第六章 誘惑(4)
彼女には魔法がなかなか効かない。王妃セラスは、もとから魔法に対しての体質的な耐性を持っており、それは彼女の血統に由来する。実は、彼女は「風の民」という妖精一族の末裔なのである。
リィル・シェルメル家は、古くはルーン王家とも繋がる由緒正しい家柄である。ただ、彼女の祖母にあたるリリアという女性は、妖精の血をひく人間だった。銀髪と薄紫の瞳をもつ類稀な美女で、セラスは彼女によく似ていると幼い頃から言われ続けた。虹彩の色を除けば、ほとんど瓜二つであると。「ルーンの妖精」という渾名は容姿からつけられたとはいえ、決して的外れではない。
セラスの祖母リリアは、歳をとってもほとんど皺がなかった。それを多くの人に羨ましがられ、不思議がられていた。幼い頃、セラスは祖母にたくさんの不思議な歌を教えてもらった。その歌は普通の人には意味のわからない言葉でできていて、祖母とセラスにしか歌えない。
二人が声を合わせて「眠りの歌」を歌うと、人も動物もみな眠たくなって、すぐ眠りに落ちてしまう。だからその歌は、午睡の時間と、夜しか歌えなかった。ほかにもいろんな魔法の歌がある。多くの人々がまったく知らない、秘密の魔法。それは妖精の子孫だけが、人間の侵略を受けて虐げられた長い年月のあいだも、親から子へ細々と伝え、ひそかに受け継いできたもの。
セラスは、自分が本当に妖精の血をひいていることを知っている。そしてそれは、自分の子供にも受け継がれるであろうことを。自分が子どもを産めば、その子はルーンの王位継承者である。妖精の血をひいた子どもは、男女ともども特殊な才能を持つという。しかし、彼女は子どもを産みたくなかった。特に、あのシルヴェウスの子どもだけは。
彼女は、このまま王を拒絶していれば、いずれ自分に興味を失って新しい王妃を迎えるだろうと考えていた。そうしたら、自分は王妃であることから解放される。もはやシドは妻を娶ってしまったが、王族に限っては重婚が許されている。それだけが、彼女にとって唯一の希望だった。
けれども、そのときセラスは気づかなかった。男が邪眼を使っているということに。彼女は、邪眼について何も知らなかったのである。知っていれば対処の仕方もあったろう。だが、気づかぬまま彼女は罠に落ちていった。初めのうちは妖精の血と警戒心に守られていたのだが、だんだん、魔術にかかって男に惹かれ始めたのであった。彼が毎日セラスと目が合うのを待っていたのは、まさにこのためだったのだ。




