第五章 ルーンの妖精(4)
シドは成長した彼女の顔を見たい気持ちと裏腹に、そう願わざるを得なかった。王子シルヴェウスは面食いなのだ。もしも彼女を見てしまったら「自分の妃にする」と言いかねない。
「おまえの嫁、なんという名だったか?」
シルヴェウスはシドの脇腹を小突いて、促した。大声で彼女の名を呼ぼうと思っているらしい。シドはかぶりを振った。
「ふん」
このやや傲岸なところのある王子は、けして執念深くはなかった。気分屋で怒りっぽいところはあるが、正直であっさりした気質は彼の長所でもある。ただ、あまり物事を深く考える性質ではないし、人に気を使うということもない。
彼はそのまま腕を組んで、歌劇の開始を待ちながら居眠りしてしまった。シドは、心底ほっとした。結局、劇が終わるまでセラスは一度も振り向かなかった。
ところが、事態はもっと悲惨なことになった。このときシドが感じた悪い予感は、その日のうちにぴたり的中してしまったのだ。
シドもシルヴェウスも聞かされていなかったのだが、この観劇会が終わったあとの晩餐は、王子の婚約者たちの家族――すなわち将来の姻族となる者たちを招いての食事会だった。それを知ったときシルヴェウスは喜んだが、シドはひどく面食らい、居ても立ってもいられないほど憔悴した。ふだんと違う彼の様子は、すぐに周囲の者の知るところとなった。
「どうしたのだ」
父王に声をかけられても、シドは顔を赤くするばかりで、まごついてうまく話すことができなかった。彼はこの手の話題について、あまりにも繊細過ぎたのだ。
「なんという情けない有様。しっかりなさいまし」
シグルドの第三王妃ソフィアは、そわそわするばかりの彼を、厳しい声音で叱責した。実母でないからといって彼女に悪意がある訳ではなく、これは優しさの裏返しである。
ソフィアとシルヴェウスは、顔立ちも性格もよく似ている。いずれも、細かいことに拘らない鷹揚さと、ある種の鈍感さと、気風のよさを持ち合わせていた。
もしかしたら、大国の政治をとりまとめてゆくのに、シドのそうした繊細さは邪魔になり、シルヴェウスのようなおおらかな感覚のほうが役に立つのかもしれない。しかしそれは、あくまでも有能な官吏の尽力があってのことである。
晩餐会場へ先に現れたのは、シルヴェウス側の姻族となる予定の、ヴェルレウス家であった。薔薇に似た大きな赤い花を挿し、真紅のドレスを身に纏ったマイア姫が、両親に連れられて彼らの前へ挨拶にきた。
「本日はお招きにあずかりまして、光栄至極に存じます」
舌を噛みそうなほどに尊敬表現を加えた言葉だが、姫の声は棒読みだった。彼女も緊張しているらしい。シルヴェウスが鼻で笑うと同時に、シドはふっと微笑んだ。マイア姫のおかげで、シドの張り詰めた神経が少し緩んだのだった。マイア姫は、ふっくらとした桃のような頬をピンク色に染めて、不器用に笑い返した。柔らかそうな金の筒巻き髪が、肩の上で揺れた。
その直後、リィル・シェルメル家の親娘三人が揃って姿をあらわした。その中心には、青い細身のドレスをしなやかに着こなしたセラスがいた。シドは目を瞠った。もちろん、シドだけではなく――そこにいた誰もが、うら若き美姫セラスのまばゆい姿に、一様に目を奪われた。




