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イベントが気になる

来年のクリスマスには

作者: 真中けい


 そんな女もう別れろよ。


 遥樹は喉まで出かかった台詞を、いつものように飲み込んだ。

「へー。大変っすね」

 代わりに当たり障りない、感想とも言えない相槌を打っておく。

「や、別に大変……大変かも。大変だ。どうしよう」

「意味分かんねっす」



 萩野(はぎの)遥樹(はるき)の職場の上司、田中(たなか)恭一郎(きょういちろう)には付き合いの長い彼女がいるらしい。

 上司、という言葉を使うと中高年を想像させてしまうかもしれないが、恭一郎は大卒三年目、二十五歳の若者である。遥樹とはふたつ違うだけだ。

 春に就職し、配属されたファミレスの店長が恭一郎だった。

 入社数年はこうして店舗に配属されるのが慣習と承知で就職した会社だ。

 だからクリスマスなんて浮かれたい日にも関係なく、というかむしろそんな日にこそ出勤しなければならないことは分かっていた。

 心を無にして働こうとしているところ、いつものように恭一郎が愚痴ってくる。


 可愛い? と思ったことはあんまないかな。

 付き合うキッカケ……てなんだったっけ。えっと、たしか大学……いや高校のときに? なんかなんとなく?


 成り行きで付き合っている風になって、惰性で一緒にいるということらしい。


 結婚? まだ早いだろ。向こうもそんな気ないみたいだし。

 一人暮らしだよ。ふたりとも。同棲の予定もないかな。

 ご飯? ないない。作ってくれたことなんかない。

 その代わり、しょっちゅう文句が飛んでくる。靴下脱ぎっぱなしにするな、ゴミはゴミ箱、飲み過ぎるな、寝るなら布団に入れ。おまえは俺の母親かっての。かーちゃんなら飯作ってくれよってな。


 お互い地元を離れての一人暮らし。

 そんな環境なら、男はつい夢見てしまうだろう、世話を焼いてくれる彼女タイプではないとのこと。

 まあ、それは仕方なくね? そんな時代じゃねえしな、とは思いつつも、口には出さない。

 俺のカノジョ、と呼べる存在があるだけいーじゃん、というのが遥樹の最初の頃の感想だった。

 恋人的な女性がいない彼はそんな夢を見ることも許されず、毎日暗いワンルームに帰り自分のことは自分でやらねばならないのだ。

 ひと昔前の若い男は、交際相手だか奥さんだかに身の廻りの世話をすることを当たり前のように期待できたらしい。

 このご時世、そんな願望を口にすれば袋叩きに遭うだけだ。

 今の若者は粛々と働き、自分の頭と体を使って生活環境を整えなければならない。それが当たり前とは思う。

 同じように働いているのに女にだけ家事やれ、はオカシイだろ。には遥樹も同意見だ。

 だがそうすると、昔の若い男のように、恋人探しに躍起になるほどの気力が湧かない。

 遥樹もイマドキのワカモノのご多分に漏れず、彼女持ちのステータスを得るために、それほど力を注げない。

 それでもやっぱり、世間が浮かれる季節には羨ましく思う気持ちになることもある。


 ということはつまり、やっぱり自分も本音のところでは彼女欲しい、と思っているのだろう。との自己分析は済んでいる。

「クリスマスイブも夜遅くまで仕事で、彼女さん文句言わないんすか」

「問題ない。向こうも休日出勤」

 せっかくの日曜日に。サービス業でもないのに大変だ。

「彼女さん、建築系でしたっけ」

「そ。毎日作業着で現場行ってる。今日は現場休みだから、事務仕事片付けるって言ってたけど」

 この極寒の中で外仕事か。

 恭一郎の彼女は、逞しいひとらしい。俺より男らしいぜ、というのが彼の言葉だ。

 家事はしてくれない、口うるさいだけ、口では勝てない、最近では力でも負ける気がしてる。収入は最初っから負けてるし。上から物言われても何も言い返せねえ。

 遠い目をしながら恭一郎はぼやくが、彼もそれなりに仕事のできるひとだ。遥樹はいつもフォローしてもらっている。

 パート主婦やアルバイトの学生それぞれの事情や能力を勘案してシフトを組むのが上手く、不満が上がることは滅多にない。面倒臭い客にもすぐ対応してくれる。普段はいいよいいよ〜が口癖の適当店長と見せかけて、忙しいときには的確に全体を仕切ってくれる。

 休むほどじゃないけど咳が長引いてて、と言う部下にはのど飴を差し出してくれるというイケメン振りまで見せてくれる。

 控え目に言っても理想の上司だ。

 外見だって、ものすごいイケメンというわけではないが、悪くない。中肉中背、飲食店店長らしく清潔感がある。

 恭一郎の彼女がどれだけすごい人物なのかは知らないが、こんないい男を雑に扱う女となんか別れちまえよ、と正直思う。



 ごめん、イブも仕事で遅くなる。

 恋人なら一緒に過ごすべき夜だ。世間の声を蔑ろにせず、恭一郎は悪いことをしてもいないのに恋人に謝った。

 彼女の返事はこんな感じだったらしい。

 ふうん。

 えっそれだけ?

 と彼氏に言われた彼女、

 いや、別に約束もしてなかったし。謝られても。クリスマスなんて大昔の神様みたいな人の誕生日でしょ。それも確かじゃないらしいし。

 と涼しい顔をしていたとか。その上、

 あっ電話。ちょっと話してくるから待ってて。

 と男の声が洩れ聞こえるスマホを手に席を外された。らしい。



 イブの予定を話している最中に別の男からの電話を平気で取る女ってどうなんだ。

「大変……なのか、俺?」

「さあ。でも大学の友達は、彼女はクリスマスとかのイベント事に興味ないと思ってたら浮気されてた、むしろそっちを本命にするつもりで動いてたって」

「ええええ」

 テキパキと料理を運ぶ合間の会話に、器用に嫌な顔を作る恭一郎。彼は一瞬でにこやかな表情に戻り、ホールに出て行った。


「別れたくないんすか」

「当たり前だろ」

 そうなのか。温厚な恭一郎が彼女に関しては愚痴ばかりだから、時間の問題と思っていた。

「でもこんな、おおっぴらにイチャつくことを世間が許す日に一緒に過ごさなくても平気なんすよね」

 この店舗では恭一郎の他にふたりしかいない正社員のうちのひとりである遥樹は、テーブル番号と注文内容とを確認しながら料理を手に持った。

 配膳ロボットは優秀だが、すべてを任せるには至っていない。まだまだ人間の手で運ぶことも多いのだ。

 しれっと指摘の言葉だけ残してホールに向かう部下を、えええ、との小声が追いかけてくる。

「その件については少し検証してみよう」

 今更ながら動揺したらしい恭一郎が、似合わない堅い台詞を投げつけてきた。



「クリスマスイブ、会わなくても平気って言われた」

 あっ、それ三番テーブルです。はーい。

「言われた……けど仕事だし。いらっしゃいませー! 元からそういう奴だし」

「別の男からしょっちゅう電話かかってくる。ありがとうございました!」

「男っ……だけど仕事関係だし」

 七番テーブル行きまーす。

「彼女さん、店長より収入あるんすよね。つまり職場に高収入の男がたくさんいる」

「おまっ、イタイとこ突いてくるな!」

 店長、そこ邪魔です!

「うわごめん! 仕事しろ萩野!」

「えっ俺? パワハラっすか? ドリンクバー補充行ってきまーす」


 夕方の店舗は戦場だ。

 大人カップルはもっと小洒落た店に行くのかもしれないが、ファミリーレストランにもちゃんと需要はある。

 最近ではテイクアウトの売上げも伸びているし、空席があっても暇とは限らない。

 閉店時間が近づくと客足も減ってきて、パートの女性陣も帰り支度を始める。

 店長、また萩野くんに彼女の話聞かせてるの? 新入社員がウンザリして辞めちゃったら困るんじゃない?

 萩野くん、適当にハイハイ言ってたらこのひと勝手に満足するから。

 恭一郎よりも勤務歴の長い主婦たちが口々に言いながら帰っていく。

「お疲れさまでした〜。メリークリスマス!」

「口うるさくて、一緒にいて楽なわけでもない、マウント取ってくる彼女さん、なんですよね」

「誰がそんなことを」

「店長っす。結婚も考えてない、同棲する予定もないって」

 恭一郎が眉根を寄せて考える顔になった。

「……確かに言った気がする」

「言ってますよ、いつも」

 ひと息つける時間帯だ。

 恭一郎は厨房に声をかけ、遥樹を促して事務室に退がった。

 パソコンに向かって本社からの連絡事項に目を通す上司を横目に、遥樹も明日の予定を書いたボードを確認する。

「……萩野くん」

「はい?」

「歳が近いからって、君には余計なことを喋りすぎてたことに今気づいた」

「今更っすね」

 俺はアンタの友達か、とツッコミたくなるようなダラダラ話に、配属当初から付き合い続けてきた。

「だって萩野喋りやすいんだもん」

 だもんじゃねえ。上司らしい喋り方をしろ。

「こーえーっす」

「ほら、その冷たいカオして口だけ優しいとこ。うちの彼女と真逆で、逆にイイ」

 知らねえよ。

「…………俺も今気づきました」

「何?」

「今まで店長に彼女さんの愚痴聞かされてると思ってたけど、愚痴じゃなくてノロケだったんすね」


 冷たい顔と表面上の優しさの逆、とはつまり。

 恭一郎の彼女は口では厳しいことを言うが、態度で愛情表現をしてくる、ということではないか!

 なんだよその完璧彼女! 顔が可愛くないくらい、なんだというのだ。鏡を見てから文句を言え。

 自分で稼ぐ、自立してる、仕事に理解を示す、束縛しない、その上ツンデレ。

 黙って話聞いてて損した!

「えええ?」

「とぼけんな。仕事中に新入社員相手に何ダベってんすか」

「えー。だって俺らサービス業じゃん? 友達と休み合わないから、萩野くんとしかこんな話できないから」

「彼女さんに直接言えばいいじゃないすか。全部。そのまま」

 そして末永く爆発しやがれ。

「そうそう。今度一緒に飲みに行こうぜ。いっつも萩野くんの話してるから、一回会ってみたいかもって言ってたわ。萩野くん咳拗らせてて〜って話してたら、その場でのど飴買うし」

 あののど飴、彼女さんからだったのか。

 店長優しい! って感動した時間を取り消したい。

 ごめんなさいごめんなさい。まだ見ぬスーパー彼女様。そんな女、とか思ってごめんなさい。



「今日の締めは俺やりますから。店長は今から走って彼女さんち行ってください」

「えっ優しい萩野くん」

「うるせえ走れ」

「でも大丈夫。さっき連絡来てたから。今日の休日出勤無茶振りが過ぎたから、明日午前休になったって。今こっちに向かっ」

「走れ。夜道をひとりで歩かせるなよ」

「何それかっこいい。萩野くん、なんで彼女いないの?」

「……うっざ」


 言い訳になるが、遥樹が職場の上司にこんな口を利いたのは初めてだ。

 恭一郎は社会人一年生の暴言を咎めることなく、上着を手に取って笑った。

「恩に着る。今度仕事上がりに飲みに行こうぜ。センパイが奢っちゃる」

「期待してまーす」


 恩に着せるほどのことではない。

 恭一郎は締め作業がほとんど終わってから帰宅の途についた。

 遥樹が残ってやることは、最終チェックと施錠だけだ。せいぜい十分かそこら早く退勤できたくらいで感謝されても、だ。


 さてと。

「帰るか」

 ひとりでの締め作業はまだ三回目だ。慎重にチェック項目を埋めていき、指差し確認してから店を出る。

 駅に向かう道にはまだ人が歩いているが、遥樹は反対方向に足を向けた。

 今夜は駅前の派手なイルミネーションを見たくない気分だ。歩いても三十分程度の帰路である。個人宅に飾ってある電飾を眺めながら帰ればいい。

 夕食は店で摂った。コンビニでビールと売れ残りのケーキでも買って帰ろうかな。


「……あ」

 ふらふら歩く遥樹の視界に、ひと組のカップルが映る。

 すぐに視線を逸らそうとするが、その前に目が合ってしまった。

 恭一郎だ。

「おう。お疲れ」

 彼の家は店を挟んで遥樹とは反対方向だったはずだ。

 つまり彼女がこっちの方向から歩いてきていたということなのだろう。

 無事合流できたのだ。

 先に上司を帰してよかった。この通りのもう少し先は、街灯も人通りも少ないのだ。

 こんな女性がひとりで歩いていい道じゃない。

(くそっ。何が男勝りな彼女だよ)

 恭一郎の彼女は、遥樹の想像とは真逆の女性に見えた。

 可愛い、は確かに違うかもしれない。

 綺麗だ。

 襟足をすっきりと短くしたショートカットがよく似合っている。一重瞼の目元が涼しげで、男社会の業界で働いているためか、化粧っ気が薄い。なのに匂い立つ色気。

 厚着だけれど、逞しいなんて言葉は似合わない体型なのが分かる。

「……お疲れさまです」

「カレが萩野くん」

「ああ! お疲れさまです。いつもお話伺ってます」

 彼氏がお世話になってます、じゃなかった。

 どうしよう。すげえいい。なんで身内ヅラだよ、と思う必要ないんだ。

「こちらこそ、よくお話伺ってます」

「……ん?」

「萩野バラすな」

「悪口ばっか。ただのノロケだって今日やっと気づきました」

「んん?」

「クリスマスとか正月とかの、イベントについてどう思われますか」

 え? と彼女は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに魅力的な笑顔になった。

「イベントはスルーしても問題ないけど、楽しんだもの勝ちだと思ってます」

 彼氏のクリスマスイブの仕事にキレなかった理由が判明した。彼女が人格者だからだった。

「素晴らしい。参考にさせていただきます」

「なんの?」

 怪訝な顔の幸せ者を放置して、遥樹はふたりから一歩離れて片手を上げた。

「お疲れさまでーす。メリークリスマース」

「はい。メリークリスマス」

 もうこのメリークリスマスだけで今年のクリスマスは乗り切れる。乗り切ろう。乗り切るのだ。



 そして来年には、聖なる夜がやってくる前に願うことにしよう。

 サンタさん、いい子の俺に素敵彼女のプレゼントください!

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[良い点] とても楽しく読ませていただきました。 みんな優しい人ばかりでこの季節無茶苦茶寒いですけど、心の底から温まった気がしました。 有難うございました。  メリークリスマス☆☆
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