第十二章 騎士の心(3)
友好条約を結ぶ以前、ミディアとルーンの間には国境付近での小さな紛争が絶えなかった。今からニ百五十年ほど前、ルーンが第十一代国王サイランディウスの時代(※サイランディウスは治水王セレンディウスの息子であり、架橋王セエレはサイランディウスの息子即ちセレンディウスの孫にあたる)に、ミディアの賢王マサムーンとの間に大戦勃発の危機があった。しかし、サイランディウスはマサムーンに、
「無駄に血を流すことはない。それぞれの国の最高の騎士を一騎打ちさせ、その勝敗によって決めよう」
と持ちかけた。
マサムーンはそれを承諾し、一年後、個人どうしの一騎打ちによる代理戦争が行われることになった。それぞれの王が御前試合を催して、身分に関係なく実力で最強の戦士を選んだ。
ミディア側で選ばれたのはミン・グウェイという名の女戦士で、彼女はグウェイ家の先祖にあたる。ルーン側で選ばれた戦士の名はシグリス。彼はファランから来た奴隷戦士で正式な騎士ではなかったため、姓を持っていなかったのである。しかし、草の民の血を引く彼は、間違いなく当時のルーン王国最強の戦士であった。
ルールはただひとつ、「どちらかが死ぬか敗北を認めるまで、正々堂々と全力で戦うこと」。
国境の平地に設けられた方陣の上で、国土を賭けたその大勝負が始められた。二人の戦いは凄惨を極めた。実力はほぼ同じで伯仲しており、どちらが勝ってもおかしくなかった。人々の輪が囲む中、二人は生まれて初めて出会う最大の強敵と戦った。勝負は三日三晩続いた。
四日目の朝、勝敗が決まった。勝利したのはシグリスであった。右腕を切り落とされたミン・グウェイが降参したのである。彼女の腕はルーンの魔道医師たちが瞬時に治療したが、その後もとのように動かすことはできなかった。
敗北したミディアのマサムーン王に向かって、ルーン王サイランディウスはこう言った。
「まこと見事な戦いであった。我々は、この素晴らしい戦士を生み出したミディアを蹂躙し、支配下に置こうなどとは思わぬ。今後は、今ある国境の線を互いに侵すことなく、兄弟の国としてともに歩みたい」
それを聞いたマサムーン王は、冠をとってサイランディウス王の手を握った。このときミディアとルーンは永世兄弟国の契りを結び、一ヵ月後に友好条約が定められたのであった。
サイランディウスの死後、彼に贈られたのは「和睦王」の諡である。また、誉れ高き戦士ミン・グウェイは、ルーン人の夫を迎えてルーンの王都ルベイに移住し、武人貴族になった。そのため、グウェイ家はミディアの慣習に則って当主を女系継承としている。これは、男系社会のルーンでは非常に珍しいことである。
奴隷戦士だったシグリスは、その功績によって騎士の位を与えられ「スレイブズ」の姓を名乗ることになった。騎士となったシグリス・スレイブズは褒章として領土を与えられた。シリウ河・セレンディウス河畔の東側である。現在、そこはサイランディアと呼ばれている。スレイブズは、ただの泥地であったこの地域に巨大な運河群をつくって治水工事を行い、天候観測塔を建てた。その塔はスレイブズ塔と呼ばれ、塔からの景観はルーン三大名景のひとつに数えられている。
王弟シド・ヴァーンに重んじられている騎士セシウス・スレイブズは、シグリスから数えて五代目の当主にあたるクラウス・スレイブズの末弟なのである。
グウェイ家とスレイブズ家の近い先祖には、そのような深い因縁がある。これはルーンでは有名な話で、武人貴族だけでなく民間人までもが幼少の頃に本で読む。下流社会に生きる文字の読めない人々でも、たいてい誰かから聞いて知っているほどなのだ。
ルーンの上流階級は、高貴な血を誇りにする華族社会、学識を誇りにする学士社会、武術技芸を誇りにする武士社会の三つで成り立っている。中流階級は経済力を競う商人たちの商業社会であり、富裕な商人たちは貴族と婚姻関係を結んだり、著名な学士や名高い武人と交流を持ちたがる。
文人貴族と呼ばれる人々の中には、本当に学識の深い者もいればに遊戯に没頭する者もいる。しかし王から領土を与えられれば、その土地の領民たちから税を取ることができるので生活に困ることはない。領民は基本的に農民たちであり、その年の農作物の出来不出来が生活を左右する。そのため、農業を指南する魔道士たちは非常に尊敬されており、メリル卿などは領土に帰れば祭が開かれるほど領民に愛されているのだ。無論、浪費家で無知な領主は領民から非常に嫌われている。
一方、武人たちは税の取立てが厳しい割に、戦争がないときは目に見えて役に立つ訳ではないので、一般的にあまり好かれていない。スレイブズ家の場合は例外で、開祖シグリスは奴隷戦士という低い窓から世の中を見ていたために、領民たちの苦しみがわかっていた。そうでなければ、天候観測塔を建てる必要を感じることもなかっただろう。
スレイブズ家の有名な家訓に、こういうものがある。
「今日の食物に感謝せよ。それがどこからどうやって来たかを思い、心して食せ」
シグリスは額に汗して働く苦労と、そうして得られた農作物の価値を知っていた。大運河の造成によって確保された農地は、今やルーンで最も豊かな税源となっている。シグリス自身は文字を読むことすらできなかったが、大地の力に寄り添って生きる「草の民」の血をひいた彼の知恵は、今もサイランディアの人々に広く語り継がれているのである。




