響ちゃん
病院へ付き添うと救急車へと一緒に乗り込む。光希のおおきなチェロケースが邪魔だそうで、緋月だけが同乗を許された。
「病院についたら、連絡するよ」
「わかった。緋月……?」
「……あぁ、うん。大丈夫。僕が動転しても意味がないんだ」
光希に肩をポンポンと叩かれ、苦笑いをする緋月。内心は心臓が飛び出てしまいそうなくらい、気が動転している。どうにか、心を落ち着けようとしても、酸素吸入をしている響を見れば、胸が苦しくなった。
「この子の友達?」
「えぇ、そうです」
「かかりつけの病院があるみたいなんだけど、そこに運ぶからいいかな?」
「……かかりつけ?」
「なんだ、知らないのか。まぁ、いい。何かあれば、連絡するようにと医師の電話番号を持っている」
救急隊員から見せられたのは、響がいつもカバンにつけているキーホルダーだった。そこには、緊急のときの連絡先と病院が書かれていた。救急隊員が運転手に病院名を伝えるので、緋月は何もすることはなく、ただ、彼らの処置の邪魔にならないように、隅でそっとしておく。響は意識を失っているようだが、呼吸は落ち着いていると言っている救急隊員の会話を聞きながら、どこが悪いのだろう? と、響を見つめた。
「このクリステルさんに連絡は取れるかな?」
いきなり話しかけられたことに驚き聞き返すと、困った表情をする救急隊員。もう一度連絡が取れるかと聞かれて、電話番号さえわかればと答えた。
病院の緊急窓口へ救急車は入っていき、救急車から降りると、「ここから先は入らないように」と止められる。電話を受けて医師が待っていたようで、「響ちゃん、わかる?」と日本語が聞こえてきた。そのままストレッチャーは病院の中へ消えていき、緋月はその場に取り残された。
茫然と響がいなくなった出入口を見ていたが、クリステルと光希に連絡をしないといけないことに気が付き、慌てて連絡を入れる。
もちろん、クリステルへの連絡は相手側に番号を教えていなかったので、何度も電話をしないといけなかったが、粘り強くかけ続けた。
ようやく出てくれたクリステルに事情を説明したら、病院も聞かないうちにすぐに行くと電話を切られてしまう。
そのあと、光希へと連絡を入れた。よく知っている声を聴き、ふわふわとした気持ちを少し落ち着かせることができた。
「緋月、すぐに行くから待ってろ? 響は、もう、病院の中なんだろ?」
「……そう。緊急出入口からだったから、家族でもない僕は、入らないようにって言われてしまって」
「そっか。しかたないよ。でも、響って、留学だろう? その、大丈夫なのか?」
「待っていた医者が日本人っぽかったから……それに、親しげだったし」
さっきの医者が『響ちゃん』と呼んでいることに違和感と何とも言えない気持ちになった。
病院の中に正面玄関であったとしても、入る勇気が持てず、玄関前のベンチで光希が来てくれるのを待った。ぼんやりと、病院へ入っていく人、出ていく人を見ていた。大きな病院だ。入院している人も多いのだろう。荷物を持っている人も多い。
不安な気持ちから、頭を擡げていると、「緋月」と呼ばれる。のそのそと首を上げると、そこには、息を切らした光希が立っていた。
「……はぁ、はぁ……。緋月は大丈夫か?」
「あぁ、光希か。ごめん、なんか……」
「まぁ、目の前で人が倒れたら、そうなるよな。緋月だけじゃないから、大丈夫。俺も、一緒に救急車に乗ってたら、そうなってただろうし」
「……意外と、冷静に見えるけど?」
「それは、俺の友人が、病弱でさ。割とパタパタ倒れたりしてたんだわ。今は、ムキムキマッチョで、そんな心配ひとつもする必要はないんだけど」
笑う光希の顔を見て、ほっとする。今の話が本当かは緋月に判断はつかないが、落ち着かせてくれようとしているのだけはわかった。病院の中には入らずに、3時間、玄関前のベンチで待っていた。
視線に気が付いて、そちらを見ると、クリステルが立っていた。どうやら、帰るようだ。緋月たちに気が付いて、駆け寄ってきた。
「緋月くんたち、ごめんね! 響が倒れてビックリしたでしょ?」
明るく話し始めるクリステル。同居しているクリステルには、たびたび、響が倒れるので、病院へ付き添うことがあるらしい。何の病気かまでは聞かされていないが、もし、何かあった場合の連絡先として登録しているそうだ。
「響は大丈夫なのですか?」
「えぇ、今は落ち着いているわ。どうやら、風邪をこじらせていたらしくって……本人曰く、緋月くんや光希くんと早く会いたくて、多少無理をしていたみたい」
「……無事ならよかったな? 緋月」
「あぁ、かなり驚いたから。あの、それで……」
「面会ね? 会うことは、難しいわ。主治医の先生から、しばらくはおとなしくするようにってお灸をすえられていたから。面会も禁止にするって」
「そうですか」と緋月は肩を落とした。見かねた光希がフォローをしてくれるが、気持ちがどうしても上がってこない。
「そうそう。この病院、ネットは完備されているから、あなたたちが演奏しているのは見えるわよ。一方的であるようで、コメントも可能だから、たぶん、響は喜ぶと思うわ!」
緋月と光希は、見合った。
そして、ベンチから立ち上がる。次の瞬間には、どちらからともなく、走りはじめる。どこに向かうと示し合わせてはいないが、クリステルの呼びかけも無視をして、目的の場所へと、駆けていった。




