第四章 緋鬼ル・グウェイ(9)
メリルはみずからの失態に気づいたようだった。なぜか彼の目には、さっきまでカイトの姿が映っていなかったのだ。彼は椅子を立ち上がりかけたが、思いなおして腰を下ろし、髭をいじり始めた。考えるときの癖である。そして、ふと手を止めてディーンに尋ねた。
「すると……人と竜とは違うもの……と、仰るのですか?」
「はい。人は人の王を迎えるべきです。もしかしたら、それはぼくら二人のどちらかになるかもしれないけれど。メリルさん、人間にはもう『予知の力』を持つ人はいないのですか?」
「残念ながら、ルーンにはおりません」
メリルはやや悲しげに眉を顰めて、眼鏡をかけなおした。
「おそらく、ティク、ファラン、ミディア、どの国を探しても一人もおりますまい。しかし、北の賢者がおられます」
「彼は健在?」
「わかりません。彼が姿を現すのは、大災害の前と決まっておりましてな。姿を見ないほうがむしろ安心という面もあります」
ディーンは笑ったが、他には誰もメリルの冗談を理解しなかった。目前で交わされている二人の会話は、穏やかにゆったりと進んでいるものの、無駄口を挟めない何かがある。彼らはみな神経を尖らせて、ディーンの一挙一動を見守っていた。
「わかりました。実を言えば、ぼくとカイトには予知の力があります。でも、今はまだ……あんまり、うまく使えないんです」
メリルは当然のことのように頷いた。しかしシェルメルとギレンは驚き、ぎょっとした顔でディーンを見た。グウェイは少しも変わらない。彼は話の内容よりも、むしろ外の物音に神経を尖らせている。アゼルを排したとはいえ、敵の正体はまだ少しもわからないのだ。
「ぼくらは、眠っているあいだのほうが『予知の力』をうまく使えます。夢で未来をとらえる感じ。でも、起きると内容はほとんど忘れちゃうんです。それでも、このごろようやく、断片的になら憶えていられるようになりました。最近の『予知』の一部をみせます」
ディーンは片手を高く掲げ、炎の輪を空中に出現させた。それから小さく呟いた。
「あっ、しまった。呪文言うの忘れた」
「呪文なしで使えるの?」
驚いて、ギレンは思わず彼に尋ねた。ディーンはぺろッと小さな舌を出して、悪戯っぽく微笑んだ。
「ごめん。父上から『呪文なしで使うな』って言われてたから、人前ではいつもフリで呪文唱えるんだ。ギルを騙そうと思った訳じゃないよ」
ギレンは慌てて首を振った。ディーンは笑いながら、「見て」と目配せで炎の輪を示した。
炎の輪の中には、黒い靄のようなものが映っていた。その中に、夜の景色があらわれた。どうやら首都ルベイの街並のようだ。人目を気にしながらその中を歩く、ひとりの女性の姿がある。暗い色のケープに身を包み、顔を半分ヴェールで隠しているのだが、それは――
「王妃」
思わずシェルメルが声に出した。そう、それは「ルーンの妖精」と綽名されている、現国王の王妃セラスであった。
彼女はそのまま、裏路地に入っていった。そして、そこで待っていた男と落ち合った。いやな目つきの男だが、美形ではある。男を見ると、セラスは嬉しそうな顔をした。二人は抱き合い、唇を重ねた。
「やめろ!」
テーブルを叩き、シェルメルが叫んだ。
すぐにディーンは炎を消した。




