第八章 「秩序」の結界(10)
ディーンとカイトは顔を見合わせて一瞬微笑んだ。すると王妃はそこにあるベンチに腰掛けて、細く高い声で、流れるように歌い始めた。
意表をつく王妃の行動に、双子以外の誰もが呆気にとられた。そして、その直後に深く溜め息を吐いた。セラスの歌が、あまりにも耳に心地良いのである。皆、同じように目を閉じ、その歌声に耳を澄ませた。
セラスの声は、不思議なことに王城の至るところに響き渡っていた。人々は手を止め、足を止め、天使のような歌声に聞き惚れた。その声が誰のものなのか判る者は、ほとんどいなかった。彼女が歌い終わるまで、王城では誰一人動かなかった。
それは、『風の民』だけに伝わる『癒しの歌』だった。病に罹って咳き込んでいた者は咳が止まり、熱がおさまった。怪我をしていた者は、みるみるうちに傷が癒えた。彼らはそれがこの歌の魔法効果であると、すぐに気づいた。
セラスが歌い終わったとき、シルヴェウス王が唐突に目を覚まし、がばっと跳ね起きた。
「いまの――今の歌は、なんだ? 誰が歌っていた?」
彼は真剣な顔で従者に問うた。従者は首を横に振った。
「わかりません。なにか、とても美しい歌でしたが……」
「探し出せ」
シルヴェウスは急いで身支度を始めた。従者が王の盛装を出そうとすると、彼は「そんなものは要らん、着ている暇がない」と言って、簡易な衣装を身に纏い、慌てた様子で外へ出た。まだ、そんな薄着で外に出るような季節ではない。
毛皮のコートを持った従者と哨兵が、走る王の後ろを追いかけた。シルヴェウスは、自分がどこへ向かおうとしているのかわからなかった。しかし、走らずにはいられなかった。誰かが呼んでいるような気がして。長いあいだ彼の心に溜まっていた澱みのようなものが、今はすっかり消え去っている。
「陛下! どこへ!」
「知らぬ!」
長い裾を両手でたくし上げながら、王は城の中庭を走った。そして――王妃セラスと、双子の公子が仲良く談笑しているのを発見した。
「セラス!」
シルヴェウスは全身に汗を掻きながら、必死の形相で叫んだ。その声を聞いた王妃は、ぎょっとしたような顔で彼を見た。
「セラス! 許してくれ……」
王はその場に崩れるようにして、膝をついた。そして、子どものように声をあげて泣いた。それは、何も知らない者でもつい涙を誘われるほど、身も世もない悲壮な声だった。
彼は胸を掻き毟り、とめどなく泣き続けた。
王妃セラスは一瞬だけ腰を浮かしかけたが、従者が王の体にコートをかけるのを見て、ほっとしたように再び腰を下ろした。そして、泣き続ける夫の姿を、彼が泣き終わるまで見守った。それはまるでこの世の終わりを見るような、ひどく悲しげな眼差しだった。




