『Summer Snow』
「なかなかいい曲だな」
受話越しに聞こえてくる光希の声に、緋月はホッとした。勢いで書いて編曲までお願いしたのに、少し不安に思っていたからだ。誰かに背中を押してほしいという気持ちが湧いてきて、光希に電話をした。
「どうせなら、チェロも入れれくれればよかったのに……」
「予定合わないだろう?」
「……合わせる」
「絶対合わないと思うけど」
「それなら、日本でのコンサートが終わったあと、二人でこの曲を弾くのはどう?」
「……日本のコンサートに来るつもりなんだ?」
電話越しに「もちろん」という光希。楽譜ができたら、送ってほしいと懇願してくるので、広瀬に確認したあとにとだけ言った。コンサート用の曲にと言っても、駆け出しのピアニストのお願いが通るのかわからない。
「俺も久しぶりの帰郷だな。あぁ、緋月のとこの生意気な弟は、どうなの?」
「コンサートで僕が勝ってから、何も言わなくなったかな」
「元天才ピアニストが、現天才ピアニストを打ち破り、逆転だぁーって騒がれれば、あの高い鼻もぽっきり折れたかな。家族の反応は?」
「……知らないよ。帰ってないし、僕に帰ってきてほしいなんて思ってもないだろう? あれだけ、僕ができないと蔑んできたんだし、南条家の恥だと言われていたんだから」
「その南条緋月は、見事にピアノの世界に戻ってきた。かつて天才と呼ばれていた子どもが、深みを増して天才以上になって。そりゃ、何も言えなくなるよな。あぁ、あの弟のほえ面見れなかったのは残念だけど。ピアノ、辞めるなよ? 俺もチェロ、辞めないから」
ぼそっという光希に苦笑いをして、『辞めない』の返事の代わりに、光希の好きな曲を弾くと盛大に笑っていた。
……それでいいんだ。僕にとって、コンテストがすべてじゃない。ピアノを通して、誰かの心に響く音を届けられれば。
それを教えてくれた響が、ここにいないことが、どんなに寂しいか。
「光希」
「ん?」
「一緒に演奏できることを楽しみにしているよ」
「あぁ、そうだな」
電話を切ったあと、広瀬から間髪入れずに入ってくる。編曲の話もコンサートの話も両方通ったという知らせだった。
追加で、光希と二人で演奏したいんだということを伝えると、「私に言い考えがあります」と含みを持たせている。
「何か悪いことでも考えている?」
「そうですね、Summer Snow 以外にも、2曲ほど弾いてもらえますか?」
「……映像を売るとか、そんなことはしないだろうね?」
「しませんけど、SNSでの収益くらいいいでしょ? 緋月さんのアカウントとは別に、当社の方にも利益をまわしてください!」
「わかりました。お世話になっていますから、それは仕方がありません。僕は、結局、広瀬さんの下僕ですから」
「下僕だなんて! 緋月さんは金の生る木ですよ」
軽口で笑いながら、決定事項を話し合い、準備等の話もしたいと光希のスケジュールの確認とともに会社での打ち合わせをすることになった。
久しぶりのことに、気が進まなかったコンサートもとても楽しみになる。
響にも届くといいな。
雪の映像を見ながら、『Summer Snow』をもう一度、弾いた。
◇
「……なんか、気合入りすぎじゃない?」
日本でのコンサートが大成功に終わったあと、同じ会場のステージに緋月と光希が正装をして立った。後ろから広瀬が、「二人とも」と声をかけてくる。
「すごいですね……広瀬さん」
「すごいでしょ? 光希くん。うちも、本気の本気ですからね!」
「……商魂たくましすぎる。これってさ、SNSに載せるための演奏だよね……私的な」
「私的と言っても、私的じゃないでしょ? コンサートでの反応も良かったしね。『Summer Snow』は、音源として残してくれないなら、全力で私的な演奏も全力応援するわよ!」
「さぁ、頑張りましょう!」
テレビカメラのようなものまで用意されていることに、緋月は苦笑いしながら、蝋燭で囲まれ、ピアノとチェロの周りが幻想的な空間にため息をついた。
……すごいな。少しだけ、雰囲気は違う気がするけど。
緋月と光希はそれぞれの場所に陣取り、演奏の準備を整える。ピアノの前に座り、席の位置調整をし、光希の方に視線を向けると頷いていた。
幻想的な空間に優しい音楽が響き渡っていく。1曲目と2曲目は、二人で相談した結果、三人でよく弾いた曲にした。それは、とても耳馴染みがいいが、一つ音が少ないことに、少しだけ寂しさを感じる。
ピアノとチェロの間にある空席の椅子に置かれているヴァイオリン。そこに座れるただ一人を緋月たちは、ずっと待っているが、今も現れない。
2曲目が終わったとき、ふと呼ばれた気がして視線を空席の椅子に向ける。光希も同じように感じたようで、空席の椅子を見ていた。そのあと、目があったので笑うと、同じことを考えていたのだろう。
……ここにいるよな。もう、幽霊になっちゃったのか?
さっきから、ずっと感じている気配。それが、響なのかはわからないが、いつもの元気な声が聞こえるような気がして、胸がぎゅっと握られたように痛い。目頭が熱くなっていくが、泣くわけにはいかない。
最初の1音を弾いた瞬間。蝋燭が揺れ、きらきらとしている。まるで、雪が舞ってきたかのような情景が目の前に広がっていく。
カメラには捉えられていないだろう。目の前に、白いワンピースを着た響が、ヴァイオリンを弾きながら、緋月や光希に笑いかけているのだ。二人は、楽しそうに弾く響の音につられるようだった。
静かに降り始めた雪は次第に激しい吹雪になっていく。大粒な雪玉に変わっていき、一面銀世界に変えていった。音のない世界に響いているのは、緋月のピアノ、響のヴァイオリン、光希のチェロだけ。しんしんと降り積もっていく雪を見つめながら、響が笑いかける。
……終わってほしくない。行くなっ! 響。
3つの音以外の音のない世界では、緋月の声は音にならない。ただ、二人を見つめて、響が「ありがとう」と言った瞬間、最後の一音であった。
緋月は、泣いていた。頬を伝う涙は、光希も同じで、『Summer Snow』を弾いている間、同じようにあのころと変わらず、響と一緒に奏でていたようだ。
緋月は椅子から立ち上がる。光希も同じように席を立った。二人が向かうのは、ヴァイオリンが置いてある空席の椅子だ。
「おかえり」
「最高の演奏だった」
二人が声をかけた瞬間、淡い光がポッと点滅し、消えていった。緋月と光希は、その光の方を見て、「またな」と呟いた。
‐The END ‐




