そのすべてが音楽に繋がる
「緋月、あの曲のタイトル、決まったみたいだな」
「あぁ、ジェームスさんって人が決めてくれた。完成した曲は、折に触れて弾くことにするよ」
「そっか。あの曲は、緋月そのものの曲だからなぁ……その、ジェームスさんって人、よくタイトルをつけようなんて思ったな」
緋月は光希に、タイトルをつけてもらったいきさつを話すと、まだ、学生でそれほどの挫折を味わったことがないと、肩を落としていた。光希にとって、日本で音楽を続けていたことは、多少の苦労や悩みはあっただろうが、チェロを弾けなくなるような挫折を味わったことがなかった。
「俺は幸せなのかもしれないな」
「誰にも、苦労や挫折はあるよ。それが、人によって感じ方が違う。僕は、天才を目の当たりにして、その先を見いだせなくなってしまった人間だから」
「それを乗り越えたからこそ、書けた曲だろう? 大事にするんだ」
光希に頷き、今日は文化祭のステージの練習を始める。本番は明日なのだが、オケも、明日が発表なので、光希との練習にあまり時間が取れなかった。
「んー、形にはなったかなぁ?」
「……いいのか? こんなので」
「もちろん。何かしたかったんだ。緋月と一緒にさ。俺にとって、二人でステージに立てることが、夢みたいなもんだからさ」
「この先、二人とも音楽を続けていけば、そんな日も来る。光希が、僕を待っていてくれたらって話だけど?」
「留年か?」
「飛び級してもいいけどね?」
緋月は、指折り単位を数えてみたが、カリキュラムを考えても、飛び級は難しそうだ。これから、コンテストにも出ることを考えると、何年もブランクがあることが、足かせになっていた。
「気長にするさ」
「俺は気長には待てないかも」
光希の肩に手を強めに置きにっこり笑う緋月に悪い予感がした。この数ヶ月、一緒に出かけることが多くなったためか、お互いの考え方がわかるようになって来ていたからだ。
「光希が待ってくれなかったら、誰が僕を待ってくれるわけ? そもそも、引き込んだのは光希なんだから、責任を持って僕の面倒を見てくれないと!」
「困るよぉ」なんて茶化しながら、光希の背中をポンポンと軽く叩くと、小さなため息をついていた。最近、光希の自信がなくなってきているのを肌で感じていたからこそだった。
「……緋月」
「うん?」
「待っていれば、追いついてくるのか?」
「もちろん! ジャンルは変わっても同じ音楽で繋がっているだろう?」
頷き合いながら、それぞれの練習へ向かうことにした。拳をコツンと当て、振り向けば、あとは、ゆっくりと前を向くだけだ。
歩き始めれば、それぞれ、自分の道の先を睨む。
光希は、コンテストに向け、緋月は、オケのコンサートに向け。気持ちを切り替えた。
お互いの存在を感じることで、前に進む一歩へと気持ちを変えて、それぞれの場所へ向かう。
「緋月くん」
「カブレラ!」
「今日は、早いね?」
「いつも遅いみたいな言い方」
「そういうつもりはなかったけど、なんか嬉しそうだ」
カブレラと並んで曲想のイメージを話し合いながら、明日の演奏の最終確認をしていく。コンマスであるカブレラは、音楽の知識も着想も広く感じた。
同じ曲を聞いているはずなのに、全く違う曲想を言われると面食らってしまったこともあった。
「どうやって、そんな曲想をしてるの?」
「どうって、本を読んだり、音符を見たり? 楽譜は、作曲家からのラブレターだから、愛を込めて、じっくりじっくりスープを煮込むみたいに読み解いてるかな」
「……まじで?」
「マジで! とはいえ、当時の背景やら、作曲家の気持ちなんて、さっぱりわからないけど、わかったつもりでいるんだ。あとは、旅だな。旅先で、ふと目が止まった風景、そのとき流れた音楽が、そのまま、その曲の着想に反映……なんてこともあるさ。流行りの曲は流れる行くから、巡ることもあるだろう。クラシックにも、流行はあっただろうけど、今となっては、それは、文化に変わっているから、誰も覆さないだろ? ベートーヴェンの第九を聞いたら、歌い出したくなったり、年末を感じたり……生活の一部になってる」
カブレラのいうとおり、音楽は生活の一部だ。音楽と名の付くものだけが、音楽ではなく、車の走る音、誰がの鼻歌、風がそよぐだけでも、それは名もなき音楽である。タイトルをつけ、楽譜になったものは、後世にも残るが、日常のありふれた一部にタイトルはつかない。
……見たもの、感じたもの、そのすべてが音楽に繋がる。目に見えるだけでなく、見えないものでさえ、音を奏でている。すごい世界だ。
改めて感じた音楽に、緋月は驚いていた。カブレラに言われるまで、先生や親に教えられたものだけが、音楽だと思っていた。楽譜に載っているものだけが、音楽だと思っていた。曲想だって、楽譜だけがすべてたと考えていたから、目の前が一気に開けた気がした。
「カブレラは、すごいな。僕なんて、小さな世界に閉じこもっていたことを実感したよ」
「何を言っているんだい。君の……緋月くんのすごさは、みんなが知っているよ」
「違うんだ。今、本当に、新たな世界の扉が開いた気がしたんだ」
「へぇ……そうなんだ?」
胡乱な目で見てくるカブレラに、緋月は苦笑いしながら、オケが全員揃うまでに、一度、通しで聞いてほしい願い出た。少し考えたあと、カブレラは頷き、パートリーダを呼び寄せた。
「緋月が聞いてほしいって。曲想が変わったみたいだ。本番は明日だが、その曲想が理想通りのものなら、今から変更する」
カブレラに言われたパートリーダーたちは、椅子を持ってきてピアノの周りに集まってくる。「弾いて」とカブレラに言われ、緋月は弾き始めた。この1曲が、明日の目玉になるだなんて、誰が想像しただろうか。
弾き終わった緋月と聞き終えたカブレラやパートリーダーたちは、足早に自分たちの楽器の元へ行き、曲想について話始める。練習が終わったのは、朝日が昇る少し前だった。




