第六章 誘惑(5)
「邪眼というのは、奇妙な邪法でして……」
ソリス・メリルとよく似た老人が、拡大鏡をつかって古い書物の字を読んでいた。メリル枢機卿の弟、マルス・メリル王立図書館長である。ディーンとカイトは、王の許可をもらって王立図書館に来ていた。マルスは、兄のソリスと同じくシド・ヴァーンの熱心な信奉者のひとりであり、彼らの来訪を歓迎してみずから案内してくれているのだ。
図書館は、ディーンにとっては宝の山である。彼は「手にとって読んでもよい」と許可された本を、片っ端からものすごい速さで読み続けながら、メリル館長と話をしていた。彼が予知夢で見た内容にあたるような、魅惑する邪法について知るためである。館長と双子の横には、軽武装の竜騎士二人――グウェイとギレン――が立っている。図書館内には、いつもの重装備では入れない。
「兄の話から察するに、魔道士アゼルが使用した邪法は、これとは違うものだと思われます」
「なぜ?」
「邪眼は、男性から男性には効かないのです」
「性別の条件があるんだね」
「そう、術者が男性であれば対象は女性、術者が女性であれば対象は男性」
「なるほど。他には?」
ディーンとマルス館長は、よく磨かれた木製の机に向かい合って座り、おたがいの読んでいる本から少しも目を離さずに会話を交わしている。傍から見るとそれはとても可笑しな光景で、絶えず頁をめくり続ける幼いディーンと、壊れそうな古い本を慎重に慎重にめくる老人のマルスは、なんともいえない奇妙な対比をみせていた。
彼らは、一般立入禁止書庫の中二階にある書棚の横で、魔道鏡の明かりに照らされながら熱心に本を読み漁っていた。机の上には、書棚から出した古い書物が何冊も積まれている。それらすべて、ここにしかない貴重な本ばかりである。
「アゼルが使った邪法が『蠱惑の魔法』であろうという予想は、わたしが立てて兄に教えたものですが、それは常に彼が王のそばにいたからです。『蠱惑の魔法』は、術者が離れていると効果がなくなるのです。そのため、今度の条件で考えると『邪眼』のほうがしっくりきます。王妃のそばに男が毎日居座るなんてことは不可能ですからな」
兄のソリスもけっこう早口だが、弟のマルスはその二倍くらいの早口で話す。もちろん悪意がある訳ではなく、彼は頭の回転がはやいので、思考に追いつこうとして早口になるだけなのだ。しかしグウェイとギレンには、彼の話はさっぱり理解できなかった。普通に話しているのを聞き取るだけでも一苦労であろう。
心が読めるディーンには、喋り方などまったく問題にならない。ただし、マルスが答えを思い浮かべるために、言い終わるタイミングを見計らって、次の質問をしなければならない。
「他の邪法で、何かそれらしいものはないの?」
「探していますが、今のところ心当たりはありません。あるとすれば、あとは媚薬ぐらいでしょうな」
「わかった、ありがとう」
ディーンは読み終わった分厚い本を閉じた。そして革張りのソファから元気に跳ね上がり、軽く二ティクレルはありそうなその本を、片手でひょいと棚に戻した。まるで、ごく軽い風船を扱うかのような手つきだ。八歳の子どもにしては異様な怪力である。
思わず、ギレンはグウェイの横顔を見た。グウェイの視線は何も語らず、ただディーンの動向を見守っている。幸い、メリル館長はディーンのほうを見ていない。彼のことは、ただ単に賢い天才児だと思っているようだ。兄のソリスはディーンに会ってすぐ天竜であると見抜いたのだが、なぜか弟のマルスはちっとも気づかない。ギレンは小さく息を吐いて、カイトのほうを見た。
カイトは、どこを見ているのかわからない紅い眼で、始終ぼんやりしていた。最近ギレンにも少しずつわかってきたのだが、こういう時のカイトは、輝甲竜たちと心で会話をしているのである。




