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『ブラボー』な彼女

「まぁ、なんだ。人生はまだまだ長い。若人たちよ、大いに悩め。今、実際に成果として実にならなかったとしても、それがいつか未来の糧になる。口煩いオヤジの戯言だと笑ってもらってもいい。二人がこれから歩む道は、それぞれなんだから」

「マスターは俺にもエールをくれるのか?」

「拗ねるだろ? コウキにもやらないと」


 店主は肩をすくめていた。よほど、光希はこの店主によくしてもらっているらしく、慕っているのがわかる。


「ほれ、ボヤッとしてないで、合わせるんだろ? 客が来る前に、試しておいたほうがいい」

「僕は……」

「弾けたじゃないか。大丈夫。光希のわがままに付き合わされたと思って、何かあれば、全部コウキのせいにしてしまえばいい」


 ニッと笑って「あっちで仕事してるから」と言って店主は去って行った。もう直ぐ、開店の時間らしい。


「緋月、どんな曲が好き?」

「重めの曲が好きだけど……昼間なら、軽い感じの曲がいいかな?」

「おぅけぃ。じゃあ……最近の流行りの曲でもしないか?」

「はっ?」

「……もしかして、もしかしなくても、最近の流行りの曲知らないとか?」


 緋月は光希から視線を逸らし明後日の方向を見た。それを見た光希は手をおでこに当て「……マジか」と呟いた。


「わかった、わかったから。俺の選曲で、流行りの曲。これなんだけど……」


 イヤホンを渡され耳にセットすると、光希が再生をする。どこか耳馴染みのある音楽のリズムと懐かしい夢のような曲だった。


「これ、何?」

「知らないのか! すごく有名なのに!」


「仕方がないだろう?」と緋月は光希を睨んで、流れている音を聞く。


「楽譜はないのか?」

「あぁ……忘れてた。楽譜な。どうしよう?」

「しばらくスマホ貸して!」

「えっ? いや、流石に……他のにしよう」

「光希は弾けるんだろ?」


 緋月がスマホを弄りながら、ゆっくり目を閉じていく。


「な、なぁ? 緋月。別にその曲じゃなくても……」

「ここに入ってる曲は大体弾けるのか?」

「ま、まぁ……」


「わかった」と言ったあと、緋月は一切話さなくなった。光希がソワソワと話しかけているのに「煩い!」と叱り、一向に目を開かない。


 10分くらい経っただろうか?


 パチっと緋月の目が開いた。


「光希、合わせてくれ。適当に弾くからまとめてほしい」

「はっ? えっ?」

「いいから、やれっ!」


 緋月は鍵盤に指をかける。次の瞬間、滑るように鳴り響くピアノの旋律を聴き、光希が驚いた表情をしたあと、そのまま光希を音符が渦巻く緋月のピアノの旋律へと誘った。


「すげぇーな、楽譜なし?」

「ないもん仕方ないだろ? 原曲と遜色なく弾くのは難しいぞ?」

「耳コピすげぇーな。それも10分たらずで……、何曲覚えたんだか」

「2曲。あとは昔取った杵柄だな。せいぜい、頑張れや」


 チェロをケースから出し、緋月の斜め前に陣取る光希は、濁流のような音に負けずに調整をしていく。


「よし、オッケー」

「じゃあ、殴り合いを始めようぜ!」


 ニッ笑う緋月。まさかの展開に苦笑いの光希。始まる演奏は、とても練習とは思えないほど、完成されたものだった。

 緋月の耳コピは完璧とは程遠い。アレンジを入れることで、わからない音を誤魔化しそれっぽく仕上げていく。


「……なんだ、これ!」

「何って、流行りの曲?」

「原曲聞いたよな?」

「もちろん。まぁ、アレンジ入れてかなり誤魔化してるけど……」

「……誤魔化しているレベルでこれ? 何ヶ月も弾いてない?」

「何年もな」


 打ちひしがれたようにガックリ肩を落とした光希は何事か呟き続けた。そのあと、思い立ったように立ち上がり、「マスター!」と店主を呼んで店の奥まで行ってしまった。店に取り残された緋月は、その静かさに寂しく思い、『ラ』の鍵盤を右の人差し指指で何度か押す。

 店主曰く、彼女の声が耳に心地良い。「歌って!」とせがまれているようだったので、アニソンを弾く。昔、弟の永遠にせがまれて何度も何度も弾かされた曲だ。指が勝手に覚えていて、滑らかに鍵盤の上を指が行ったり来たりしていた。

 ずっと、ピアノが弾けなくて悩んでいたことが嘘のように、だが、確実にブランクは感じさせる音に苦笑いしてしまった。


「ブラボー!」


 突然、女の子声が後ろから聞こえてきた。拍手をしながらこちらに歩いてくるので身構えいると、「そんなに怯えないで」と笑っている。光希以外の日本語にきょとんとなる。


「これ、流してもいい?」

「……流す?」

「そう。SNSに……。とってもよかったからさ」

「……よかったか。そんなわけないだろ?」

「そう? すごく良かったと思うけど。あぁ、間違えてアップしちゃった!」


 表情を見れば、わざとらしく、口角が上がっている。緋月がダメだと言ってもSNSにあげたに違いない。


「消してくれって言っても、消してはくれないんだろ?」

「んー、そうだね? そうは言っても、フォロワーはほとんどいないから、拡散はされないよ。あぁ、いいもの聞けた。じゃ!」


 彼女は好き勝手したあと、店から出て行った。この店のアルバイトなのかと思ったが、そうじゃなかったらしい。


「緋月、今日の合わせ、SNSに載せてもいいか?」

「……いいけど、さっき、変な女の子がすでにあげたみたいだけど?」

「はっ? 女の子?」


 キョロキョロと光希は周りを見渡し、店に緋月しかいないことを確認し首を傾げている。


「彼女はほくそ笑んで帰って行ったよ」


 大きなため息をついたあと、もう一度鍵盤に触れる。少し冷たくなった鍵盤に熱を流すように奏でていく。チェロの音も加わり、店を包み込む。その様子を店主がにこやかに撮影をしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)不思議な雰囲気の作品というか物語ですね。 ∀・)緋月君がちょっとだけミステリアスなイメージみたいなのがあって、まだ「こういう物語なんだな」っていうのはないのですが、そういうところで…
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