第九章 帰還(7)
翌朝、メリル枢機卿はディーンの顔をみつめながら茫然としていた。
「殿下。いま……なんと仰いました?」
「だめですか? キリエ・リンド魔道官を、シュブラウス城に連れて帰りたいのですが」
「ううむ」
満面の笑みを浮かべてディーンの横に立つキリエ。その表情には、微塵の迷いもない。メリル卿は帽子をとって頭を掻きながら、「困りましたな」とつぶやいた。
「行く行くは、三官を勤めてもらおうかと考えていた娘です。むむ、手元に置いて育てたかったが……しかし、殿下が仰るのでは仕方がない……」
「大丈夫ですよ、所長! わたし、ディーン様に付きっ切りで勉強してきますから」
キリエは嬉しくて仕方がないといった様子で、はしゃぎながら言った。「三官」というのは、王室魔道官の最高位にある三魔道官のことである。メリルの言葉は、「キリエには魔道士としての最高位に就くだけの実力がある」ということを示していた。
「彼は、残してくださるのでしょうな?」
メリル卿は、キリエの横に並んだシグヌス・アルウェンのほうを手で示しながら、諦めたように言った。シグヌスは黙ったまま、困ったような微笑を浮かべている。ディーンは明朗な声で答えた。
「はい、残念ですけど……二人一緒に連れていくと、メリルさんが困ることでしょうし……」
「やれやれ」
ほっと溜め息を吐いて、メリル卿は金の帽子を被りなおした。ディーンたちの見送りのために、朝から枢機卿の盛装を着用しているのだ。
「仕方ない。形だけになりますが、御父上への紹介状を書かせていただきますわい」
「お願いします」
言い終わるが早いか、メリル卿は呪文を唱えて空中に紙とペンを動かした。片眼鏡を押さえながら、あっというまに手紙の封まで済ませてしまう。一瞬の早業に、シグヌスとキリエはぽかんと口をあけていた。メリルはその封書をキリエの目の前に浮かせながら言った。
「何を驚いておる。ただの浮遊呪文ではないか」
「いえ……さすが、所長ですね」
「ふん。この儂を小ばかにしておいて、よく言うわい」
どうやらメリル卿は、キリエをとられてしまうのが余程悔しいらしい。シグヌスは肩を竦めて笑っている。空中に浮かんだ紹介状を、頬を赤らめたキリエが両手でそっと受け取った。
***
「気をつけてね」
魔道騎士を伴った王妃セラスが、威儀を正した盛装で見送りに来ていた。このごろ彼女には、王妃というよりも「女王」に近い風格が備わっている。そのかんばせの輝きは、思わず目を細めてしまうほどである。シルヴェウス王は来ていない。この時間帯、彼はまだ寝床の中にいる。
セラスは、ディーンに書簡を手渡した。
それは、見事な細工の施された銀製の細長い筒で、小さな錠前がついている。そして、彼女はあでやかな微笑を浮かべながら、銀色のごく小さな鍵をカイトに手渡した。鍵は、細い鎖のついたペンダントになっている。カイトはそれを黙って首に通した。
もちろん二人には、その書簡の中身がセラスからシド・ヴァーンに宛てた手紙だということがわかっている。祖母を亡くしてから孤独な半妖人だった彼女にとって、この双子の存在は、彼女の持つ妖精の血、そして過去のすべての苦しみを救うものだ。
セラス王妃とヴァーン兄弟の心は、いまや遮るもののない繋がりをもって、結び付けられている。そしてそれは魔法陣作成のあいだ、彼らの「千里眼」を可能にした。ディーンとカイトは、セラスの眼を通して王城の監視を行っていたのである。今後も、三人は互いの意識を分身のようにして、魂の声を交わす。どんなに離れていても、心はずっと繋がったままになる。
「それじゃ。長い間、お世話になりました」
ディーンとカイトは、並び立ったソリス・メリル枢機卿と王妃セラスに向かって、ぴったりと息の合った正式な礼をした。胸の前で左掌に右拳を合わせるという、この無骨な挨拶の仕方には、武をもって世界に名を知らしめたルーン王国の、古きよき時代の面影がある。




