第三十九話 襲撃
一人の男が、屋敷の塀に張り付いていた。
その塀は崖の上に作ってあり、普通の人では登っては来れない様になっている。
しかし男は蛙の様に、垂直の壁に手足でしっかりとしがみついていた。
そろそろ二分半が過ぎたか………。
ローザ領の領主。スペンサー子爵の屋敷。
子爵にしてはなかなかにデカい屋敷だ。どうせコネを作るのが上手いんだろう。貴族なんてだいたいはそうだ。領地を治めるより、コネを作るのが上手い奴が優遇される。
魔法道具の仕掛けを作動させてから………、これで三分。作動時間は二分半だからそろそろ良いだろう。
塀を少し登り、上端から頭だけ出してみると、そこら中で騎士団が寝ている。こりゃ見ものだな。裏路地に殺虫剤を撒いたら、ゴキブリがこんな感じで死ぬんだろうな。
とんでもねぇ魔法道具だ。
今回はデカい依頼だからと持たされた時には、俺の腕をみくびられたと腹が立ったが。
塀から堂々と飛び降りると、寝ている騎士団員を避けながら屋敷へと入る。
しかし今回のターゲットは子供一人だっていう割に、かなりの力の入れ様だ。
なんたってあの睡眠魔法の魔法道具が五十個だからな。一つでも五十万ギルはする品物だ。
さぁ、これ以上余計なことは考えまい。
広い屋敷だ。いくら俺の【気配察知Lv3】を持ってしても、時間がかかる。
屋敷の中を歩き始めて数十秒。
索敵に引っかかったのはある一室だ。
ある部屋の中に大人が二人、子供が二人、そしてその部屋の前に大人が二人。
一室に集めて護るつもりだったか?
だが、情報では子供は三人。それなら恐らく目標の兄と妹だろう。本命はどこに隠したのか。
その時、【気配察知】の中で動く反応があった。
正面玄関からまっすぐ庭へ出て、正門の方向に向かって走る小さな人物。間違いない目標だ。
何故眠っていない?
どこか俺が気付かなかった隠し部屋でもあったか?
しかし動いているのはあの子供一人だ。
手近な窓を開くと飛び降りる。
すると子供は一人の男を必死に揺すって起こそうとしていた。
「父様…!父様………!」
揺すっているのはどうやら領主のアレックス・スペンサーらしい。元Bランク冒険者という噂もあるらしいが、眠っていればどうって事はないだろう。
子供が俺に気づいた。
また正門に向かって走り出す。
さぁ殺さない様に気をつけないと。殺せば報酬が半減だ。
まずは気絶させて、でかい鞄に押し込む。ローザ領を出てからは喉を潰して奴隷の首輪をかけておけば怪しまれない。
それで大金が舞い込む。
コイツ、なかなか速いな。
こんなガキのくせに、いっぱしの冒険者ってか?
でもそれも無駄な足掻きだ。
子供まであと三メートル。
そこで背後の違和感に気付いた。
ザンッ………!!!
*
全速力で逃げるシュウ。
すぐ背後まで迫っている敵。ミニマップ上でも赤い点が迫ってくる。
しかし急に、そいつが進路を変えて横っ跳びしたのが、背中越しにわかった。
振り返ると、剣を素早く暗殺者に向けるアレックス父様がそこに立っていた。
「少し浅いか…。しかしその脚ではもう逃げられまい」
父様の声はいつもよりも鋭く、冷淡に聞こえた。
暗殺者は距離を取っていたが、片脚を庇っているのが分かる。暗い上に黒い服を着ているもんだから、傷の程度は見えない。
「シュウ、あいつ一人とは限らない。お前は周囲を警戒しておけ」
「承知しております、父様」
もちろん先程、父様は眠ってなんかいなかった。
逃げる俺を追いかけてくる敵、その背後を取るための芝居だ。
獲物を仕留める時が一番自分の警戒心が薄くなるってマンガで読んだ事あるもんね。
「シュウ、お前はもう十分やった、下がってろ」
俺は父様に近づくと、"超人化"と"疾走"の補助魔法をかけるために、そっと腕に触れた。
「分かりました。50%、10分間です」
父様は剣を持っていない方の掌を、感触を確かめるように握ったり開いたりした後、不敵に笑った。
俺は暗殺者から目を離さないようにしながら、父様の後ろに下がる。魔力はほとんど父様の強化に使った。あとは父様に任せよう。
下手に遠距離から魔法攻撃するよりは、父様の補助に徹した方が安全だと言う事前の計画だ。
父様と向かい合う暗殺者は、たぶんかなり強い。
単独で乗り込んできている事からも、依頼者からの絶大な信頼があるのだろう。
父様が片手直剣なのに対して、暗殺者の武器は短刀だ。互いに手数の勝負になるのか。
二人の動向を注意して見ていたが、視界から急にアレックス父様の姿が消えた。
ゴッ!!!
それは地面を蹴った音だったのだろう。
その音が俺の耳に届いた時には、父様は既に暗殺者の目の前にいて、剣を突き出していた。
勝負あり。殺った。
と思ったのも束の間、激しい剣の応酬が始まった。敵は父様の初手を受け切っていた。
二人の攻防は、剣どころか、振っている腕もまともに見えない。
速すぎる。目で追えない。
しかしやはり暗殺者も凄腕だ。元Bランク冒険者の上に俺の全力の補助魔法を受けた父様の剣を紙一重で弾いている。
速すぎて分からないが、形勢は互角…。
いや、少しだけ父様が上か。
そう感じたのは正しかった。
徐々に、少しずつだが、父様の剣速が上がっていっている。父様には明らかにまだ余裕がある。どうやらまだ全力では無かったのだ。
対して敵は身体中に傷が増えていき、明らかに疲弊している。
そしてその決着はあっけなく訪れた。
暗殺者の剣が弾き飛ばされる。
そして父様は返しの剣で、敵の利き腕を斬り飛ばし、両脚の大腿を一閃。軽々と振るわれたそれにより、膝上がぱっくりと割れて中から生々しい肉が覗く。
暗殺者はたまらずその場に膝をついた。
「ぐぐあぁぁ………」
今度こそ、勝負アリだ。
「これまでだな。それにしても、たった一人で来るとは舐められたものだ。これ以上抵抗しなければ、しばらくは生かしておいてやる」
暗殺者の切断された腕からは、鮮血が滴り落ちている。
俺は父様からの視線を受け、回復魔法の詠唱に入った。もちろん、切断面を治癒するレベルだ。本気でやれば腕をくっつけられるか生やせるだろうが、そこまでしてやる義理はない。そして魔力もない。
「元Bランク冒険者と聞いていたが、偽の情報だったか…」
「いや、私は確かに元Bランク冒険者だ。付け加えれば、当時ほどの力も無い。まともにやれば、結果は逆だっただろう。お前が実力を見誤ったのは、私の息子の方だ。シュウ、血を止めてやれ」
はいよ。血を止める、ね。
やっぱり、腕は治すなってことでしょ。
「………"ヒール"」
暗殺者の腕が柔らかく発光し、傷が塞がった。
申し訳ないがそれ以外の傷は治せない。逃げられでもしたら困るし。死にはしないから大丈夫。
ヒュン。
もう一度、父様が剣を振った。
「うがあああぁぁぁ…!」
今度は暗殺者の左手の指が全て落ちる。
「父様!?一体何を!?」
突然のアレックス父様の奇行に、動揺を隠せない。
もう勝負はついているのに、これ以上は残酷すぎる。
「こっちの指も治してやれ」
「父様…、これ以上は…」
「早くしろ。失血だけは戻すのに時間がかかるからな」
その時の父様の顔は、今まで見たことがないほどに怒りに満ちていた。
「………"ヒール"」
「シュウ、あと何度ヒールが使える?」
「あと…?そうですね………。三回程でしょうか。ただ、ヒール一回分の魔力なら五分程で回復するので、時間さえあれば」
俺の答えにはっきりと青ざめたのは、暗殺者だった。
「おい貴様。子はいるか?」
「…い、いる!だから助けてくれ…!頼む!俺が帰らないと、子供が一人になってしまうんだ!」
それはまさに命乞い。
「それならば子供を理不尽に奪われる悲しみ、そして怒り。それが理解できるだろう?それを、許すと思うか…?」
「頼む…!俺は雇われただけなんだ!」
「それなら雇い主を言え」
「それは…できない!今度は雇い主に殺されちまう!子供もだ!」
「分かってないな。もう知っているだろう。ここにいるシュウは魔法の天才だ。五分おきに回復魔法が使える。つまり、私が貴様を何度傷付けようと、貴様は回復させられ、死ぬことすら出来ず、その痛みを存分に味わう事が出来る」
ヒュン!
「ぎゃぁぁぁあああ!!!」
「っ…!………"ヒール"!」
ザグッ!
「ぐううあぁぁぁ!!!」
今度は大腿部を上から剣で貫いた。
父様はそのまましゃがみ込み、暗殺者の目をまっすぐと見据える。
「私はまだ、この怒りのほんの一部しか吐き出していない」
「うがあぁぁぁ!やめてくれ!」
父様が、突き立てた剣をぐりぐりと回しているのだ。
その周りの肉が|なるべくぐちゃぐちゃになる様に《・・・・・・・・・・・・・・・》。
「子供を失うかもしれないという底知れぬ不安。そしてなんとか護り抜いた安堵。その全てが憎しみと怒りに変換され、今からお前に降り掛かるのだ。
雇い主を吐け。そうすればこの悪意のうち、半分はそいつに向くかもしれん」
父様の手に力が入る。
「ぐぅあぁぁ!分かった!言う!言うよ!エ、エルゴラスだ!エルゴラスのサンチェス公爵からの依頼だ!魔法道具も、公爵から渡されたんだ!」
「依頼の詳細を言え」
「その子供だよ!魔法の天才ってのは聞いてた!誘拐して連れてこいと言われた…!」
「誘拐が無理ならいっそ殺せとも言われたんだろう?」
「うぐぅっ…!あぁ!あぁそう言われたさ!でも最初から殺す気なんて無かった!そうだろ!?眠らせて連れてく算段だった!無理なら諦めて帰ったよ!子供を殺したりはしねえって!」
ドブン平原であれだけの大量殺人をしておいて、その話はさすがに無理がある。俺でもそう思った。
「公爵はシュウを誘拐してどうするつもりだった?」
「し、しらねぇよ!言ってなかった!ただ、サンチェス公爵は闇魔法の研究に熱心って噂がある!人の頭をイジって洗脳する様な魔法も使えるって話だ…!だから養子にでもするつもりだったんじゃねぇかと思う…」
洗脳系の魔法か。
好んで使おうとは思わないけど、闇魔法に関してもなるべく早く知っておいた方が良さそうだな。
今回の"魔法道具"に関してもそうだが、情報は何よりの武器だ。知っているのと知らないのとでは雲泥の差が出る。
「これで全部だ!もう何も隠してねぇよ!だから助けてくれ!頼む!」
暗殺者はなりふり構わず泣きついた。
これが演技なら大したものだが、死への恐怖は本物だろう。今まで何人も殺してきただろうに。自分がいざその立場になると憐れなものだ。
「まぁよく喋ってはくれたからな。ひと思いに楽にしてやる。感謝しろ」
「まっ!待ってください父様!」
父様が剣を首に向けて振ろうとしたところで、俺は慌てて叫んだ。
父様の剣は暗殺者の首筋に当たる直前で止まり、暗殺者は嗚咽と共に失禁していた。
「なんだ。お前には意見は求めていない」
「いえ、父様。親子といえど、獲物の横取りは、看過できません」
俺は父様にはっきりと言った。
「なんだと…?」
父様のこめかみに青筋が立ったのがハッキリと分かった。
「今回、この暗殺者の襲撃を知らせたのは僕です。そして"魔法道具"を無効化したのも僕。さらには僕のサポートが無ければ、父様はこの人に勝てなかったとさっき言ってましたよね?どうでしょう?最終的に倒したのは父様ですが、実質的にここまで追い詰めたのは僕の手柄では?」
「何が言いたい?」
父様の剣がプルプルと震えている。
怒りのままに殺してしまえという心の声。対するは、俺の言う事にも一理有り、耳を傾けないといけないという自制心。
「つまり、彼は僕の獲物だと言う事です。父様が良いところを持っていくのは納得できません」
「それならば、お前がこいつを殺すと言うのか?」
え?俺が…?いや無理無理無理。どうする?どうしよう。
でも、正直殺してしまっておいた方が、無難にも思える。けど、ただ、なにも殺さなくても、とも思う。
いや、そうじゃない。俺は人が自分のせいで死ぬのが怖いだけだ。
「こいつは、そのサンチェス公爵とやらが暗殺を依頼したと言う生き証人です。では、ここで殺してしまっては勿体無いのでは?こいつの存在を最大限利用するまでは生かしておいた方が良いかと思います」
父様は俺を見たまま、剣を動かさない。
しばしの沈黙の後。
父様は暗殺者の首を刎ねた。
《クエスト"暗殺者を被害なく返り討ちにする"を達成しました》
《経験値を13000獲得しました。150000ギルを獲得しました》




