第九章 帰還(4)
そのときギレンは、なぜか王妃セラスの歌声を思い出した。それから、聴き慣れた風笛の音を。双子の声は、一人ずつ別々に発声しているときには特になんとも思わなかったのだが、いまは、彼らの声が秘密の力を持っていることを感じずにはいられない。
その場で二人の声が持つ魔力にすぐ気づいたのは、ギレンと、もう一人――シグヌス・アルウェンだった。彼はハッとした様子でディーンに尋ねた。
「殿下、魔法の声をお持ちなのですか?」
「うん。シグは、やっぱり耳がいいね。ギルもだけど」
ディーンはチョークの筒を回して、芯を繰り出した。そしてそのまま、しゃがみこんで作業を再開した。
「でも、ぼくらは二人とも、なぜぼくらが二人に分かれてしまったのかを知らない。それは……たぶん、転生の直後に起こったことだから。転生したときは、確かにぼくらは一人だったはずなんだ」
それだけ言うと、ディーンは口を噤んでしまった。
キリエとシグヌス、そしてマルスの三人は、互いの顔を見合わせた。それからディーンと同じようにしゃがみ込み、作業を続けることにした。疑問は差し置いて、とにかく、急いで魔法陣を完成させなければならない。
「ねぇ、シグ。あなた、どうして魔法の声を聴き分けられるの?」
しばらく沈黙が続くと、キリエはすぐに何か会話を始めたがる。黙ってはいられない性分なのだ。シグヌスは、肩まで伸びた柔らかい金の巻き毛を揺らしながら、ゆっくりと返事をかえした。
「うーん……そうだなぁ、生まれつきとしか言いようがないけど……キリエは、『海の民』って聞いたことある?」
「えっ、知らないわ」
耳慣れない単語に、キリエは手を止めてシグヌスの顔を見た。マルスが歌うような口調で、書物の一節を読み上げる。
「彼らの愛し子ら、樹を刳り貫いて島々を渡り、霧の中に棲む。海竜とともに生き、水竜と交わって暮らす。よく泳ぎ竜の喉を持つ。人とは添わぬ種なり。……うん? 既に滅びたといわれる伝説の妖精一族ではないか」
そう言いながらも、マルスは滑らかに右手を動かし続けている。さすがに、魔法陣を描くことにかけて彼の右に出る者はいない。シグヌスは、何度も確かめながら慎重に進めるので、なかなか思うように捗らない。キリエは、早いことは早いのだが、つい勢いで描いてしまう。そのため、キリエが描いた部分については、ディーンとカイトが後から確認しながら修正している。それでも、やはり彼女は学習能力が高く、間違う箇所はだんだん減ってきた。
「はい、うちの先祖が『海の民』の血をひいているという言い伝えがあって……そのためか、特殊な耳を持って生まれることがあるようです」
シグヌスは話しながら、頬に落ちかかった髪を耳にかけ直した。先端がやや尖った形の、特徴的な耳である。
「アルウェン家で?」
「いいえ、父方のほうです」
「どこだね」
「……」
シグヌスは困ったような顔で逡巡していた。家の名前は言いたくないようだ。
ギレンは、その会話を聞きながら不思議な思いにとらわれた。なぜだろう――ここにいる誰もが、つい最近知りあったばかりのはずなのに。ずっと昔からこんなふうに、一緒に過ごしていたような気がする。軽い眩暈のような、白昼夢のような既視感。
思わず、彼女は指でこめかみのあたりを押さえた。隣に立っているグウェイが、その様子を察し、声を掛けた。
「どうした」
「――いいえ、なんでもないのです」
「眩暈でもしたのか」
「大丈夫ですよ」
グウェイはこのごろ、ギレンに対して妙に気を配るようになってきた。ディーンの影響だろうか? 以前は、そんな様子はまったく無かったのに。いや、もしかしたら単に余裕が無かっただけなのかもしれない。




