如く、空気を裂いた。食堂の真ん中に、目に見えない線が引かれる。その線上には、彼ら二人の因縁と、今まさに選ばれる未来があった。
「ハッハッハッ! オメェが? この俺に……? まだあのことを根に持ってやがるのかよ。冗談も大概にしろってんだ、落ちこぼれ風情が」
場がどっと沸いた。酒と銅貨の音が跳ねる。非公式の賭けが自然と成立し、受付嬢は眉をひそめる——誰も止めない。止められない。
「うるせぇッ! やるのか、やらないのか。ハッキリしろや、デク坊!!」
“デク坊”——それは、ザンザスが若かった頃、実力不足の象徴として浴びせられた蔑称だ。今、それをネイソンが叩きつけた。
「あ?…いいぜ!……そこまで言うなら、やってやるよ!!」
ザンザスは一歩踏み出す。床が低く唸り、観衆が息を呑む。
「二言はないな!」
まさに一触即発。両者、一歩も引かずに睨み合う。
二人の間に、少女がいた。白の外套に、束ねた髪。
名はメアリー・ノーマン。今はネイソンとコンビを組む小柄な神官少女。
整った顔は蒼く、両手は胸の前で固まっている。止めるべきか、見守るべきか。唇が震え、声はかすれ、そして飲み込まれる。
「オメェこそ、みっともない真似すんじゃねぇぞ!」
ザンザスが吠える。
「俺に負けたら、ギルドから永久追放! 冒険者資格も永久剥奪! 俺らの活躍を指くわえて眺めて、オメェが脱落した事実に向き合って、一生後悔してろ!」
歓声が湧く。卓が叩かれ、酒が零れる。
ネイソンは更に一歩前へ出る。胸は上下し、喉が鳴る。だが、声は真っ直ぐだった。
「お前こそ覚悟しろよ。俺が勝ったら——この場で、深く、深く頭を垂れて、心を込めて謝罪しろ! 『私は見る目のない節穴のデク坊でした。申し訳ありませんでした!』ってな!」
「天地がひっくり返ってもあり得ねぇがな!万が一だ、万が一だぞ? 俺が負けたら、ここにいる全員の前で、過去のことも今回のことも、まとめて謝ってやるよ!」
言葉が刃となって、場の真ん中で交錯する。それは二人の喉から出たものだったが、同時に、ここで過ごした年月の澱でもあった。五年前。Cランク昇格を果たした頃、二人は同じ焚き火を囲み、互いを“相棒”と呼んだ。いつから歯車は狂い始めたのか。いつから、その焚き火は片方だけの暖を取るためのものになったのか。
「勝負の内容は?」
ザンザスが顎をしゃくる。
「殴り合いか? 腕っぷしか? それとも、この場で腕試しでもしてみるか?」
「違う。」
ネイソンは首を振る。視線だけが獣を射抜く。
「——先にSランクになるのはどっちか、だ」
食堂に、もう一度沈黙が落ちる。誰かが笑い出すのを、誰もが待った。だが、先に口を開いたのはザンザスだった。
「はぁ? 正気か、オメェ。」
「俺じゃない」
ネイソンは言う。
「お前が競り合うのは——この子だ」
視線が、白い外套に集まる。メアリーの喉が上下する。彼女の両肩に置かれたネイソンの手は、驚くほど静かだった。
「……え? わ、私が……?」
「おいおい、ついに頭がイカれたか?」
ザンザスは笑う。笑い声は広がる。
「自分で勝てねぇから、ガキを盾にするのかよ。いかにも落ちこぼれが考えそうなことだ」
「…ザンザス。さっきお前が言ったこと、覚えているか?」
ネイソンの声音が低くなる。
「『寄生でしか生き残れない落ちこぼれ』——さっき、お前はそう言ったな?」
ザンザスは黙る。周囲の笑いが一瞬引く。
「なら、仮にだ。」
ネイソンは続ける。
「俺と組んでいるメアリーが、お前より先にSランクになったら、どうなる? 『俺を切り捨てたから、のし上がってこれた』って理屈は、簡単にひっくり返る。つまり、お前の“程度”が知れるってことだよな?」
ひゅう、と誰かが口笛を鳴らした。笑いがざわめきに変わる。賭け札が静かに、数枚裏返された。
「ハッ! ずいぶん口が回るようになったじゃねぇか」
ザンザスの目が細くなる。獣が唸るように笑う。
「良いぜ。受けてやるよ。嬢ちゃんが俺より先にSランクになったら、俺の負け。——この際、オメェでも構わねぇぜ? 優しい俺は、懐が広いんでな。」
ネイソンはメアリーの肩から手を離す。その手に汗はない。
あの日の焚き火が、一瞬だけ脳裏を掠める。まだ何も失っていなかった頃の、笑い声。二人の間にあった、名も無い夢。炎に木が爆ぜるパチパチという音。ネイソンはその音を、胸の奥へ押しやり封じ込めた。
「約束は違えるなよ、ザンザス」
ネイソンは言い切る。
「頭を下げるのは——お前だ」
この勝負は、血みどろの殴り合いじゃない。証明の積み重ねだ。誰かの“評価”は、誰かの“結果”でひっくり返せる。嘲笑っている奴らを黙らせるには、拳ではなく、数字と手柄と、最後に“頭”が必要だ。
時間は少ない。だが、十分だ。必要なのは、捨て石にできる自分と、共に戦ってくれる相方と、最後にほんの僥倖だけ。
「楽しみにしてるぜ、落ちこぼれ」
ザンザスは嗤う。
「“現実”を教えてやる。」
「教わる気はねぇよ。」
ネイソンは返す。
「——現実は、見据えて持ってくるものだ。」
気が済んだザンザスは取り巻きと乾杯した。
「あの落ちこぼれ、これで終わりだ。」
笑いは厚い壁となって、二人を外へ押し出そうとする。だが、それで良い。夜の冷たさは、頭を澄ませる。酒の苦さより、冷気の痛みの方が、今はありがたい。
扉の向こう、夜が口を開けて待っている。石畳に灯りが落ち、斑に濡れている。かすかに土の匂い。明日の依頼の札が、掲示板で乾く音がした気がした。
成績発表まで長いようで短い。だが、やれることは多い。まだ、しなければならないことは山ほどある。
「頭を下げるのは——お前だ、ザンザス」
小さく繰り返して、ネイソンは歩き出した。
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