第十章 セエレ大橋にて(4)
すると、輝甲竜アギスが唐突に歩みを止めた。一歩遅れて、アスタルスも停止した。しかし、ギレンもグウェイも停止命令を出していない。
「どうした、アスタルス」
グウェイはギレンの表情を見たあと、輝甲竜アスタルスに問い質した。彼らが契約者の命令に反するなど、本来ありえないことなのだ。
「……王の命である」
アスタルスは、重く低い声で静かに答えた。「王」とは、すなわち天竜の転生者・ディーンとカイトのことだ。その返答はグウェイも予想していたらしい。見ればディーンもカイトも、同じ表情で前方を睨みつけている。
橋の中ほどに、薄暗い灰色の靄がかかっていた。いつの間にか、あたりには人気がなくなっている。どうも不自然な靄だ。ギレンは、グウェイが兜を被ったのを見てすぐに、自分も急いで兜をつけた。この時間帯で、人が通らないというのはおかしい。
一行は、橋のちょうど真ん中あたりにさしかかったところで、妙にべっとりとした重たい靄に包まれ、視界を奪われた。
すると、アギスがいきなり中空に長い炎を吐いた。ねじれた炎は、その周囲の靄を散らすように追い払った。ちょうど、靄の中にトンネルができたような形になったのである。
そのトンネルの先に、何か黒い影が現れた。闇の塊が集まるようにして、それは人の形になった。あきらかに生きた人間の姿ではない。
影が寄り集まってできたその「人の形」は、向こう側の景色が透けている。実在している者ではないのだ。それは――両目の部分が穴になった、髑髏のような老人の姿であった。
顔つきだけでは性別まで判らないが、髭がないのをみると女性であろうか。しかし、先ほどの老婆ではない。人間らしい気配がしないのだ。
ギレンの脳裏に、「悪魔」の二文字がちらついた。ルベイに施した魔法陣の封印からは、ずいぶん遠ざかっている。ゲルブルに対抗する「秩序」の魔法は、おそらくここまで届いていないだろう。
「気をつけて、ギル」
カイトがつぶやいた。その声で、彼女はハッと現実に引き戻された。もう少しで、バランスを失ってアギスの上から落ちるところだったのだ。続けて、カイトはこう言った。
「あれは、『彼ら』がみせる幻。あそこにはいない。どっちも攻撃できない」
ギレンは頷き、手綱を握りなおした。こちらから相手に攻撃することはできないが、それは向こうも同じということだろう。実体はここにない。ならば、彼らは心の隙間に入り込もうとしてくる。意識をしっかり持って、隙を見せないようにしなければ。
その黒い老人は、少し笑ったように見えた。あたり一帯に、地の底から響いてくるような、この世ならぬ声がした。
『おまえたち……勝った気でいるのだろう……確かに今回は王と王妃を二人とも操り損ねたが……このまま無事に済むと思うなよ……』
背筋に、ぞくぞくと悪寒が走った。思わず身震いすると、手甲の上にカイトの小さな掌がそっと置かれた。あたたかい。その熱は、心に明かりを燈すようにして彼女を安心させた。
ギレンは老人の幻覚をまっすぐに見据え、剣を構えるときの気持ちで精神を尖らせた。自分はローランド・ギレンの名を継ぐ竜騎士――『黒き死』のギル・ギレンである。そして、たとえ何があろうと命を懸けてカイトを守ると誓ったのだ。




