第六章 誘惑(2)
その木箱には、白い手巾が入っていた。しばし目を細めて、シドはその古びた布を眺めていた。それから、素早く手紙箱を机の上に出し、ペンに墨をつけて短い手紙をしたためた。双子はその動作を、黙りこくったままで見守っていた。梢に並んだ二羽の小鳥のように。
墨が乾くのを待って、シドはその手紙を丁寧に小さく折り畳んだ。そしてそれを白い手巾の上に置き、蓋をぴったり閉じると、再び鍵をかけた。
双子は同時に立ち上がった。ディーンはその鍵を、カイトは箱を受け取った。
「頼む」
彼らに説明は要らない。二人はこくんと頷いた。シドは二人の頭に手を置いて、かわるがわる顔を眺め、最後にそっと抱き寄せた。
「王妃を……セラスを、救ってくれ。お前たち二人だけが、唯一の頼りなのだ」
***
まっすぐな白銀の髪を滝のように垂らして、セラスは窓辺に置いた椅子に腰掛けた。彼女は、いつものように桟にもたれかかりながら、魔法のような光を注ぐ蒼白い月を眺めた。痩せ始めた月は、物憂げにルベイの街を見下ろしている。静か過ぎる夜。
彼女はもうずっと、こうして独り月を眺めるのが習慣になっていた。子を産むに適した年齢がじき終わろうとしているのに、未だに王とは体の繋がりを持たない。彼女はその行為を激しく忌み嫌い、夜は誰も寝室に入らせなかった。
はじめのうちシルヴェウスは彼女の仕打ちに呆れ、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。しかし、彼女がどうしても態度を変えないので、そのうち諦めて別の女のもとへ通うようになった。
そしてセラスは、「美しきルーンの妖精」と称される、飾りだけの王妃になった。それから十七年――彼女の容色は、衰えを知らない。けれども、ほとんど誰とも口をきかず、いつもまったく笑わない彼女は、宮中の誰にも好かれなかった。召使たちも皆よそよそしい。
(ここは、宮殿じゃない。鳥籠だわ)
長い間に、セラスは自身を憐れむのが癖になっていた。毎晩彼女の溜め息を聞くのは、天に浮かぶ「天竜の左目」、すなわち月の役目なのだ。
ふと、彼女は妙な気配を感じて、下のほうに視線を動かした。植え込みが揺れている。誰かが、この真下にいる。暗くてよく視えないが、人がいるのは間違いない。セラスは窓を開けた。
窓をあけると、冷気が吹き込んできた。上半身を乗り出したセラスは、雪が消えて湿った内庭の木陰に、一人の若い男が立っているのをみつけた。
目があった。
どきん、と胸が鳴った。
セラスは急いで窓から身を離し、壁の後ろに身を隠した。
(あの男、わたしを見ていた)
胸がカッと熱くなった。激しい屈辱。
(王妃の部屋を覗くとは、なんという無礼な)
セラスは怒りに震えながら、すばやく窓を閉め、カーテンを強く引いた。そして、その隙間からそっと男のほうを窺った。
男が微笑を浮かべながら、ゆっくりと歩み去ってゆくのが見えた。セラスは心底ほっとすると同時に、胸に奇妙な高揚感が湧くのを感じ取った。それは恐怖に似たものであるのに、なぜか――どこか、歓喜にも少し似ていた。




