ケイのおもてなし
とっさに部屋を飛び出してしまった。
特に行く当てもないクロウは広場の隅で木に背中を預け、ただぼんやりと過ごしていた。
さっきまで微かにオレンジだった空はすっかり濃紺に染まり、ひとつふたつ星が瞬きだしている。
しばらくして空腹を感じたけども、荷物は宿にあるので先立つものがない。
荷は置いてきたのに、いつもの癖なのか剣帯を掴んで出てしまった。しかし自分の部屋にキアラを放置してきたので、どんな顔で帰ったら良いのかわからないのだ。
日中は太陽が眩い季節だが、幸いにも夜は過ごしやすい。今日はこのまま寝てしまおうかとぼんやり考えていたら、よく知る声に呼び掛けられた。
「クロウか? びっくりした……。こんなとこで座り込んで何してんの?」
ぼんやりしたままのクロウが見上げると、驚いた顔をしたケイが立っている。
「野宿でもしようかと……」
「宿があるのに?」
「ちょっとね」
「喧嘩? キアラちゃんを怒らせたとか?」
ふいと目を逸らすクロウに、ケイはニヤニヤと顔を緩めている。
実際は逆で、ニヤつくような内容でもない。
けれど説明も面倒で、そんなとこ、と返しておいた。
「ふーん、帰りづらいならうちに来いよ。お前なら家族も大喜びするわ」
「いいよ……。ここにいる」
つい拗ねた子どものような態度をとってしまった。
それを見たケイは呆れた顔をし、動こうとしないクロウの腕を強引に取る。
そうして思っていた以上の強い力で遠慮なく引っ張り上げられた。
「いいから。こんなとこで勇者様が野宿とかあり得ないだろ。不審者かと思ったぞ」
「僕は勇者なんかじゃない」
「はいはい。ほら、歩け歩け」
クロウが軽い抵抗を見せてもケイは有無を言わさない足取りで進む。
そのまま引き摺られるように向かった家では、大歓迎のご家族たちに断る暇もなく食事を振る舞われた。
あれよあれよと風呂まで借り、気がつけばクロウは寝間着を身につけて客室のベッドに腰掛けている。
さすが町一番の商家。おもてなし力の塊である。
遊びに来たことはあってもこの家に泊まるのは初めてのことだ。
改めてぐるりと部屋を見渡せば、客室にある品の良いインテリアが目に入る。
今着ている寝間着もなめらかな布地で肌触りが良い。
周りにあるものすべてが高級感をかもし出していて、庶民派のクロウとしては少し落ち着かない気分になる。
ここに着いてからさっきまではなにも考える暇すらなかったが、一人になるとどうしてもキアラのことが頭をよぎる。
初めて見た魅了の瞳。
禍々しいほどの色彩はいつもの明るいペリドットの瞳とは全く違っていた。
暗く、たくさんの色が混じり合った何色とも形容しがたい瞳を、美しいと感じてしまった。
もしあのまま魅了されていたら……。そう考えるとただ単純に怖かった。
心を操られるという単純な恐怖に加え、クロウにはどうしても魅了されたくない理由がある。
なぜなら魅了の魔法は今でこそ禁じられているが、昔は眷属にする常套手段だった。
母が魔族ゆえに、この身の半分は魔族の血で出来ている。
キアラは生粋の魔族で、つまり彼女の眷属になると半分ではなく完全な魔族になってしまう気がするからだ。
さすがに考えすぎだとわかっていても、それだけはなんとしても避けたかった。
それに五年も一緒にいたけれどあんなキアラは初めて見た。
つい不安を怒りに変換してしまい感情のままに飛び出したが、おそらく原因は自分だろう。
そう考えるとなんとも後ろめたい気持ちになる。
何度もあの瞳と、青ざめて震えるキアラを思い出しているうちに扉がノックされ、返事をする前にケイが明るい顔をのぞかせた。
「こういう時は飲めばいい」
返事も待たず部屋に入ったケイの手には、透明な赤と白それぞれ一本のグラスがある。
クロウに手渡されたのは赤い液体が入ったグラス。
「お前はこっち。すぐダウンするから俺とは別の」
「悪いけど、話す気分じゃ……」
「ここは俺ん家だから。俺の意見が強い」
希望は即却下されてしまった。
「なんだそれ」
ソファに腰を下ろしたケイに合わせてクロウもベッドから移動する。
隣に座った途端、興味に輝かせた顔を向けられた。




