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圧倒的光属性な騎士様を闇堕ちヤンデレにしてしまったのですが

作者: はるの霙


 ――騎士団で新人きっての有望株と呼び声高い騎士ルクスと私は、出会っておよそ十数年を数える生粋の幼馴染であり、相思相愛の恋人同士でもある。


 成り上がり商家に生まれた私と、代々騎士を多数輩出する家系に生まれたルクス。

 仕事をきっかけに親同士が親交を深めたことから、私達の交流は始まった。


「マリー! ほら、見て見て!」

「ん? なぁに、ルクス?」

「じゃーん! でっかいカエル!! カッコイイでしょ?」

「ひっ!? い、やあああああああああああっっっっ!!!!!」

「えっあ、ご、ごめんっ、マリー泣かないで! 僕なにかダメなことした!?」

「えうっ……ぐすっ……カエルやだぁ……」

「分かった、もう絶対マリーにカエルは近づけないから……うぅ、ごめん。僕のこときらいにならないで……」

「んぅ……ゆ、ゆるす。ルクスのことは、すき……だし」

「ッ!! 僕もマリーのことだいすきだ!!!」


 ……とまぁ、幼少期からこんな感じで私とルクスの距離は大変近かった。


 お日様みたいな金色の髪に濃い紫色の瞳をしたルクス。性格もお日様みたいに明るく溌溂とした彼は、出会った時から私のことをとても大事にしてくれた。

 だから成長するうちにどんどんカッコよくなっていくルクスのことを、恋愛的な意味で好きにならないでいるのはやっぱり難しくて。


 十三歳のある日、私は思い切って騎士学校に入学する直前のルクスに告白をした。


「ルクス、私……ルクスのことが、す、すす、好きなの!!」

「ほ、本当に……!? ぼ、僕もマリーのことが好きだ! 他の誰よりもマリーが大事だから!」

「じゃ、じゃあ私達って両思いてことだよね? え、えへへ……っ」


 まさか叶うとは思っていなかった初恋に、私が堪らず表情をへにょりと崩せば。真っ赤になったルクスが力いっぱい抱きしめてくれた。背骨が軋むくらいの強さであやうく意識が遠のきかけたけど。


「マリー、マリー! ねぇ僕と恋人になってくれるってことだよね? これで嘘だって言われたら僕めちゃくちゃ泣くからね!?」

「い、言わないよっ! 私は本当に、ルクスのこと大好きだもの!!」

「嬉しい……はぁ、マリー……いい匂い……かわいい、夢みたいだ……マリー好き……全部僕の……」


 甘い言葉と熱い抱擁、それと何故かひたすらに私の首筋をクンクンしてくる犬っぽさすら愛おしい。


「休みの日にはできるだけこっちに帰ってくるからね! 連休には遠出もしよう? あ、もちろんマリーに苦労はさせられないから早めに一人前の騎士として認められるよう努力もするよ!」

「それは嬉しいけど……あんまり無理しちゃダメだからね? いつも元気でいてくれなきゃ嫌なんだから」

「マリーがそう言うなら僕はいつも元気でいるよ! 大丈夫、体力には自信あるし!」


 その言葉通り、騎士学校に入ってからもルクスは忙しい合間を縫って私に会いに来てくれた。ちなみに元気もいっぱいで、疲れはまったく見せなかった。凄い。

 そして会う度にルクスからの直球過ぎる愛情表現を一身に浴び続けた結果、私にはもうルクス以外の男性を好きになれるような精神的余地は残されていなかった。ようは見事に沼らされたわけである。


 十六歳の時に正式な騎士団所属となったルクスは、すぐに街でも評判の青年になった。

 常に明るく爽やかな少年騎士。とても親切で困ったことがあればいの一番に駆け付けてくれる。もちろん、自分では解決出来ないことはきちんと騎士団の上司に相談するなど柔軟性も抜群で、街の巡回中には老若男女問わず彼に声を掛ける人が続出する始末。


 当然ながら配属当初、街の若い女の子たちはルクスに熱い視線を送ったりもした。けど告白してきた子は毎回きっちり断るし、私の存在もまったく隠そうとしなかったから、それも一年くらいで収まってしまった。そういう誠実なところも素敵なのだルクスは。


 ちなみに一度、ルクスが街中で窃盗犯を取り押さえている現場に出くわしたことがある。

 その見事な手際に惚れ惚れしながら野次馬に交じって見守っていたら、私の存在に気づいたルクスが窃盗犯を他の騎士に預けると一目散に駆け寄ってきた。


「マリー! こんなところでどうしたの!? あ、事件に巻き込まれてない? 大丈夫だった? 怪我してない? あと顔が見れて正直めちゃくちゃ嬉しい……」

「う、うん。私は大丈夫。それより騎士として働くルクス初めて見たけど、とってもカッコよかった」

「ホント? もしかして惚れ直した?」

「……さっきまではね。今はいつものルクスだなーって」


 いつの間にか周囲の視線を私たちが独占する事態にまで発展していた。それでもルクスは私に会えたことが嬉しいのか、人目も憚らず蕩けるような笑みを向けてくる。

 だから私もルクスと居る時は自然と笑顔になってしまうのだった。


 かくして恋人同士になってから早五年。

 私達は互いに十八歳となり、特に女である私は結婚を強く意識するような年齢に突入している。ルクスも入団三年目になるし、正直そろそろプロポーズされる頃合いかなと密かに期待してもいた。


 そんな私は貴族ではなく少し裕福な商家の娘である。

 そしてルクスも騎士家系とはいえ長子ではないために継ぐべき爵位を持たない身。

 必然的に平民同士の結婚ということになるし、そもそも両家はそれこそ十数年に亘って懇意にしている仲である。

 だから何の障害もない……筈、だったのに、



「――単刀直入に言うわ。お前、今すぐにルクス様と別れなさい」



 私は初対面の女性から、最愛の人と別れるよう強く迫られていた。

 ここは我が家の応接室である。今から数十分前に突然、この女性は私を訪ねてきた。

 丁寧に手入れをされている艶やかなピンクブロンド。見るからに上質なドレス。来訪時に乗ってきた馬車の紋章は、貴族にさほど明るくない私でも知る名門伯爵家のもの。


 そこから導き出される答えは単純明快。つまりこの女性は伯爵家のご令嬢ということだ。

 彼女は広げた扇子を口もとに当てながら、不快を隠さない眼差しで私を遠慮なく見やる。


「ねぇ、返事もろくに出来ないの? 私も暇ではないのだけれど」

「っ……あの、せめて、理由をお聞かせいただけますでしょうか? 何故、お嬢様は私とルクスを――ッ!?」


 途中で思わず声を引っ込めてしまったのは、眼前の彼女が苛立たし気に扇子をこちらへ投げつけてきたからだ。幸いにも身体に当たることはなく、少し後方のカーペットに落ちた微かな音を耳が拾った。


「ルクス、ですって? 彼はお前ごときが呼び捨てにしていい方ではないのよ。だっていずれは私の旦那様になる方ですもの」


 それから、伯爵令嬢は朗々と語り始めた。


 先月王宮で催された夜会で、酔った不埒者に言い寄られていた彼女を、騎士として警備に当たっていたルクスが助けたこと。

 その際に足を痛めた彼女を救護室まで抱き上げて運んでくれたこと。

 知り合いが到着するまでの間、優しい言葉と笑顔を絶やさずかけ続けてくれたこと。


「しかも彼ったらお父様からも目を掛けられるほど将来有望な騎士なのよ? この出会いが運命でないというのなら、いったい何が運命なのかしらね?」


 彼女の父親である伯爵は騎士団内を統括する上層部の一人なのだという。そして伯爵の話では代々騎士の家系に生まれたルクスは入団当時から頭角を現しており、数年後には騎士爵の叙勲も視野に入れられているとのこと。


「お父様もルクス様ならば婿入りをお許しになると仰っているの。ここまで言えば、流石に察しはつくでしょう?」


 伯爵令嬢の勝ち誇ったような笑みを見ながら、私はグッと奥歯を噛みしめた。

 感情のままに言葉を発せられたのなら、私は間違いなく「ふざけないで!」と叫んでいただろう。

 けれど貴族を前にした平民が取るべき理性がそれを許してはくれない。


 もしこれが自分だけの問題で済むのであれば、きっと私は徹底的に抵抗していた。

 だが彼女がわざわざ我が家を訪れたということは、それなりに調べてきたということだ。


 国内でも十指に入る我が商会は貴族との繋がりを何よりも重視している。

 そんな中で国内有数の名門伯爵家を相手に事を構えられるほど我が家は大きくない。分かっている。私の恋愛沙汰に商会まで巻き込むことは商家の娘として決して許されることではない。


 それでも「ご命令通りルクスと別れます」と物分かりよく返事をすることは出来なかった。必然的に沈黙を貫くことになった私に対して、伯爵令嬢はそれすらも愉悦とばかりにほくそ笑む。


「ふふっ……ごめんなさい、ちょっと虐めすぎてしまったかしらね? お前は馬鹿じゃないようだから優しい私が改めて忠告してあげるけれど、歯向かうのであればお前も、お前の家も、そしてルクス様自身にも何かしらの不利益が生じることをお忘れなく」


 鉛のようなその言葉に屈した私は、微かに頷き返した。声を発する気力もなかった。

 そんな私の反応に満足したのか伯爵令嬢は足取りも軽やかに我が家から立ち去った。まるで嵐のようだった。その後、事情を察した両親は慰めの言葉を掛けてくれたけれど、


「……ルクス君のことは、残念だが諦めなさい。相手が悪すぎる」


 最後にはそう締めくくられた。

 当然のことを言われただけなのに、胸にぽっかり穴が開いた気分だった。


 一人部屋に戻った私は特に泣くこともなく、突然の事態に思考をぼんやりとさせていた。

 何もかもが唐突過ぎていまいち現実味がなかった。けれど、あのお嬢様の態度を考えれば、すぐにでもルクスと別れなければ何をされるか分かったものではない。

 我が家のこともだが、せっかく騎士として期待されているルクスの将来を閉ざしてしまう危険を冒すことは出来ない以上、早急に手を打たなければ。

 しかし、しかしだ。


「……ルクス、絶対納得してくれないよね……」


 来週、久しぶりにデートの約束をしている。別れ話を切り出すのであればそこが最適だろう。

 手紙や家を経由した連絡も考えたが、私の知るルクスは絶対にそれでは納得しない。むしろ私が直接言わない限りはどこまでも追いかけてくるだろう。十数年の付き合いから、それは明らかだった。

 ならば、私が取るべき手段は――


「……これしか、ないわ」


 とにかく時間がない。

 心が摩耗して動けなくなる前にと、私は外出するために自室の扉へと向かった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 翌週、約束をしたデートの日は、憎らしいくらいの晴天だった。

 待ち合わせ場所は定番の公園広場。まだ朝も早い時間帯なので、人気は普段より少ない。

 これから起こることを考えれば、ギャラリーは少ない方が良いので私は密かにホッとしていた。

 そんな中、照りつける太陽と同じくらい輝く金の髪を遊ばせながら、脇目も振らずこちらへとやって来るのは私の最愛の人。


「マリー! ごめん、待った?」

「……ううん、時間より早いくらいだよ。ルクスこそ、お休みの日にわざわざ来てくれてありがとう」

「そんなのお礼を言うなら僕の方でしょ? 大好きなマリーに一分一秒でも会いたくて、今日本当に楽しみにしてたんだ。今日のマリーもめちゃくちゃ可愛い……」


 言って、カジュアルな服装に身を包んだルクスは私の手の甲を取るとそっと唇を落とす。

 彼にこうされると自分がまるで尊ばれる淑女にでもなったかのような気持ちになり少々面映ゆい。


「でも、もしかしてちょっと疲れてる? 顔色があまり良くない気がするけど」

「そうかな? 特に体調は悪くないけど」

「ホントに? 無理してない? まだ観劇の時間まで余裕があるし、どこかゆっくり休めるカフェとかに移動しようか――」


 自然な流れで私の右手に自分の指を絡めながら、ルクスがこちらを安心させるようにふわりと破顔する。その眩しい姿に私はあの日から押し殺してきた感情がグラグラと腹の底で煮え滾るのを必死で抑えた。


 出来ることならば、このままデートを楽しみたい。

 だって私はルクスのことを何年も前からずっと、心から愛しているのだから。

 けれど同時に、そんな私の恋情なんかで、この人を不幸にはしたくない。


「……ルクス」

「ん? どうしたの? どこか行きたいところあった?」

「別れて欲しいの」


 しっかりと彼の顔を仰ぎながら、私は後戻りできない言葉を口にする。

 ルクスは言葉の意味が理解出来なかったのか、綺麗な紫の瞳を僅かに揺らしながら「今、なんて?」と聞き返してきた。だから私は、もう一度同じ言葉を重ねる。


「別れて欲しいの。私はもう、ルクスのことを恋人とは思えない」

「…………は?」


 常に溌溂とした印象の彼が発したとは思えないほど、間の抜けた声が耳朶を打つ。

 さらにルクスの表情からはみるみるうちに色が失われていった。先ほどまであれほど柔らかな笑みを浮かべていたというのに、今はこの世の終わりのような真っ白な顔を私に晒している。


「え、なに……なんの冗談……? ぜんぜん、笑えないんだけど……」

「冗談じゃないよ。私は本気」


 言って、私は少し力が抜けた彼の手からするりと自分の右手を取り戻すと、徐にルクスの後方へと声を投げた。とびきり作った明るい声で。


「――メルカート! こっちよ!」

「ああ、そこに居たのか! 大きな影に隠れていて見えなかったよ、マリー」


 私がメルカートと呼んだ人物が、飄々とした態度でこちらへと歩いてくる。細身の長身に銀糸の髪が美しいメルカートは、未だに呆然自失状態のルクスの横を通り抜けて私のすぐ隣に並んだ。

 そこで私は、自分から積極的にメルカートの腰に手を回す。するとメルカートの方も私の腰を優しく抱き寄せてくれた。

 ルクスの瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれる。


 そう、これは異性の友人には決して許さない距離。

 つまり意味するところは――


「ルクス、ごめんなさい……私、この人のことが好きになってしまったの」

「そういうことなんだ。悪いね、騎士様?」


 誠実な恋人に対する明確な裏切り行為というわけだ。

 ルクスはまるで彫像にでもなったかのごとく、その場から動かない。声も発しない。しかしその方が私にとっては都合がいい。このまま一気に話をつけてしまおうと、私はさらなる一手を打つ。


「……ねぇ、メルカート。私のこと好き?」

「ああ、勿論だよハニー。どうしたんだい、そんなに見つめられたら流石のワタシも照れてしまうよ?」

「えへへ、大好きだからずっと見ていたいの……ね、キスしてもいい?」

「ッ……!!!」


 ルクスが動揺から息を乱したのが分かった。

 けれど私は敢えてそちらを向かず、メルカートだけをひたすらに見つめる。


「嬉しいよ、マリー。どこにしてくれるのかな?」

「そうね……ここは外だから、とりあえず頬に。唇には二人きりの時にしてね?」


 私は踵を上げるとメルカートの頬にちゅっと口づけをした。リップ音をさせたのはわざとだ。この日のために練習までした。するとお返しといわんばかりに、今度はメルカートが私の頬に口づけを贈ってくれる。羽根のように軽いそれを受けながら、メルカートと抱き合う私。


 ああ、きっとルクスはこんな私に失望したことだろう。

 むしろそうなってくれないと困る。


 しばらくイチャイチャを見せつけた後、もうそろそろ良いだろうと、私は置き去りにしていたルクスの方を改めて見やった。

 顔面蒼白の彼に、私は出来る限り悪い女に映ることを祈りながら嫣然と微笑む。


「じゃあ、こういうことだから。さようなら、ルクス……貴方の幸せを遠くから祈っているわ」


 最後の言葉だけは、きっと、本心だった。

 私はボロが出ないうちにメルカートを促し、その場を後にする。

 予想に反して、ルクスは私を呼び止めることも、怒鳴りつけることもなかった。ただただ彼は、何か恐ろしいことに直面したような顔のまま、その場に立ち尽くしていた。胸がじくりと痛む。


 今ここで振り返って「ごめんなさい、嘘なの。本心じゃないの。貴方のことが誰よりも好き。愛してるの」と伝えられたら、どれだけ良かっただろうか。もう決して叶わないその言葉を胸の奥に沈めながら、私はメルカートのエスコートで歩をひたすら進め続ける。

 そうして公園を出てしばらく経った頃、狭い路地を曲がった先にある小さな一軒家に入って素早く施錠をすると、メルカートが大きく息を吐いた。


「ここまで来ればおそらくは大丈夫でしょう……お疲れ様でした、マリー様」


 私の腰から腕を外しながらあからさまに安堵するメルカートに、私は深々と頭を下げた。


「こちらこそ……ありがとうございました、ミーマさん。すみません、こんなことに巻き込んでしまって」

「いえ、仕事ですから。……まぁ、流石に()()()()()()()()()()()()()()、なんて依頼は初めてでしたけど」


 勉強になりました、と優しく目を細めたミーマさんは正真正銘の女性である。

 彼女は我が商会も支援している劇団の役者なのだ。


 私はルクスと別れるならば、自分が浮気者の最低女になるのが一番手っ取り早いと考えた。しかし浮気現場を見せなければ彼はおそらく納得しないだろう。だが私は私でルクス以外の男性と演技でも恋人のような触れ合いをすることは絶対に嫌だった。

 そこで白羽の矢が立ったのがこのミーマさんで、背が高く中性的なルックスの彼女に男装をして貰ったというわけだ。服装と化粧、そして持ち前の演技力で完璧な男性を演じてくれたミーマさんに、私は改めてお礼を言う。


「本当に助かりました……謝礼金はもちろん、今後の活動の方も必ず支援させていただきます」

「はい、ありがとうございます。……ところで、マリー様」

「? ……なんでしょうか?」

「今、ここには私しかいません。ですので……辛かったら、もう泣いていいんですよ」

「っ……!」


 驚き目を丸くする私をそっと抱き寄せながら、ミーマさんがポンポンと背中を軽く叩く。

 瞬間、私の両目からは自然と涙が雫となって溢れ出した。あの悪魔のような伯爵令嬢と対面した時からずっと、我慢し続けていた壁のようなものが崩れ去り、私は幼い子どものように泣き叫んだ。


「ルクス……やだよぉ……別れたくなんかっ、なかったのに……ルクスぅ……うわあああああっ……!!」 


 どうして、伯爵令嬢なんかに見初められてしまったの――職務を全うしただけとは分かっていても、そう思わざるを得ない。たったそれだけで私達の運命は変わってしまった。取り返しはつかない。不運だったと嘆くことしか出来ない自分が情けなくて、辛い。


 それでも……それでも。

 ルクスに幸せになって欲しいのは本当のことだから。

 今がどんなに悲しくても、いつかはこれが正しかったのだと思える日がきっと来る。

 私は泣きながら、そう神様に祈ることしか出来なかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 ルクスに別れを告げてから既に一ヵ月近くが経っていた。

 私は傷心を理由に部屋に籠っていた。両親は何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。

 今回の件で両親も少なからず責任を感じている。別に両親のせいではないけれど、別れを選択せざるを得ない理由の一つには違いないから。


「……はぁ。でも、このままじゃダメだよね……」


 ベッドの上でいつまでも悲劇のヒロインを気取っていても意味はない。

 私はもう間もなく十九歳だ。今後ルクス以上の人が現れるとは思えないし、私自身も望んでいない。けれど両親はいずれ私に結婚を望むだろうし、生涯独身で居ることは立場上難しいのも事実。


 いっそのこと修道院に、なんて考えも過る中。

 私のもとに一通の手紙が届いた。差出人は例の伯爵令嬢である。

 傷心の私に今更何の用だと怒りのまま破り捨ててしまいたかったが――結局私はペーパーナイフを手に取った。


 そうして開いた便箋に書かれていた内容は、要約すれば指定日時に指定の場所へ来いとのお達し。断られることなど微塵も想定していない傲慢さに嫌気が差す。だが、実際問題断るすべはない。

 私は両親に手紙を見せつつ、指示に従う旨を伝えた。両親は最後まで不安そうな顔をしていたが、私はもうルクスときちんと別れている。これ以上、彼女から危害を加えられる要素はない筈だ。


 数日後、すなわち呼び出し日の当日。

 私は父が用意してくれた馬車に乗って目的地を目指した。

 場所は都市部ではなく郊外――いわゆる貴族のセカンドハウスが建ち並ぶエリアにある屋敷だった。おそらく伯爵家が所有しているものだろう。

 馬車は恙なく目的地へと到着し、私は屋敷の呼び鈴を鳴らす。

 屋敷の外観はかなり古さを感じさせるものだが、造り自体はしっかりしており外観の清掃も行き届いていた。にもかかわらず、来訪に応答する使用人の姿は一向に現れない。

 私は不思議に思いつつ、外周の鉄門のノブに手を掛けた。すると鍵は掛かっておらず、あっさりと邸内の庭に入れてしまった。


 ここで引き返すべきか私は少し迷ったが、後でまた呼び出しを受ける方が面倒だと判断し、思い切って邸宅の玄関口へと足を進める。ほどなく辿り着いた玄関扉の大きなノッカーに手を伸ばして二、三度打ち付けるも、やはり反応はない。


 まさかと思いつつノブに手を掛ければ、やはりこちらも鍵は掛かっていなかった。

 流石に可笑しいとは感じつつも、私は出来るだけ大きな声で「失礼いたします」と告げながら扉を大きく開いた。

 視界に入った邸内は昼間だというのにかなり薄暗い。理由は窓に掛けられた分厚いカーテンと、灯っていないランプの所為だろう。人の気配もない。


「誰か、いませんか……?」


 自分の声にやや怯えが滲んでいるのを感じつつ、私は邸内に踏み込んだ。手を放したため必然的に重たい玄関扉が閉まる――刹那、


「……待ってたよ、マリー」


 声が聞こえた。自分のすぐ真横。反射的に顔を向ければ、仄昏い色をした紫色がこちらをジッと見つめていた。なんで、どうして。私はその人物の姿に呼吸も忘れて、ただただ固まってしまう。

 するとそんな私の反応をどこか揶揄うように、


「驚いた顔も相変わらずかわいいなぁ、僕のマリーは」


 彼は――ルクスは蜂蜜のように甘い声音で笑う。さらにそのまま私の身体を抱き寄せると、あっという間に横抱きにしてしまった。急激な視界の変化に堪らず息を呑む。思わず身じろぎをしたが、彼の腕の力はあまりにも強く、私の身体を易々と絡め取っている。逃れることは無理だと一瞬にして悟らされた。

 ルクスは私を抱いたまま暗闇の中を迷いなく奥へ奥へと進んでいく。


「ちゃんと言う通りに一人で来たんだね……本当に危なっかしいなぁ。もし悪い奴が隠れてたらどうするつもりだったの? 一人じゃ逃げることも抵抗することも出来ないっていうのに」


 その声には僅かに苛立ちの色が滲んでいて、私は本能的に身体を縮こませる。

 と、即座にルクスは「ああ、ごめんね」と眉を僅かに下げた。


「別にマリーに怒ってるわけじゃないんだ。どっちかというと僕が僕自身にイラついてるというか……」

「……ど、ういう、意味……?」

「うーん、言葉で説明するのは少し難しいというか」


 やがてルクスは屋敷の奥にある一室のドアを器用に開けると、私をその部屋の中にあるベッドへと優しく下ろした。部屋の窓は全てカーテンが掛かっていてやはり薄暗い。辛うじて日の光がカーテンの隙間から差しているので、視界自体は確保出来ているけれど。


「……ねぇ、どうしてルクスがここにいるの……?」


 混乱しつつも思考が少し回ってきた私はルクスに問うた。ベッドの上という落ち着かない状態だが、ともかく今は疑問の解決が先。

 すると彼は雑に前髪を掻き上げながら、深々と息を吐いた。


「どうしても何も……あの手紙は僕が裏から手を回して送ったものだから」

「――え? え、や、なにそれ……? どういうこと? だってあの手紙は、伯爵家の」

「そう。その伯爵家だよ。あいつらの所為で僕は危うくマリーを失うところだったんだよね……本当に、何度殺しても殺したりないな……」


 ルクスの口から転がり出た物騒な言葉とその冷たさに、私の心臓がぎゅっと押し潰されるみたいに軋んだ。まさか、そんな。もし私の想像が当たっていたら、ルクスは伯爵家の人間を――!?


「ル、ルクス貴方、まさか……ッ!」

「ん? ああ……ごめん、怖がらせちゃったね。大丈夫、誰も殺してないよ? そんなことをしたらマリーと一緒にいられなくなっちゃうし」


 私は思わず安堵の息を漏らす。だが、続いた言葉にまたしても呼吸が乱れた。


「でもまぁ、社会的には抹殺したから……そういう意味では殺したのかもしれないけど」


 私がよほど驚いた顔をしていたからだろう。ルクスはベッドの縁に腰かけて私の頬を優しく撫でながら、柔らかな声音で説明を始めた。


「マリーは知らないかもしれないけど、叩いて埃が出ない貴族なんてこの世には存在しないんだよ? そして、敵が一切いない貴族もまた存在しない。だから僕は伯爵家と敵対する勢力に情報を流したり、彼ら自身の不祥事が表沙汰になるように少しだけ上手く立ち回っただけ。初めてやったけど協力してくれる人もそれなりにいたし、思ったより難しくなかったかな」


 いともたやすく、彼はそう言った。

 普通ならば到底あり得ない――だが、ルクスの家は由緒ある騎士の家系だ。騎士団内での評価も高く、近衛騎士を多く輩出してきたことから王族からの覚えも悪くない。貴族との繋がり自体は珍しくないだろう。

 しかもルクスは若くして非常に優秀だと一目置かれる騎士だ。

 眩い太陽のような彼を慕い可愛がる人間は多い。その中に協力者がいるということだろうか。なんにせよ、危ない橋を渡ったことは事実だろう。


「ちなみに、最後の決め手になったのはあの女が起こそうとした計画が露呈したからなんだけど……どんな内容か、マリーは分かる?」

「…………分からないよ、そんなの」

「そうだよね。純粋なマリーには思いつかないよね……あの女は、あろうことか僕のマリーを暴漢に襲わせる計画を立てていたんだよ」

「なっ……!?」


 絶句する私の両頬に自分の両手を添えたルクスが、こちらを覗き込むようにしながら言う。

 常にキラキラと輝いていた、大好きな紫色は――今はすべて塗り潰されたかのように真っ黒で。


「本当に……あんな女、助けるんじゃなかった。後悔してもし足りない。その所為で僕はマリーから一生聞かなくて済むはずだった忌まわしい言葉を聞かされた。しかもいくら相手が女とはいえ、マリーが僕以外と抱き合ったり、キスしたり……ああ、やっぱりあの女だけは物理的にも潰したくて仕方がない。二度とこの国の土は踏めないくらいじゃ罰としては全然足りないよね……」


 ルクスの言葉一つ一つが、紛れもない本心だと、私には分かった。分かってしまった。

 人々から頼りにされ、困っている人を見過ごせない太陽のような騎士であった彼をここまで追い詰めたのは、私だ。

 その事実が痛くて苦しくて――それでも、心の底では嬉しいと感じてしまう。だって彼のことが好きだから。愛しているから。


「……マリーもマリーだよ? どうして最初に僕に相談してくれなかったの? そしたら僕が全部解決したのに。僕もマリーも辛い気持ちにならずに済んだのに。家のこともあって言いづらかったのは分かってるけど、そんなに僕のこと、頼りにならないと思った? 信用出来なかった?」


 グッと私の頬を包む彼の手に力が籠る。痛みを感じないのは彼が最後の最後で自制心を働かせているからだろう。きっと私に対して彼は酷く憤っている筈だ。なのにギリギリのところで私を傷つけないようにしてくれている。

 私は「違うの」と言いながら、目を伏せてルクスの上着をぎゅっと掴んだ。


「……私が勝手に決めて一人で諦めたの。ルクスはきっと私のために頑張っちゃうって知ってたから。貴族と事を構えるなんて危ないことはさせられないと思った。それに、騎士として伯爵家と縁続きになることは、ルクスにとっても良いことだって――」

「それ以上は言わないで。流石に我慢が出来なくなりそうだから」


 ゾッとするほど低い声が耳朶を打ち、私は思わず伏せていた目を開けた。

 視界いっぱいに愛しい人の表情が映し出される。彼は笑っていた。けれど同時に、泣いてもいた。

 別に涙が頬を伝っているわけではない。けれど、その瞳の色が、眉の角度が、唇の震えが、彼の悲しみを余すことなく伝えてくる。


「僕がマリー以外の女を好きになれるわけないでしょ? どうして分かってくれないの? 僕のためって何? 全然嬉しくないよそんなの……っ」

「……ルクス、私は――」

「ねぇ、マリー……こんな僕のこと、嫌いになった? お願い、嫌いにならないで。好きだって言って……お願いだから、離れていかないで……」


 まるで縋りつく子供みたいに、こちらの言葉を遮ったルクスが顔を伏せて私の身体を力強く抱きしめる。そこに太陽のようだと謳われた騎士の面影はない。こんなにも弱っている彼は初めてだった。

 その姿を目の当たりにして、ようやく私は理解する。


 思えば自分ばっかり傷ついた気になっていた。実際は逆だ。私が一番彼を傷つけたのだ。本当に悲劇のヒロイン気取りもいいところ。自分で自分が許せなくなりそうだ。

 ――それでも、許されるのならば、


「ルクス……私はルクスのことが大好きだよ。ごめんね、いっぱい傷つけて。別れたいなんて嘘だよ。ずっと一緒にいたいの。ルクスが許してくれる限り、もう私から離れることはしないから……」


 彼をこんな風にしてしまった責任だけは取らせてほしい。

 私の言葉に、ルクスが顔を上げてへにゃりと破顔する。とても嬉しそうに、幸せそうに。

 ああ、なんて愛おしい人なんだろう。


「マリー、マリー! 僕も愛してるよ! 僕はマリーが一番大事だから、それ以外のことはもうどうでもいい。騎士の仕事は一応続けるけど別に騎士を辞めてもいい。マリーさえいてくれれば僕はどこでも生きていける」

「そっか……そうだね。私もルクスが一緒ならどこでも大丈夫かも。なら、ルクスは私と結婚してくれる?」

「ッッ!! もっもちろん! マリーがいいなら明日にでも結婚しよう!? そして一緒に暮らそう!」

「うん、いいよ。お揃いの指輪も買おうね」

「やった! 約束だよ? もし約束を破ったら……その時は、それ相応の覚悟をしてね?」

「覚悟? 覚悟って、いったいどんな?」

「うーん……そうだな、マリーはもう永遠に僕以外と会えなくなるかも?」


 言いながら、満面の笑みを湛えるルクスが私をベッドへと躊躇なく押し倒した。

 昏い表情は息を潜め、普段のルクスが戻ってきたように感じる。精神的に安定したのかもしれない。

 さらに彼の手の動きから何となくこの先の展開を予感しながらも、私は特に憂うことなく身を任せることにした。私だってもう、ルクスと離れたらきっと生きてはいけないし、生きていく気もないから。


「ルクス以外と会えなくても、ルクスが傍にいてくれるなら――それはそれで、幸せだよ」


 責任を持って、堕ちる時は一緒にね。



【了】


最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


個人的にはハッピーエンドのつもりですが、闇堕ちヤンデレに属性が傾いているのでメリバ寄りかもしれません。それでも二人はこれからもきっと相思相愛なので幸せです。

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― 新着の感想 ―
[一言] ルクスが真実を知った経緯や伯爵家や令嬢とどんな話しをしたのか気になる〜 伯爵令嬢が暴漢を手配したのはルクスが婿入りに同意せず彼女を諦めなかったから?
[気になる点] ルクス氏は暗黒騎士とかにジョブチェンジしてませんか?
[気になる点] クソ令嬢と伯爵家が、どう分からせられたのかの詳細も読みたいデス。
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