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竜の剣  作者: 高倉麻耶
第一部 第十章
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第十章 セエレ大橋にて(5)

「名乗れ、ゲルブルの血をひく者よ」


 突如、ディーンとカイトが同時に叫んだ。高音と低音が響きあい耳に不思議な心地よさを持った、あの魔法の声である。


「我が名は『天竜』、竜と人を生みし者。汝が名を名乗れ、王の前ぞ」


 その途端、ゲルブルの黒い幻影が――水を打ったように、大きく揺らいだ。


 魔法のことをほとんど知らないギレンにも、直感的に、その「幻」が水の表面に映った景色のようなものだと理解できた。どこか遠くに、同じ姿をした実在の者が生きている。


『否……我が主はバ……ル様ただひとり……おまえたちなど王ではない』


 そのゲルブルが何と言ったのか、ギレンには聞き取れなかった。「バウバル」というようにも、「ババール」と言ったようにも聴こえ、はっきりとわからない。


 しかしそのとき、驚くべき変化が起こった。ディーンの顔が、カイトと同じように変形したのである。一瞬にして彼の眼球は大きくなり、竜と同じ紅い瞳に変わった。口元から牙がのぞき、皮膚の表面に細かい鱗があらわれた。ディーンにしがみついていたキリエも、彼の急激な変化に気づいたようだ。そして双子はまた叫んだ。


「おのれ、禁忌の者を奉じ、我が名を穢すとは! 許せぬ」


 ディーンとカイトの体から、炎のような怒気が立ち昇った。火傷しそうなほどの気迫。同時に二頭の輝甲竜が呻き声をあげた。竜の王が放つ激しい感情に、恐れをなしているのだ。


 ギレンは、ソリス・メリルの秘密の小部屋で見せられた、あの恐怖の幻視を思い出した。そうだ。もともと、天竜とはそのような巨大な存在。この小さな身体にその魂を転生したといっても、ひとたび暴れれば山が消し飛び、大河の水が涸れる。天竜の怒りはそれだけの強大な力を持っている。


 彼女の体は、意志に反してガタガタ震えだした。同時に、黒い影はゆらゆらと陽炎のように揺れ、薄くなった。


『……転生者よ……憶えておくがいい……我が名はバルバ・ロス』


 消えそうな声だが、今度はギレンの耳にもはっきりと聞き取れた。それにしても、なんという気持ちの悪い声なのだろう。まるで、呪いを形にしたような。


『我こそは……地上におけるバルバの長である……貴様たちを見くびっていたようだ……あと三日の間は猶予を与えてやろう』

「猶予? 何を言うか! バルバの長などと! この次我らの前に立ってみよ。汝如き、一息で吹き消してくれる」


 瓜二つ、異形の顔になったディーンとカイトが、鬼のような形相で叫んだ。二人が怒りを発するたびに、輝甲竜がそれを恐れて低く唸る。何も知らない普通の人間が見れば、ここがそのまま異界になったと感じるだろう。


「あっ! だめ」


 キリエが甲高い声をあげた。彼女の胸ポケットから、火蜥蜴のサリーが飛び出したのだ。


「サリー! 戻ってきなさい!」


 主の叫びを無視して、サリーはそのままアスタルスの頭の上をちょろちょろ走った。そしてその最も大きい角の先まで一瞬にしてよじ登ると、腹を思いきり大きく膨らませた。


――ゴォッ!


 いきなり、巨大な炎の壁が視界を覆った。サリーが火を吐いたのだ。しかしその炎は、不思議なことに少しも熱くなかった。


 ギレンの頭の中に、ゲルブルの悲鳴が響いた。苦しみ悶えている。そして最後に、


『おのれ……まさか念者に届く炎を吐くとは……きたならしい火蜥蜴めが……』


というつぶやきが聴こえ、灰色の靄が少しずつ晴れていった。


 どうやら、バルバ・ロスと名乗る悪魔にかけられていた邪法が、サリーの炎で解けたらしい。靄が晴れると、賑やかに人々が行き交ういつものセエレ大橋の景色に戻った。アスタルスの角の上に登っていたサリーは、かわいらしく首を動かして周辺を確認すると、すばやく走ってディーンの腕に登った。


「ありがとう、サリー」


 ディーンは、いつの間にか元の顔に戻っていた。彼は慈しむようにサリーの背中を撫で、グウェイに何かぼそぼそと囁きかけた。それはギレンには聴こえなかったが、多分、火蜥蜴の持つ炎の特性に関する説明なのだろうと思われた。彼女は、以前にキリエから聞いていたのだ。「火蜥蜴の炎は、魔法を断ち切る力を持っている」と。


 ギレンは深く溜め息を吐いた。それは、安堵ばかりではなかった。あらためて「天竜」という存在の大きさと、敵対者であるゲルブルの強大さを感じ、何もできなかった自分に歯痒い思いをしている。


(バルバというのは、いったい何のことだろう)


と、ギレンは疑問に思った。しかし、カイトは俯いたまま黙りこくっている。その背中を見ると、もはや何も問う気にはなれなかった。


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