100万回再生
「緋月!」
あの日、緋月は光希と連絡先を交換した。楽しかったセッションは大成功で、店主も大喜び。「また、おいで」とお世辞ではなく呼んでくれた。
店主曰く、部屋にあるピアノではなく、外のピアノへ浮気をしてみたらどうかと提案された。最初、意味がわからず、キョトンとしていると、街の一角にストリートピアノというものがあるらしい。
それは、駅だったり、町の片隅だったり、地下街の道端だったり、はたまたお店の中だったり。
音楽の街と呼ばれるだけあって、いたるところに、ピアノがあるそうだ。弾きたい人が自由に弾ける、そんなピアノ。
店主は外で弾くことを強く勧めてくるので、緋月は言われるがままに出かけることにした。それからというもの、光希が付いてくるようになったのだ。
「今日はどこのピアノ?」
「……毎日付き合ってくれなくていいけど?」
「好きでついていくんだから、別にいいんじゃない?」
「……まぁ。それにしたって、光希にも勉強があるだろ? まだ、一年の留学が残っているんだから」
光希は少し考えたあと、「今、できることをしたい」と呟いた。実はあれから何度も合わせている。街中でピアノとチェロの音が鳴り始めれば、足を止める人も出てきた。緋月のピアノの勘も少しずつ取り戻されていく。ただ、それは、昔の音を取り戻していくため、苦痛でもあった。
「そういえばさ、アカウント作ったのか?」
「何の?」
「SNS」
緋月は訝しむように光希を見つめたが、自身のスマホをポケットから取り出し見せてくれる。
そこに映っているのは紛れもなく緋月で驚いた。服装や場所、ピアノを見る限り、光希に連れて行ってもらったカフェで弾いていたときのものだ。
「……なんだこれ?」
「知らないのか? 今、バズってる。この再生回数見てみろよ?」
言われて数を数える。お馴染みの一、十、百、千……と。そうすくと、すぐに肩を叩かれた。
「100万回数超えてるから……」
「はっ? 100万? 何かの間違いだろ?」
「間違いないから。この数字に間違いはない。誰かが、緋月の動画を使っている。心当たりは?」
緋月はあの日のことを考えた。思い出したのは、一人の少女。確か、カメラを向けていたはずだ。
「その顔は、身に覚えがある?」
「いや、その……」
「そいつ、誰? この動画を見る限り、相当稼いでいる。緋月を使って」
「いや、使っては……言い過ぎじゃないのか?」
「緋月がアカウントを持っていれば、よかったのに」
「お人よし」と光希に言われたが、緋月にとって、ピアノが弾けるようになった喜びと苦痛の方がまさっていた。
「まぁ、いいや。最近、ピアノを弾いているときに立ち止まって聞く人が多くなってきたのって、これがあるからだと思うよ。俺の方も上げてるからさ。#Hizuki でハッシュタグつけてて、結構な人が見てる。お小遣いもそこそこ入ってきたからわけるよ」
「いいよ、そんなの。それより、今日は何にする? 少しクラッシックが弾きたい」
光希が持ってくる楽譜はアニソンであったり、テレビで流行っている曲が多い。そうではなく、たまには、自分が弾きたいものを弾いてみたい。それが、今の緋月の実力をはかりたかったのだ。
「じゃあ、俺は撮り役に徹するかな。何弾く?」
「これ」
光希に楽譜を渡すと渋い顔をされる。初めてコンクールの舞台で、永遠と競ったとき、永遠が弾いたものだった。
「駅で弾くには重過ぎない?」
「やっぱり?」
「気持ちは決まってますって顔してるから、反対しても無理か」
光希の期待がこもった呟きに緋月は頷き返した。
「まぁ、いいんじゃない? ここは音楽の街だから、どんなメロディも受け入れてくれる。多少、音に厳しい爺さんもいるけど、俺は聞いてみたい。今の緋月の本気を」
「……本気かどうかはわからないだろ?」
「わかるさ。緋月の音が変わってきているから。少しずつ、確実に」
「変わってきた、のかな?」
「家でも弾けるようになってきたんだろ?」
「まぁ……ね? 思ったほどは難しいけど、向き合えるようになってきた。てかさ?」
「何?」と光希が緋月を見下ろす。何でもなさげに光希を見つめたあと、足元の小石を蹴った。小さすぎる石は靴底に当たり、コロコロと少しだけ転がったあと、止まる。まるで、あの日、永遠の演奏を聴いて、時間を止めてしまった緋月のようであった。
「光希ってさ、僕のことよく見てるよね?」
「あぁ、そうだなぁ。俺、緋月のファンだから。まぁ、音はさ、ウソつかないから、よくなっているのがわかるんだよ」
緋月も実感していた音の変化。コンテストに出ていた頃に比べると、辿々しいところもあるが、変わっていく自身の音は嫌いではない。むしろ、追い求めていたとすら思える音に、少しずつ光さえ差し込んできた。
「この動画のときよりさ、さらによくなってると思う?」
「もちろん。これが卵の中から顔をひょこっと出したヒヨコなら、今はよちよち歩いて母鳥の後ろを歩いているさ」
「……例えがなんか嫌だ」
大きなため息を緋月はつくと、「うまい例えだと思ったんだけど?」と顰めっ面の光希。光希なりに励ましも含まれているのだろう。
だんだんと自分の音を取り戻してきた緋月は、このまま大学へ戻って、もう一度、勉強をし直すつもりだ。
留年はしたが、単位さえきちんととれば、光希と同じ時期に日本への帰国は可能だ。
「光希はさ、」
「何?」
「……その、なんだ」
「だから、何? 言いにくいこと? 告白とか?」
「だ、誰が告白なんーーっ」
「あのぉー、お取り込み中、大変申し訳ないんですが?」
聞き覚えのある日本語の女の子がこちらを見上げてた。
「逆ナンなら、間に合ってますけど?」
光希が冷たくあしらっていると、緋月の方を見てその女の子は笑いかけてくる。
「どうもー! 覚えている?」
彼女のことを見つめ思い返す。日本語の話せる女の子……、まさにこの動画をあげた人物なことに気がつき、「あぁー!!!!!」と緋月は路上で叫ぶのだった。