log-185 ウシナワレテ/トリモドシテ
―――ケタケタと笑う、天井にある無数の口。
肉壁のような気色悪い、誰かの体内とも思えるような空間の中では、これはこれでおかしくはないだろうとどこか冷静に思ってしまう。
けれども、その口から紡がれるのは悪魔の誘い…
『モウ、ココデヤスンジャェバ』
『イマナラダレモイナイカラダイジョウブダイジョウブ』
歩みを止めず進む中で、上から聞こえてくる誘い。
ここで休憩をすればいい…それは確かに、提案としては当たり前のことであり、ジャックの疲弊した体に最も必要なものなのかもしれない。
けれども、上からの誘いがそんなありきたりな理由で言っているわけがない。
「…休んだら、そこで何かと理由を付けて、徐々に動けなくしていくつもりだろ」
『ソンナコトナイヨ』
『コウソクモナニモシナイ』
『タダ、ココデズットスゴセバイイトオモッテイルダケ』
「思いっきり本音が漏れているんだよなぁ…」
びっしりと口を生やしながらも、無理にジャックの身体を拘束するそぶりは見せない。
やろうと思えばできそうなものなのに、やらないのには何か理由がある。
物理的な拘束ならば抵抗されるからか…あるいは、精神を徐々に摩耗させるためにやっているか。
たとえ、仮に身体を思っての言葉だとしても、この甘言に乗ってはいけないと、どこかで理解している。
(…いや、理解しているというか…教えられているか)
ハコニワの中での、ゼリアスから対策の伝授。
その中での休憩の合間に、少しばかり悪魔に関しての物理的な対策以外にも、精神的な部分での話もまた耳にしていた。
(…古今東西、化け物の甘言に耳を貸さないほうがいい。その言葉には、じっとりと相手を捕らえる魔力が練りこまれていたり、催眠のような効果があったり…何かと聞かないほうがいいんだったか)
相手を捕らえる中で、精神的な攻めは結構有効なことが多い。
身体が損傷してもそれは癒せばすぐに動けるようになることが多いが、精神的なものは癒すまでに時間がかかったりして容易に回復できず、さらなる負の連鎖によって被害が大きくなるからだ。
だからこそ、多種多様な甘言で惑わせ、徐々にその精神を削っていくものも多いのだという。
一番良い対策は、絶対に耳を貸さない。
聞かざる、見ざる、返事せざる…ちょっと最後のほうが違うが、この三つをやっておいたほうがいい化け物はそれなりにいるようだ。
でも、そのように対策をしていたとしても、聞こえてくるものはある。
耳を塞ぐ手もあるが…周囲の音が聞こえないと、不意打ちに対応できない。
それゆえに、今はただ、聞き流すしかできないが…
『ココデタイダニスゴシテモモンクハイワレナイヨ』
『ヤスンジャェ、ナニモカモワスレテ』
『ナゼイソグ、デグチハナイノニ』
聞こえてくる、様々な甘言。
それに聞く耳を持たず、ジャックは歩みを進めていく。
聞いてはいけない、乗せられてはいけない、ここで屈してはいけない。
それでもその声に乗る魔力のモノか、はたまたは別のモノなのか、少しづつジャックは自身に不快な何かが纏わりつくような感覚を覚え、歩みが遅くなっていく。
一歩、また一歩とを先を進む志は曲げていないはずなのに…その足が、重くなっていく。
ゆっくりと、徐々に奪われていくのは気力か、体力が、それともその両方か。
回復する様子もなく、奪われていく残り少ないモノ。
『オモイオモイ、ソノアシドリヲトメテイイヨ』
『エイエンニ、ココデヤスンデイイノニ』
『アユミヲトメテシマエバイイヨォ』
聞こえてくる、甘美な声。
それでも、ジャックは足を止めない。
疲れている、動きはもう鈍重なものになっている。動くだけの精神力も無いはず。
けれども、その足を止めてはいけない。
「…ここで折れたら…確実に、不味いのが分かって止める馬鹿が、どこにいるんだ」
動きたくはない、その気持ちが無いわけではない。
もはや体が鉛のようになっているのを感じて、どれほど辛く苦しい状態なのかも理解できていないわけではない。
でも、足を止めないのは…絶対に、帰らなければいけないからだ。
「絶対に、ハクロたちのもとへ…っつぅ…」
歩みを止めない。そう思っていても…それは、少年の肉体ではすでに限界を迎えていた。
足がもつれ、倒れ伏し、気持ちの悪い肉の床の感触を全身で感じ取る。
「絶対…帰るんだ…」
瞼が重い、手が動かない。
全身の力が奪われ、より一層何もかもが抜けていくような感覚。
ふと気が付けば、じわりじわりと床に体が沈み込んできており…動かなければ、このままここに取り込まれるのだろうか。
「…皆…のもとへ…」
ぐっと力を振り絞るも、その一歩が及ばない。
ゆっくりと、意識も闇の中へ同時に沈みこみ、二度と帰れなくなるような予感を感じ取った…その時だった。
【ーーーーーーーー!!ジャックに何を、する気ですかぁぁぁぁぁぁぁ!!】
響き渡る、大きな声。
上からけらけらと様子を見ながら笑っていた口が、見えなくともびくっと震わせたのが感じ取れる。
床を踏み鳴らし、確実に近づいてくる振動に、覚えはある。
ぐぃいいづ!!
「っつぅ…は、ハクロ…」
【ええ、ジャック。良かったです、危ないところだったようで…】
おもいきり引っ張り上げられ、抱きしめられた。
きちんと、過去の経験から学び窒息しないようにちゃんと高めに持ってくれているこの配慮と、聞こえるその声。
重くなった瞼をどうにか開ければ、そこに映るのは大事な家族の姿。
【とりあえず、疲れているようですし…ジャックはここで、私の上で休んでください。あとは、全て片付けますから】
そう言われながら、手早く糸でハクロの蜘蛛の背中に寝かせられ、間髪入れずにレイが歌を歌い、カトレアが眠りに誘うような良い香りの花を咲かせる。
ルトライトとルミの炎の魔法と氷の炎が調節されて程よい暖かさを提供し…あとは、ファイが用意してきたらしい薬を飲まされる。
寝かされるような、それでいてこの肉の空間が提供してきたものとは異なる、本当に心の底から安堵させてくれるもの。
緊張の糸が切れて、彼女たちに後を任せてしまうことを申し訳なく思いつつも、ようやく手に入れた安らぎによって、そっとジャックは意識を手放すのであった…
【…診察結果、重度の疲労の症状が出てましたが、これで回復できるはずでス】
【万が一に備えて、向かう前にありったけの回復薬などをかき集めてきてよかったのなの】
【この安らいだ顔を見れば、大丈夫そうだと思うが…】
【ふみゅっ、深い眠りで、これでちょっとやそっとじゃ、起きないと思う】
【ああ、それはもうわかっているぜ。我が君、あとはゆっくりとオレたちに任せて休んでくれ】
【大事な番に、手を出そうとしたその報いは…しっかりと、味合わせてあげますからね】
ジャックの負担にならないように気を付けつつ、ハクロ達は向き直る。
その身から放たれるその気迫に、周囲の肉がひるむような気配を感じさせるが、容赦するつもりはない。
ここがどこの何者の体内だとか、その部分に関してはまだわかっていないところが多くとも…彼らは、手を出してはいけないものに手を出したからだ。
―――真の厄災は今、ここに解き放たれる。
救助の手は間に合った
それでも、彼女たちの怒りは収まらない
相手は見事に、地雷原でタップダンスを踊ったようで…
次回に続く!!
…なお、実は3回ぐらい書き直していたりする。
当初は欠損とか、溶解とかちょっと混ぜたんだけど…いやまぁ、アウトかなと…