第八章 「秩序」の結界(4)
サリーはどこからどう見ても、ただ赤いだけの小さな可愛い蜥蜴だ。しかし、これでも竜の眷属である。噂によれば、火蜥蜴の吐く炎の破壊力は、体の大きさではなく霊力に依存するのだという。どんな姿をしていても油断はできない。「火蜥蜴は小さくても侮るな、山を焼く」という諺があるぐらいなのだ。
ギレンがサリーをみつめると、サリーも同じように彼女をみつめ返した。その瞬間、サリーはピョンと飛び上がって、パンを持っているギレンの手に乗った。
「きゃーッ!」
普段、あのおそろしい輝甲竜の背に平気で乗っているくせに、ギレンはこの小さな火蜥蜴の動きに驚いて、甲高い悲鳴を上げた。
「どうした」
悲鳴を聞きつけたグウェイが、食堂に駆け込んできた。キリエは慌ててサリーを掌の中に隠し、「なんでもないです!」と叫んだ。
「ごめんなさい、ちょっと魔法でびっくりさせちゃったの。ほんと、何でもないんです」
「なんだ……情けないぞ、ギレン」
「申し訳ございません」
こうした場面に慣れているのだろう。ギレンが顔を真っ赤にして俯いている間に、キリエは見事な機転でその場を切り抜けた。
昼食を食べ終わったあと、ディーンとカイトのところへ戻ったギレンは、彼らが床に広げた麻紙に、細かい魔法陣を描いているのを見た。熱心に絵を描く子どもの表情である。ふっと微笑ましくなったが、彼らの手もとに注目すると、そのあまりの精密な出来映えにぞっとする。
「おかえり、ギル」
ディーンが手を止めて、ギレンに微笑みかけた。
「はい、殿下。ただいま戻りました」
「すごい悲鳴だったね」
ギレンは耳まで真っ赤になった。ここはちょうど食堂の上だったので、話し声までは聴こえないだろうが、彼女の叫び声は届いていたらしい。
「あは。そんなに顔赤くしたら火蜥蜴になっちゃうよ」
ディーンの冗談に悪気はまったくないのだが、ギレンは、羞恥のあまり悄気かえってしまった。ちいさな火蜥蜴に驚いて悲鳴をあげるなど、竜騎士失格だと。泣きそうな気持ちで壁際に立った。師父ローランドが今の自分を見たら、なんと言うだろうか。
「そんなに落ち込まないで、ギル」
「……はい」
そこへ、手洗いに行っていたキリエが戻ってきた。彼女はいつもぴしっと背筋を伸ばして、姿勢正しく最高敬礼をする。
「公子殿下。リンド魔道士見習、ただいま戻りました!」
「うん、もうすぐ出来るからちょっと待ってて」
「はい!」
ディーンはすぐ横にある長椅子を指差した。キリエは嬉しそうにすばやく歩き、満面の笑顔でちょこんと腰掛けた。
ふと、カイトが手を止めて顔を上げた。彼の眼は、まっすぐにキリエのほうを見ている。火蜥蜴の存在に気づいたのだ。どうするのだろうか? 不安で、ギレンの胸が波打った。
「違うよ、ギル。サリーのことなら、とっくの昔にわかってる」
「えっ?」
ディーンの言葉に、キリエは驚いて声を上げた。彼女は、まさか火蜥蜴の存在を双子に知られているとは、思ってもみなかったのだろう。
カイトは立ち上がってキリエのほうへ歩いていった。が、思わず身構えたキリエには構わず、柵の上に身を乗り出して、吹き抜けの真下を覗き込んだ。同時にディーンが立ち上がった。彼はただならぬ表情で振り向き、グウェイに向かって叫んだ。
「ルゥ、一階に知らせて! 王妃が攫われる!」




