第八章 「秩序」の結界(2)
キリエは「しーっ」と指を唇にあてて、胸ポケットのボタンを外した。その中で、真っ赤な蜥蜴がすばやく体を動かし、小指の先ほどしかない小さな頭を持ち上げた。ギレンに興味があるようで、探るような眼で懸命にみつめている。こぼれそうな瞳は金色に輝き、すばやくまばたきをする様子が愛らしい。
ディーンたちと同じように黒い髪をした、少女キリエ。彼女のつぶらな瞳は薄茶色である。異国の血が混じっているのだ。ただ、ギレンは残念ながら、彼女の兄キリウ・リンドの顔をよく憶えていない。おそらく、挨拶ぐらいはしていたはずなのだが。
キリエは綺麗に編んだおさげ髪を揺らして、周囲を見回した。それから、悪戯っぽい微笑みを浮かべてこう言った。
「あのね、本当は学問所に火蜥蜴を連れ込んじゃいけないんです。危ないから……それに、みんな怖がるし。でも、たまにこっそり連れてきてるんです。だって、わたしがいないとサリーが寂しがるんだもの」
火蜥蜴は、「サリー」という単語に反応してキリエを見上げ、ちろっ、と長い舌を出した。それを見たギレンは、自分の昼食のパンを食べるのも忘れて、少女に戻ったかのような無邪気さでキリエに尋ねた。
「サリーって、その子の名前? 火蜥蜴ってどのくらい頭いいの?」
「そう、この子の名前です。簡単な単語なら覚えてくれますよ」
「えーっ」
ギレンは口元に手を当てて、息を吐き掛けないように注意しながら火蜥蜴の「サリー」を凝視した。
彼女が驚くのも無理はない。掌に乗る程度の大きさのその生物は、ルーンではまず滅多に見かけることのない、非常に珍しい種類の竜なのだ。水の王国ルーンでは、『火蜥蜴』に関しては極端に情報が少ない。育てるのが難しく、危険で、なかなか人に懐かないはずの火蜥蜴を、この少女は一体どうやって飼い慣らしているのか。
『火蜥蜴』というのは、砂漠に住む竜である。その身体の大きさは実に様々で、とりわけ巨大な火蜥蜴は山のような大きさであるという。本当かどうかはわからないが、大陸の遙か南方、『金竜の骨』と呼ばれる火山地帯にいるらしい。
育てるのが難しいのには、こんな理由がある。火蜥蜴は水に濡れると力を失い、もしも水の中に落ちようものなら、すぐに溺れて死んでしまうのだ。彼らは輝甲竜と同じく、「火の竜」の子孫であると言われている。そして、火蜥蜴の扱い方を知っているのは、唯一『砂の民』だけと聞いたことがある。
「もしかして……キリエちゃん、あなた……」
ギレンが恐る恐る尋ねると、彼女は照れくさそうに笑った。
「わかります? そう、わたしの母は『砂の民』の一族だったんですよ」




