恋愛だよ、恋愛!
響からの提案の通り、緋月はSNSのアカウントを譲ってもらうことになった。ただ、緋月は、ピアノを弾く楽しさを優先したく感じていたため、宝の持ち腐れだと、運用を光希に丸投げした。
「いいのかよ?」
「いいも何も、興味がないから。それより、弾きたい曲があるんだ」
うきうきと新しい楽譜を光希に見せると、少し渋い顔をする。
「俺も合わせる?」
「いや、聞いて欲しいだけ」
「まぁ、それなら……。それにしても、リストの『愛の夢』を持ってくるとは。緋月……その心境は?」
ニヤニヤしながら、光希は緋月を問い詰めるが、特に理由は思いつかない。街を歩いていたときに、ふと耳に入ってきた曲が『愛の夢』だっただけのこと。他の曲が聞こえてくれば、その曲を選んだだろう。
「どうして光希がニヤつく?」
「緋月にしては珍しい選曲だったから。恋でもしたかと思ってさ」
「……コイ? あのまな板の……」
「そのお約束はいらないやつ。恋愛だよ、恋愛! 誰かそういう人に出会ったのかと思ったんだけど……そういうわけではないのかな?」
光希は緋月を見て、残念そうに大きなため息をついた。ついでに首を横に振り「これだからお子ちゃまは……」なんて呟きまで聞こえてくる。
「僕だって付き合ったことくらいあるから!」
「ふーん」と緋月を胡乱な目で見ながら、光希は片眉をピクリとあげる。
「緋月くんのお子ちゃまなコイを大人な光希様が聞いてあげようではないか!」
そういいながら、馴れ馴れしく光希は緋月と肩を組み、興味津々というふうに矢継ぎ早に質問をしてくる。
緋月が見栄を張ってつい言ってしまったことを見抜いていたのか、質問をしながらも光希の口元は上がっていた。
「なっ、信じてないだろ?」
「そんなことはないさ。緋月もコイをしたんだろう?」
「口元が信じてないって物語ってるぞ?」
「そぉ?」
クスクス笑う光希に緋月は目を釣り上げる。
「そういう光希はどうなんだよ!」
「俺? 何々? 俺の恋愛に興味ある?」
「何から話す?」なんて、ノリノリで答える光希に呆れて、組まれていた腕から逃れた緋月は、べーっと舌を出し、「聞きたくない!」と駆け出した。行き先は、ホテルのラウンジにあるピアノ。予約をしたら、弾かせてもらえる。ただ、その予約には、自身が弾いたピアノ音源を添付したうえでの審査がある。緋月は昼の部に予約を入れたはずなのに、夜の部で弾くことになり、二人で向かっているところだった。
「今日の場所さ?」
「ん」
「よく見つけて来たな?」
「あぁ、響に聞いたんだよ。学校の友人がアルバイトをしているらしくって。僕らがストリートピアノを弾いて回っているって話をしたら、オーディションを受けてみたらって。ラウンジだから、他のストリートピアノとは違って、多少のお小遣いも出るらしいし」
「なーる」と空を見つめて光希は納得した。響とは、あれから何度も会っていた。二人でではなく、もちろん、光希と共に。そのときに、連絡先を交換したのだが、緋月から連絡したことはない。ストリートピアノでのセッションをする日にたまたま他の場所も探していることを言えば、教えてくれたというわけだ。
今日も光希はセッションをするつもりだったのか、背中にはチェロケースがあった。表情にこそ出さなかったが、声を聞く限り、一緒に弾きたかったらしい。
「お店の人に聞いてみようか? 光希がいる方が僕も弾きやすいし」
「そんなおべっかはいらない。今度、緋月がそのラウンジで弾く日までに、俺もオーディションに受かればいいだけだろ?」
ニヤっと笑う光希はいつもの表情に戻ったが、どうやら、そのホテルのラウンジでの演奏は、少し特別らしい。
給料が発生する……という点でも、十分に魅力を感じるが、それだけではないことを光希の表情から伝わってくる。
「今日のところは、聞き役だな。撮影は許可もらった?」
「いいって言ってた。僕、そのアカウント、見たことないんだけど……」
「あっ、見る? いい感じに撮れてるし、毎回、緋月のアンチがワンサカメッセージくれる」
「……アンチって」
「それだけ、注目を浴びてるってことだろう? フォロワーも鰻登りだから」
「ほらっ」と光希がスマホを見せてくるので、確認したら、緋月は驚いて声も出ない。しばらく固まっていると、得意げに「俺のおかげだから!」と胸を張っている。
「……チェロより、そっちの方が才能あるんじゃない?」
「それ、酷くない? プロ目指しているやつに言うことじゃないから」
「二足の草鞋でもいいと思うけど?」
光希は少し考えていた。緋月はチラッと確認したあと、また、歩き始める。今日弾くメロディを頭の中で何度も何度も繰り返した。
「……プロになれないなら、俺は緋月のマネージャーでもしようかな」
「…………はぁ? 僕のマネージャーって、何考えてるんだ? だいたい、僕はピアノを続けるなんて……」
「どんなに足掻いても、緋月はピアノから離れることは、絶対ないから。それだけは保証できる」
「そんな不確定要素……」
「辞めないよ、絶対。ピアノは緋月の人生そのものなんだから。どうして離れられるなんて思ったの?」
「……それは」
「やっぱり、答えられない」
クスクス笑う光希を緋月は、ただ、見つめることしかできなかった。そうすることで、光希が緋月に、なにを見出し、一瞬で確信したのか、知りたかった。
「なんでもいいけど、いそがないと遅刻するぞ?」
光希に時間を指摘されて、足早に会場へと向かった。