第一話 捨てる侯爵令嬢、拾われるは嫌い。
「そなたには、この婚姻関係を継続する上で3つ、重大な過失を犯している事実がある。不貞行為、横領、そして性の不一致だ」
この国の第三王子で私の夫でもある、ソレナ・ユルシーナ王子が突然言い放ったこの言葉の意味を、私、アラエール・ミステールは理解できませんでした。
「貴方はなにをおっしゃって……」
「口答えをするんじゃない!この下賤な魔女が!」
ひどい言われ様ですわね。事実無根。でっち上げもいいところですのに、なぜこんなにも彼は自信に満ち溢れているのでしょうか。頭湧いて……失礼。
「そなたは私を愚弄し、由緒あるユルシーナの家柄に傷をつけた。この罪は、罰をもって償わなくてはならない」
冤罪もいいところ。特に性の不一致の部分は開いた口が塞がりませんわ。あのような鬼畜な性行為を続ける奇特な令嬢が一体どこにいるというのでしょうか。しかもお話にならないほどの絶頂の早さ。一致する要素など塵ほどもございませんわ。
「すでに王には報告済だ。2日後、そなたは魔女裁判にかけられる。せいぜい生の尊さを知り、自身の犯した大罪の重さを悔やみ、枕を濡らす短い日々を送るがいい。ああ、ここにはもう戻れぬぞ」
理不尽以外のなにものでもないですわね。でも、わたくしに反論の余地がないことは知っています。それが王家に生まれた者と伯爵一族に生まれた者の定めの違い。そんな時代に生まれた自身の運命を、呪うしかないのかしらね。
「それと」
まだ続けるのでしょうか?このお話はもう終わり。わたくしに残された時間は残りあとわずかなのでしょう?
「逃げようなどと、思わないことだ。一族の血を、絶やしたくないのであればな」
ああ、ソレナ。
とっても血肉沸き踊る素敵な台詞を、どうもありがとう。
***
―翌日 ユルシーナ城下町 裏路地―
「おい!だれか見てるぞ!」
ユルシーナ城下町の裏路地で、汚らわしいごろつき2人が、ある程度の身分であろう格好をした金髪で細身の色男を足蹴にする姿を目撃してしまいました。
「あれは、ソレナ第三王子の……」
ごろつきの片割れが、わたくしの素性に気付いたようで。ちょっと冷や汗なんか搔いていらっしゃいますわね。
なら、これからどう行動すべきか、おわかりになりますわよね?
「おい、逃げるぞ」
賢明なご判断ですわ。わたくしになにかあれば、打ち首拷問、市中引き回し確定ですもんね。まぁ、明日には私も同罪で引きずり回されているかもしれませんが。うふふ。
「す、すまない。助かった。礼を言う……えっと」
「アラエール・ミステール。この国の第三王子、ソレナ・ユルシーナ王子の妃ですわ」
素性を隠す意味も最早ないので、正々堂々と名乗ってやりましたわ。
結構、気持ちがいいものなのね。嘘をつかないというのも。
「貴方は?どこかの国の貴族様?」
身なりから、貴族以上の階級だということは判断できますわ。
どの程度の格の方かは、わかりかねますが……
っていうのは嘘。実は知っています。
「アメリ……バン・ザーイ。真聖スキスギール帝国の伯爵令息だ」
はあ。なるほど。聞いたことありませんわね。バン・ザーイ家??
ちなみに真聖スキスギール帝国は世界の七割を実効支配する超大国。わたくしの住む貧乏弱小国ユルシーナとは比較にもなりませんわ。
「何故、大国の伯爵令息様がこのようなところに?」
「はは。情けない話だが、ユルシーナ王との会談が思いのほか早く終わったので、城下町を散策して帰国しようと思っていたのだが。まさか、こんなことになるとはね」
くしゃっと笑う笑顔が、とっても可愛らしいですわね。なんかこう、小動物のようで、母性本能をくすぐられる感じ。
……拾いたい。
「貴女は?ユルシーナ第三王子の妃がなぜこのようなところに?」
「いらないものを、捨てに来たのです」
そう言って、わたくしは懐からパンパンに中身の詰まったズッシリ重みのある袋を取り出し、その口を開き、中身をアメリに見せた。
「え?捨てるのか?そのような高価な代物を……」
「ええ。もう必要ありませんので。よかったら、差し上げます」
わたくしは、これまでソレナからもらった金・銀・財宝をすべて廃棄するために、この場所を訪れていたのです。
「いやいや。何故捨てるのだ?宝石商で買い取ってもらえば……」
「わたくしにはお金ももう必要ないので。全部、捨てることにしたのです」
「何故だ?」
「明日、断罪されるから」
「ええ??冗談だろう?」
アメリ様が困惑している。それもそうね。
助けてもらった妃が明日裁かれるなどといった突拍子もない話。信じるほうがどうかしていると思いますわ。
「何日か過ぎた後、再びこの地を訪れてくださいまし。わたくしの申し上げたことが真実かどうか、おわかりになると思いますよ」
悲しみの微笑みを見せたつもりでしたが、この方はなにか感じ取っていただけたでしょうか?
「……冗談では、ないようだな。罪状は?」
「不貞行為、横領、性の不一致」
「心当たりは?」
「まったく」
ああ。本当に、とても可愛らしい。見つめられると、胸がキュンってなりますわ。
でも。わたくしの魅力も、そこらの令嬢どもには負けませんことよ。
「無実、だと?」
「ええ。でも、仕方ないのです。身分が違いますから」
もう一度ここで哀しみの微笑み。今度は少し、目の端を潤ませてみたり。
さあ、どうです?
「……」
無言で考え込んでらっしゃるアメリ様のそのお姿に、わたくしは胸の高鳴りが抑えきれなくなっていました。
なんて、簡単なのだろう、と
「アメリ様!」
路地裏に突如姿を現したのは2人の聖騎士。おそらくアメリ様の護衛の騎士でしょう。
「ああ。すまない。1人で行動して」
「衣服が汚れてらっしゃるようですが……なにかありましたか?」
「問題ない。それより……」
アメリ様がこちらに視線を下さる。サファイヤのような碧眼がまぶしい。
「アラエール、君さえよければ……」
「最後の刻を迎える前に、わたくしは一度実家へ戻り、最後の挨拶をすませたいと思います」
アメリの申し出を妨げるように、わたくしは言葉を被せ、先の提案を聞くことをしませんでした。
「この金・銀・財宝はここに置いていきます。好きにお使いください」
そう言って宝石の詰まった袋をその場の地面に落としたわたくしは、まるで何事もなかったかのようにその場をそそくさと立ち去りました。呼び止める声も聞こえましたが、無視します。
もう少し奥で捨てようかとも思いましたが、ここで落としておくのが最良。どうされるかはあの方達の自由です。まぁ、どうされるかは想像できますが。
これでいいのです。充分仕事は果たしました。あとは、運命に身を任せましょう。
拾うのは私。拾われるのは、嫌いなの。
***
「この家の敷居をまたぐな!親不孝者が!」
実家の門先で、わたくしは父のテンコウに追い払われていました。
娘が翌朝断罪されるというのに、この仕打ちは酷いものですわね。まぁ、お母様が亡くなってからの父は完全に我を忘れ、わたくしに対して激しい暴力を振るうようになっていたの。あげくコブ付きの継母を娶り、わたくしを奴隷のようにこき使って、最後は邪魔だからととびきりのコネを使って顔も性格も最悪なこの国の第三王子に嫁がせた小悪党なので、いまさら驚きはしないのですが。最後くらい、昔の父らしさを少し感じたくて会いに来たけれど、徒労だったようですわね。さようなら、お父様。
「ソレナ様からお話は伺っておりますわ。アラエール、この国の王子に対して何たる非礼な行いをしたのですか!?ミステール家の名折れですわ!」
継母のマンジ―が父の隣で発狂している。この女がミステール家に来てからというもの、父のご乱心はさらにその激しさを増したわ。着火剤のような女。ミステールをあなたのような金遣いの荒い浮気女が名乗ること自体苛立たしいのですが、まぁこんな雑魚……失礼、クソ女は無視しましょう。さようなら、マンジ―。
「まぁもともと、ソレナ様はアタシと結婚したがっていたんだし。あんまり気が乗らないけど、ミステール家のために、嫁いであげてもいいわよ」
継母のさらに隣。長い栗毛のロングヘア―をクルクルと弄ぶ目つきが狐のような義妹のアギナの姿もあった。この女について語るのは、わたくしの感情が冷静を保てなくなるので割愛。さようなら、アギナ。
「おお!アギナ!お前が嫁いでくれるのか?さすがは我が娘!」
「だってこの家、王家の援助がないとやっていけないんでしょ~。金ない家とかやだし」
「もう!この家は本当に資産が乏しいわよね!」
「なっ!それはそもそもお前たちの金遣いが……」
もう面倒くさいので、その場は黙って去ることにしました。一応用があったのは父だけだったので。それも無下にされたらここに用はありません。願わくば、どうか一生哀れで惨めな人生をお過ごしください。
「さて、最後の挨拶も終わったことですし」
わたくしはとある場所まで足を延ばすことにしました。断罪の日を明日に控えた今の私に、屋根のある住処はどこにもありません。幸い、今日は快晴で夜も星明りがとても美しかったので、だれも知らない、とある丘の上で一夜を過ごすことにしました。そう、生前母が教えてくれた、秘密の丘。母が死んでからここを訪れたのは始めてだけど、風景や風の匂いは変わっていません。季節は初春。草花も生命の息吹を感じさせる、そんな季節。
「ここの桜はいつも綺麗ね」
小高い丘の頂上まで上ると、1本の大きなしだれ桜が咲き誇っていました。ここが秘密の場所たる所以。父には内緒で、春の季節になると母とよく訪れていた素敵な思い出の場所。もう来ることはないと思っていたけど、運命ってきまぐれ。こんなことがあったから、来ようと思えたのは幸運だったのかもしれません。
「よっと」
桜も夜空も見渡せるところで、わたくしは思い切って横たわり、空を見上げました。
満天の星空と乱れ咲くしだれ柳の共演は、わたくしの脳裏に残る様々な汚泥を洗い流し、穢れを浄化してくれるように感じます。ここに来て、よかった。
「さあ」
誰に聞かせるでもなく、ひとり言。いいえ、世界よ、聞くがいいわ。
「すべての条件は整いました」
何故だか笑いが込みあげてくる。ここまで準備するのも大変だったが、それでも、明日すべてがうまくいくとニヤつきが止まらない。最後のピースは日中に埋められた。最早、わたくしの『捨道』を邪魔するすべての障害は取り払われました。
「楽しみね、断罪」