カブレラの音楽隊
響が倒れてから、1週間が経った。緋月たちは、入院をしている響を訪ねたかったが、面会が限られた人しかできないと病院の受付で断られ、どうすることもできなかった。
「まぁ、そう落ち込むなって。動画の方には、メッセージが来るわけだし、気にすることでもないさ。ほら、きっと、すぐに退院してくるからさ!」
「そうは言っても、もう、1週間だ。気にはならないか? 風邪で1週間もだなんて」
「確かに気にはなるけど、響には響の事情もあるだろ? 俺らが詮索するもんじゃない。それより、俺は、緋月の華麗なるオケデビューの話が聞きたい」
光希が話題を変えるので、緋月は自身の置かれている状況について話すことになった。ピアノ指揮をすることになったのは話していたが、学園祭のオケの演奏会があり、急遽、その指揮をしないといけなくなった。
それも、『英雄』をだ。
「なかなかおもしろい展開だな?」
「おもしろいことなんて、何もないさ。毎日必死で……」
「その必死も随分と忘れていたんだろ?」
光希に言われ、素直に頷く。緋月にとって、久しぶりの講演会だった。舞台に上がる以上、それがどんな舞台であっても、聞いている人にとって素晴らしかった、満足したと言ってもらえるものを届けたい。作曲家の想いを届けるなんてたいそうなことは、まだ、考えられないが、一緒に舞台に上がるオケのメンバーの想いは届けたい。それには、指揮も兼ねる緋月の責任は重大だった。
「まぁ、これが、うまくいったらさ?」
「オケの単位も、もしかすると、チャンスが巡ってくる可能性があるってことだろう? そう簡単な話ではないだろうけど、せっかく手に入れたチャンスを無駄に終わらせるのは、もったいないよな」
「そういや、どうして、緋月にそのチャンスが巡ってきたんだ?」
この1週間、響のことで頭がいっぱいであったのだが、その傍らで、オケの講義を取ったことが、校内で話題になった。サークル活動のような集まりのリーダーが、緋月のことを面白がって、やってみないかと言ってきた。よくよく話を聞くと、別のオケの講義でサブリーダーをしているバイオリニストだったことがわかった。この秋からは、コンマスになるのだとか。緋月が取っているオケの講義よりはるかに大きなオケのコンマス候補に声をかけられたことに、正直驚いている。
「名前は何だっけ?」
「カブレラ」
名前を言うと、少し考えたあとに、光希は結びついたようだった。納得したという風で、「あいつ、変わり者だからな……」と呟いた。
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ。カブレラって、変わり者で有名。面白いと思ったことは、すぐに取り入れるし、何でも、やってみる! って感じかな。音にはかなりのこだわりがあって、実際はかなり難しい人物だって聞いたことはある。緋月の呼ばれたメンバーってさ」
「何? こわいんだけど?」
「怖がる必要はないよ。カブレラの音の合格点を超えていたってこと。かなり、すごいオケを趣味で作ってるって聞いたことがあるし、実際、去年に聞いたけど……かなり本格的なオケだった。カブレラの音楽隊っていうんだ。講義のオケとは、比べ物にならないくらい本格的だ。カブレラに声をかけられたメンバーは、毎年、プロになっていく。成績も上位者が多い。まぁ、中にはかなりの問題児もいるが、音に関しては、学校1だな」
光希が教えてくれるカブレラの音楽隊について教えてくれる。その音楽隊に声がかかったことは、すごいことなんだと言われるが、緋月はやっと音楽と向き合い始めたところだったから、少し戸惑った。
「緋月」
「ん?」
「とことん、カブレラに気に入られろよ。それが、緋月にとってマイナスになることはないから」
「……そんなにすごいなら、光希も入ればいいんじゃないのか?」
「俺は、無理だ。努力しても、あのメンバーにはなれない」
「なんで?」
「聞くなよ。俺にも音楽家、チェリストとしてのプライドがあるんだ」
笑う光希の背中をポンポンと軽く叩く。その視線の先、その想いは、緋月にも身に覚えがあるものだ。光希は、今、世界規模のコンテストへの出場をかけて、校内選考を戦っている。通過条件の音を模索しているところだった。
「なぁ、光希」
「何?」
「1曲、僕らもやらないか?」
「……学園祭に向けて?」
「そう。今、光希が集中しないといけないこともわかってはいるんだけどさ?」
「何? そんなに俺の音が恋しい?」
「あたり!」
緋月は笑う。その裏に込めた想いは、隠して。
「……それも、いいかもしれない」
「じゃあ、今日、部屋借りとくよ。練習しよう」
「曲は、決まってるんだ?」
「いや、まだ、何も。今、思いついただけだから……」
「はぁ、これだから、緋月は。でも、ありがとう。なんか、肩の力が抜けた気がする」
緋月は、首を傾げて何のことを言っているのか分からないと態度で示すが、光希には隠した想いは気づかれていたらしい。緋月自身、引っ張り上げてもらったのだから、恩返しはしたい。光希にも響にも、緋月ができる最大限のものを与えるつもりなのだ。緋月にできることは、ピアノしかない。そのピアノが、二人と繋いでくれ、緋月の未来さえも、繋いでくれた。嫌悪していたことをピアノに謝りたい気持ちになった。




