魔女の来訪(3)
店に戻るとまだ開店前だというのに店の中で黒ずくめの女が店のテーブル席に陣取り酔っ払って騒いでいた。見覚えはないが客だろうか。
表現するならそれは魔女。
黒いローブに床まで届きそうな烏の濡れ羽色の髪。中分けにした額には黒い宝石のサークレットが輝いている。鋭く切れ上がった三白眼の瞳も黒々と怪しさを湛えていた。おそらくそれとは対照的なのであろう白肌は既に顔真っ赤になっている。相当出来上がっているようだ。
そんな、若さを全面に出したケイトとはまた別種の妖艶たる美人がゲヘヘと下種な笑いを上げながらレイジに絡んでいた。
「おいィィィ!もっと酒持ってこんかい!!」
「ニル、頼むからこの辺で…」
「マジメ気取ってんじゃあねェぞボケナス! オラァ! レイジお前も飲めェ!」
女が自分が飲んでいたエールのカップをレイジの顔に押し付けて強引に飲ませた。なんなんだこの光景。開店準備もまだだというのにどうしたものか。
「美味い! うまいのう、この……なんじゃ、この何とかいうパン」
よく見るとレイジが持ち帰ったバケットがテーブルの紙袋がテーブルに乗っている。そのうちの一本は半分消失した状態で魔女の手に握られていた。レイジの口に酒を突っ込みながらバゲットをもしゃもしゃと齧る魔女。様子を見ているとあっという間に一本食べ終わり、まるで子供が次の菓子を手に取るように何の躊躇も無く次のバゲットを取り出して齧り始めた。
「ちょ、ちょっと! それ店で出すやつなのよ!?」
調理場から覗き見していた私は思わず身を乗り出して怒鳴ってしまった。
「んー、何じゃ貴様。どっから入り込んだ小娘」
カップをレイジに押し付けた魔女が三白眼をギラつかせながら、椅子にふんぞり返ってふてぶてしく私を指さした。バゲットを齧りながら。
「私はここの住人で従業員よ! あんたこそ何!?」
小娘呼ばわりされた挙句、失礼にも指を指されてムっときた私はケンカ腰で魔女に近付き、バゲットを取り上げた。
「あっ! 何するんじゃ小娘! わしのパン!!」
「あんたのじゃないわよ! 店のよ!」
「わしは客じゃぞ! 店のパンなら客が食っても文句無いじゃろがい!!」
「開店前だから客じゃない!」
くっつきそうになるくらい顔を近づけて威嚇し合う。本当に何なのコイツ!
「まあまあ…落ち着いて二人とも」
レイジが今にも襲い掛かりそうな私を背後から羽交い絞めして引き剥がしにかかった。
「なんなのコイツ! ちょっとレイジ! 説明して!!」
「コイツとは失礼じゃな小娘。こう見えてワシは……ん? 何だかいい匂いがするのぅ」
魔女はスンスンと鼻を鳴らしながら匂いの元を探り、やがて私のスカートのポケットが膨らんでいる事を見つけた。私が「あっ」と言う間も無く、ポケットの中のクッキーは魔女に奪い取られる。
「なんじゃこれ…甘くてむちゃくちゃ美味いのお」
「あっ、ちょっ……!」
取り戻そうと手を伸ばすもレイジの拘束で指先すら届かない。
するりと包み紙のリボンを解き、クッキーを一つ口の中に放り込んだ魔女は満足そうに味を確かめ、残りをザラザラと口の中に流し込んでボリボリと噛み砕いた。
親友のケイトがレイジのために包んで持たせてくれたクッキー。その友情とケイトの思いやりをバカにされたみたいで私の怒りは頂点に達した。
勢いよくレイジの足を踏む。革のブーツを履いたレイジにとってダメージは無かっただろうが、それで一瞬腕の拘束が緩んだ。私はするりと腕を抜いて、思い切りレイジの頬を引っ叩いた。
「バカッ!」
目に涙が滲む。たぶん非難されるべきは魔女なのだろうが、感情が抑えられない。押さえつけていたレイジだって同罪だ。そもそもクッキーだって私が作ったわけでもない。私は持ち帰っただけだ。なんで私はこんなに怒っているんだろう。
何故? どうして。なんで。
私はたまらなくなって店を飛び出した。
ルーシアは特に考えとかなくスカートのポケットに物を入れるタイプの女の子です。